六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「40℃ 三日間」に耐えねばならないのです!

2013-07-13 02:01:34 | 写真とおしゃべり
 連日の暑さで随分参っています。でも、家を出なければならないときはむろんありますから、それなりに用心が必要です。
 ここで熱中症で倒れたりしたら、そうしたニュースを手ぐすねひいて待っているある種の連中を小躍りさせる結果になるからです。
 
 まずはこの暑さを絶好の機会としてして、こんなメールがが経産省幹部とと東電幹部の間で交わされているのだそうです。(いずれも「週刊朝日」より)

 夏は猛暑という世論形成はどうなるのでしょうか? 結局、原発なくとも電力がまかなえたので大丈夫だとの意識が国民に植え付けられているのではないでしょうか。気温40度が3日間ほど続けば、原発再稼働してほしいとの声が高まるはず。昔のようにお金だけでは世論は操れず、時代がかわってしま いましたね(経産官僚

 今年の夏、気温40度くらいまで猛暑になれば、議会、世論ともに再稼働容認になるだろうとか、つい期待して、毎朝、天気予報を見ています。あがれ、あがれと新聞の天気図に手を合わせています。情けないですが、今のうちには、猛暑頼み、すがるしかありませ ん。株じゃないですが、あがれ、あがれ!(東電幹部

 
             県立図書館の玄関と中庭です

 ですからここで倒れるわけにはゆきません。彼らにとっては暑さがいや増し、何人かの老人がくたばったほうが都合がいいのです。私もいずれくたばる身ですが、こういう人たちの都合のいいようにはくたばりたくありません。
 「40℃3日間?」耐えてやろうじゃないか。こちとら長年、50℃の炉端の前でネギマを焼いてきた身だ、「暑がりません、勝つまでは!」だ。

 
         10年ほど観測しているナンキンハゼ 今年は花がびっしり付いている

 あちこち出かけました。
 まず書店です。ガールフレンドが骨折で手術のため1ヶ月近くの入院だそうです。そのお見舞いに本を選びました。私とほぼ同年代ですが、あんまり固い本だと寝てしまうというので、妹尾河童の『少年H』を選びました。これなら、彼女が記憶している時代とも重なりますから興味をもって読んでくれると思います。

 ついで県立図書館です。
 私の勉強の方向が二つに分裂してしまって困っているのです。若いころなら双方を並行してということでしょうが、いまの私にはそんなに時間が残されてはいないのです。それにより、借りる本が変わるのですが、とりあえずは双方に未練を残すような選本になりました。

 
          この間まで白い花をつけていたエゴの木も可愛い実が鈴なり

 県立図書館の界隈はマイ・ヘイバリット・プレイスです。
 おとなりの県立美術館の一画も含め、少し散策をしました。車で来たため帽子がありませんでした。ときあたかも午後三時、朝からの熱気がいやまさに熱せられ、安い定食屋の味噌汁ほどのわが脳味噌を直撃します。
 これはヤバイ、ここで倒れたら経産省や東電の思う壺だと急ぎました。
 前からの継続でどうしても撮りたい写真のみ撮って慌てて車内へ避難。

 帰りにスーパーへ。
 稚鮎よりももう少し大きくなった琵琶湖産の天然鮎を買いました。
 味醂と醤油に生姜を効かせ、弱火でじっくり一時間ほど、骨の存在を感じさせない一品に仕上がりました。美味しかったです。

 
         夏椿(沙羅の花)の蕾 こんなに蕾があるから咲くのが楽しみ

 いろいろお考えはあるでしょうが、私は原発のない(大飯を除いてですが)三回目の夏を音を上げることなく乗り切りたいと思います。
 それによって、「原発はお前たちのために必要なのだ」という電気会社のキャンペーンを返上しようと思うのです。
 

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「奇跡のお酒」と「活け鯒(コチ)」との出会い

2013-07-10 17:39:35 | よしなしごと
    

 実はもう一ヶ月ほど前になりますが、ネットで知り合った大阪の友人を岐阜に迎えたことがありました。時間にすれば数時間の出会いでしたが、彼のマルチな分野での活動に興味があった私にはとても面白い出会いでした。
 私の想像したとおり幅広い守備範囲をもつ人でしたが、ネット上では分からなかったこともあります。彼の居住地域が大阪であることはすでに述べましたが、ネット上では大阪弁で語るわけでもなく、それを感じさせる要因も少なかったのですが、実際に会ってみて、やはり大阪人だなと思ったのでした。

