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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

藤圭子さんのこと

2013-08-23 15:15:39 | 想い出を掘り起こす
             

 藤圭子さんの突然死で、TVは色めき立って何やかやと騒々しい。
 しばらくはこれで稼ぐつもりだろう。

 デビュー時、これまでの演歌とはいくぶん違うなと思った。
 早速、五木寛之などが「怨歌」などという造語を用い、小説などに書いた。
 彼女の歌はルサンチマンそのものだというのだ。
 あまり意味ありげに持ちあげるのもなんだかなぁと思った。

 ただし、ルサンチマンという意味では案外あたっていて、彼女本人のそれや、演歌に含まれる喪失した恋への追憶などと同時に、ある意味、時代の風潮をも併せ持っていてのかもしれない。したがって、それまでの演歌ファンであった中高年層以外の、割合若い層からも支持を受けたのかもしれないと思っていた。

 これは勝手な憶測だが、彼女の活動した時期は、68年の全共闘の反乱を経て、70年安保にいたり、かつ、三島由紀夫の自決やさらには連赤事件にひとつの終止点を見出すなど、戦後をひとつの動機とした諸々の連鎖が一応絶たれ、容易に出口が見いだせない混迷の時期であった。
 その意味では、そうしたことども全てがある種のルサンチマンを呼ぶ要素をもっていたのであり、彼女の「怨歌」はそれらと共鳴したのかもしれない。

 そうした彼女が第一線から消えた頃、この国は根の浅い無邪気な自信を伴って陽気に再生したかに見えた。曰く、「ジャパン・アズ・ナンバーワン!」。
 それらが新たな危機への入り口であることには気づかず、人びとはひたすら浮かれはしゃいでいた。もはや時代は彼女のものではなかった。

                

 そんな藤圭子さんに一度だけ面と向かって会ったことがある。
 もうその活動の頂点を経過した70年代の後半だったろうか、私がやっていた店の前がかつての力士が経営していたちゃんこ料理店で、そのせいか、スポーツ選手や芸能人たちがよく出入りしていた。
 そんなある日、何げなしに私が店から出ると、前の店からも女性が一人出てきて、それが藤圭子さんであった。タニマチに取り囲まれての宴席に疲れてひと息入れに出たといった風情であった。
 それに気付いた私は「こんにちは」か「こんばんは」かの挨拶をした。
 彼女も、微笑みながら挨拶を返した。
 もちろん、彼女にとっては路傍の石に等しい居酒屋の亭主に、特別な意識など持ちようがなかったに違いない。
 TVなどの画面で見るよりはずいぶん小さい人だなぁというのがその折の印象だった。

 何があったのかそんなことは知らないし特に知りたくもない。
 ただ、ああ、あの折の女性が自死を選んだのかという感慨は残る。
 合掌あるのみだ。

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自然と人為という区分の無効とナツツバキの運命は?

2013-08-23 03:02:17 | 花便り&花をめぐって
 私の住む岐阜市は昨22日で連続16日間の猛暑日(気温35℃以上)を記録し続けている。当然、夜は熱帯夜である。睡眠薬をしっかり飲んで、タイマー付きの首振り扇風機で就寝する。
 それでも起きてしまうと、また扇風機のタイマーをセットしなおしてやっと眠りにつく。
 
 世の中にはエアコンというものがあってクーラーという機能も付いていることは知っている。私の部屋にも一応は設置してある。しかし、このクーラーが苦手なのだ。はじめはひんやりと気持ちがいいのだが、そのうちにゾクゾクしてきて胃のあたりがキリキリしてくる。
 だから、映画が好きなくせにこの時期の映画館は苦手だ。
 始まって15分も経つともうダメだ。だから、映画館や冷房の効いた場所での会合などはサマー・ジャンバーが必携品である。

           

 しかし、私が打ち震えている映画館で、タンクトップ姿で平気な若者たちがいる。まるで、私とは人種が違うようだ。思うに彼らは、生まれた時からエアコンの効いた環境で育ってきて、それに対応しているのだろう。
 それに引き換え、私は子供時代から成人するまで、夏は暑く冬は寒いという自然条件のなか、エアコンなどというものとはほとんど無縁に育ってきので、かえって現代風の環境に適合していないのかもしれない。

 もうひとつ困っているのは、この間まとまった雨が降らないことだ。
 すぐおとなりの名古屋で、地下街に水が入るとかいわれたゲリラ豪雨の際も、ここでは、なんだか南のほうでチカチカ光ってるなというぐらいで、ここんところ適度なお湿りすらずーっとない。
 おかげで、野菜、とくに葉物は高騰気味で困っている。
 サニー・グリーン・リーフという青菜のお化けのような大きな株を98円でゲットしてきたので、当分、生野菜はこれに頼ろうと思う。

         

 これは本当は書きたくないのだが、やはり書かざるをえないのだろう。
 県立図書館へ行ったのだが、この際、図書館のことはどうでもいい。
 実は、ここへ行くと、その中庭や、隣の県美術館の庭園を散歩するのが楽しみなので、昨日も必要な本を借りだしてからその辺を散策した。 

 この炎天下で植物はどれも元気がない。
 そこで私は衝撃的な事実を目にしたのだ。
 ことはさかのぼり、この7月11日に行った際のことだ。
 この中庭にあるナツツバキ(別名・沙羅双樹)の蕾が例年よりも多くついていて、これが咲きそろったらさぞかし壮観だろうと楽しみにしていた。

 で、それを確認しにいった。
 ところがどうであろう、そこに見たのは実に無残なものであった。
 7月には活き活きとしてその開花を待っていたつぼみたちのほとんどが、褐色になって枯れてしまっているのだ。それどころか、その木そのものが弱り果てている様子なのだ。
 あまりにも無残なので詳しくも見ず、写真も撮らなかったが、悲しいではないか。
 植物は、自分でよりよい環境に移動することができない。
 ひとの適切な手助けがない場合、自然の過酷さに自分の運命を託す他はない。

 
          7月11日に撮した元気だったナツツバキの蕾たち

 私には、冷房がどうのこうのと文句をたれながらも、それに対応する手段がある。しかし、世の中には、このナツツバキもそうだが、それにとどまらず、人間様でもその状況の変化に対応できない場合がある。
 自然もそうだが、社会的状況の中でもそれらは増えていて深刻なのだ。

 私の不適応は今さらいうまい。
 でも、自然の条件に適応できない動植物たち、社会的諸条件に適応できない人びと、とりわけ若い人たちには心が痛む。
 これは単に、同情でいっているのではない。
 今日、自然の条件も、社会的条件も、人間の干渉なくしてはありえない。

         

 科学技術をはじめ人間の自然への干渉が想像以上に大きい時代に私たちは生きている。それは多分、もはや自然と人為という区別が意味を成さない段階であるかもしれない。
 そしてその象徴がフクシマなのだと思う。
 何億ベクレルという汚染水が渦巻く現状は、自然に加えた人為の爪痕そのものなのだ。
 しかも人類は、それらを容易に拭い去ることもできない錯綜のままに、なおかつ自然への干渉を強化するという、つまり科学技術という新興宗教にも似た迷妄にすがりながら、ひたすら破局や悲惨へと突き進んでいる。

 あのナツツバキが、一輪でも花開くことを願っている。
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