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彼はナチ? 麻生発言の核心について検証する

2013-08-02 02:24:42 | 社会評論
 麻生氏の発言が波紋を広げ、国内からも、そして海外やユダヤ人の団体からも抗議の声が上がっているようです。ようするに、憲法改正にあたっては、ナチスのやり方に学び、静謐のうちに進むのがいいといった主旨で、それがナチの積極的な肯定にあたるとして非難や抗議が寄せられているわけです。

 それを受けて、麻生氏は慌ててその発言を撤回しました。
 撤回してもその発言は残ります。
 そこで、当初の発言を書き起こしたものをじっくり読んでみました。

 相変わらず、主語述語の関連が曖昧で、なおかつ、ワイマール憲法下のドイツでナチズムの支配がすんなり出てきたのような歴史認識上のずさんな見解が加わり、あたかも、彼自身がナチを全面的に肯定していたかのように受け止められる向きもありますが、必ずしもそうではないと思います。

         

 一番危ない箇所というのは、「憲法は、ある日、気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」という部分ですが、これは確かに「手口を学ぶ」ということでナチの肯定のように受け止められる節もありますが、彼のいいたかったことは必ずしもナチの全面的な肯定ではないように思います。

 ようするに、彼の言語能力からして、自分が何を語っているのかがよくわかってはいないので、発言そのものは極めて曖昧で揺らぎまくっているのですが、ナチズムの肯定といわれてもっとも驚いたのは麻生氏自身ではないかとも思えるほどです。

         

 ですから、これをもって麻生氏の辞職を求めたりする動きがあることを否定しようとは思いませんが、しかし、「麻生=ヒットラー」と短絡してその首をとったとしても、なおかつ、彼の発言の核心は無傷で残るように思います。
 それでは、彼の発言の核心はどこでしょうか。それは、繰り返しいわれ、そのためにこそ言わずもがなのナチを例証に出した以下の点だと思います。

 「ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。」
 「わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。」


         

 ようするに、憲法改正が、「喧騒」の中ではなく静謐のうちに行われるべきだというのが論旨なのです。そのために「靖国」の例も引いていますが、やはりみんなが騒ぐのが良くないという主旨です。
 最後の引用にある「民主主義を否定するつもりはまったくありませんが」と「喧騒のなかで決めてほしくない」は矛盾しています。
 ナチズムによる統治やスターリニズムによるそれ、あるいは戦前の天皇制におけるそれのように、上意下達の「静謐」のうちですべてが進められるような決定は民主主義とはまったく反するものなのです。

 逆に、「喧騒」を認めること、侃々諤々を認めることが民主主義の本意なのです。彼はそれを否定するためにこそ、不確かな知識しか持ち合わせていないワイマールからナチへの移行をとりあげ、それがなにかとてもスムーズな移行であるかのように脚色しました。
 そこには、自民党の改憲案が、「喧騒」にさらされることなく、「静かに」実現さるべきだという主観的願望が吐露されているのです。

             

 もし、あなたが進められつつある自民党の改憲案に反対だとしたら、「麻生=ナチ」としてその首を挙げることにのみ血道を上げるのではなく、麻生発言の核心、改憲を粛々と進めたいという主旨に反して、改憲反対の声を侃々諤々、まさに「喧騒」として組織してゆくことこそが必要なのではないでしょうか。

 なお、半分冗談ですが、私は麻生氏の辞任に反対です。
 彼が政権中枢にいることによって、安倍氏が慎重に隠蔽している政権の本音が漏れ出てくるからです。菅官房長官が優等生のスポークスマンだとしたら、麻生氏は本音を漏らしてくれる貴重な情報源ではないでしょうか。



 

コメント (11)
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