 それは彼が語る大阪弁にもよリますが、そんな表層の事実のみではなく、それはたぶん、彼が示す実に多様なさまざまな分野に対しての貪欲ともいえる好奇心によるものだろうと思います。
 もちろんそうしたマルチな好奇心が、たとえば関東人に欠けているというわけではないのですが、しかし、東京を中心とした人たちは、そうしたマルチな関心のある部分を特化し、「専門家」としての地位を得ている人が多いように思います。
 それに対し、彼はそれらのどれかを引っ込めようとせず、それらを保ち続けているように思いました。
 それはともかく、彼との会話は楽しいものでした。

 話はコロリンと変わるのですが、つい先般、久々に出た市中の鮮魚店で、40センチ近い鯒(コチ)が大きなタライのなかで生きているのを見つけました。その時、私のなかでひらめくものがあったのです。これだ!この機会を待っていたのだ!と。
 値段を聞くと一匹まるまる1,000円でいいという。ちょっと贅沢だがこれならなんとかなります。早速、三枚おろしの冊にしてもらい、もちろんアラも持ち帰りました。

 何がひらめいたかというと、またも話がコロリンと戻るのですが、その大阪の彼が来てくれた際ですが、実に気の利く人で、別便で貴重な日本酒を手配し送ってくれていたのでした。
 それは岡山県倉敷市の菊池酒造という蔵元のいわゆる「奇跡のお酒」というもので、詳細は添付したページを見ていただくとして、ようするに、青森で農薬・除草剤・化学/有機肥料を使用しないで「奇跡のリンゴ」を生み出した木村秋則氏の方法に学んだ、やはり、農薬・除草剤・化学/有機肥料を使用しない自然栽培米のみを使ったお酒のことなのです。
 それを何と、一升瓶と四合瓶の2本も送ってくれたのです。

 しかし、そんな貴重なお酒を日常のお惣菜に合わせたのではもったいなさ過ぎます。ですから、それにふさわしい肴に出会うまで、ちゃんと冷暗所に保管しておいたのです。
 そこで、その鯒をみた途端、そうだこれと合わせるまたとないチャンスだと思い立ったのでした。

 鯒は薄造りほどではないにしても、白身は薄く、赤身は厚く程度の原則で刺身にしました。海無し県の岐阜では、活けゴチなどはめったにお目にかかれませんから大ごちそうです。
 それにアラを持ち帰ったのは大正解でした。
 潮汁風に吸地ぐらいの濃さの出汁であっさり煮たのですがそれが絶品でした。

 さて肝心のお酒の方ですが、一口含むと、いま流行りのサッパリ系とは一味違う濃厚な、といっても決してネットリとした感じではない馥郁さが吟醸香とともに口中に広がります。「うん、これだ!」と、肴とのベストマッチともいうべき取り合わせに満足しながら盃を進めたのでした。
 これぞまさに、「待てば海路の日和あり」です。

 一線をリタイヤーしながら、なお枯れきるでもなく、浮世に執念がある私のような中途半端な老人にとって、ともすれば不快な状況が目につきやすく、嘆いたり愚痴ったりすることも多いのですが、美酒とそれにふさわしい肴に恵まれた瞬間は、それらから離脱できるまさに至福のひとときといえます。

 このひとときをプレゼントしてくれたMJさん、ほんとうにありがとう。
 まだ残っているお酒も大切に頂きます。

 http://www.kikuchishuzo.co.jp/commodity/kisekino_osake.html


 なお、このお酒の元になった木村式リンゴ栽培を描いた映画『奇跡のリンゴ』は、ただ今名古屋、岐阜地区などで上映中です。
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思考するキリスト者 アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリについて

2013-07-08 17:09:04 | よしなしごと
 写真は例によって関係ありません。

 私はキリスト教徒ではないし、ましてやカソリックに馴染みがあるわけではない。しかし、H・アーレントの『暗い時代の人々』のなかで割かれた標題の人物についてのエピソードにはとても興味を覚えるし、惹かれるところがある。

 アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリ(ロンカッリと表記される方が多い)は、1958年から63年までローマ教皇を務めたヨハネ23世の本名である。
 その教皇になった経緯も面白い。前教皇ピウス12世の死去に伴って行われたコンクラーヴェは様々な思惑が錯綜し、候補者としてほとんど影が薄かったロンカーリが選ばれるや世界が驚愕した。しかし、この結果に最も驚いたのは本人だという。

        

 当初、誰しもが彼のことを一時的な「つなぎ」の教皇だと思っていたようだ。事実、在位は5年と短いがこれは彼が病に倒れたためである。
 そうした短い在位期間であったが、実際には「つなぎ」どころかその独自性を大いに発揮した。

 まずは他宗派への対応だが、プロテスタントに対しては、それまでの「教会の外部にいる哀れで不運な人々」というカソリック側からの一方的な規定をやめることとし、「洗礼の如何にかかわらずすべての人間はイエスに帰属する権利を持つ」とした。
 更には、1500年以来、初めて英国教会大主教をバチカンに招待し、さらにはギリシャ正教にも公式のメッセージを送った。

 その活動は宗教内部についてのみならず、キューバ危機に際しては米ソ双方の仲介をするなど戦争回避にも尽力した。

        

 個人的にも面白いエピソードがある。
 教皇が散歩をする時間はその区域から一般参拝者を締めだすのがバチカンの決まりだったことに対し彼はいったという。
 「どうか、他の参拝者も入れて下さい。私はお行儀よくしていますから」

 あるときは、重罪者の収容されている刑務所に出向き、「あなたたちは全て神の子なのです」と祝福を与えたという。どこかで、親鸞の「悪人正機説」と関わる気がしないでもない。

 また、バチカンで働く人々に対し「教皇としてではなく、あなた達の雇用主として要求を聞こうではないか」と持ちかけ、「労使交渉?」の場を設け、事実その待遇を改善したという。

        

 ここに見られるエピソードの共通点は、彼がそれまでの頑強な伝統や習慣にとらわれず、この世界において自分がいかにあるべきかを考え、判断し、行動したということである。
 私たちは出生によって世界へとデビューし、そして死によってそこから去ってゆく。
 そうした有限である私たちが、私たち以前からあり、私たち以後もあるであろう世界のなかで、思考し、行動するということはいうならばそれでもって永遠とつながるということだと思う。

 思考するキリスト者ロンカーリはそれを十分にわきまえていた。
 彼の死の床での言葉は感動的ですらある。
 
 「いつの日も生まれるには良き日であり、いつの日も死に逝くには良き日である」





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生活保護は施しではなく権利です。その制限は傲慢です。

2013-07-07 15:47:07 | 社会評論
 私の前回の記事に対し「九条護。」さんという方から以下のようなコメントをいただきました。
 今回はそれに対する回答です。

九条護。さんのコメント===========================
 生活保護の問題にはかなり誤解があります。生活保護を受けている方にはその原因があるはずです(失業、病気、親族が助けない、など)。だったら、その原因を取り除くことを考えるべきでしょう。日本には、アメリカと違い、公的医療保険があり、年金制度があり、難病助成の制度があり、雇用保険や職業あっせんなどの制度があります。また、三親等内の親族には扶助義務があります。まず、それらを利用して、自活することを考えるべきではないでしょうか。管理人さんは、社会保障について様々な制度が日本にはあることを御存じなく、生活保護だけを金科玉条に考えておられる感じがします。生活保護の制度を利用する前に、まず、「自分で働くよう努力すること」、憲法には勤労の義務があります。さらに、日本の生活保護は現金支給でしかも医療保険は無料と、他国と比べて十分恵まれています。アメリカは現物支給、ドイツでは職業訓練が給付の条件です。日本では、生活保護を利用しなくても民事的に親族に扶助を求めることができます。なぜ、生活保護の制度を是正することで大騒ぎするのか理解できません。回答をお願いします。

 =======================================

        

 九条護。さんにお答えします。

1)「生活保護を受けている方にはその原因があるはずです」はその通りでそれが近年増加していることもご存知ですね。「だったら、その原因を取り除くことを考えるべきでしょう」もその通りです。その要因の大きなものとして格差社会が考えられますが、それが「一部の人間が貧乏になっても結構だが」という先般の九条護。さんのような立場によって増進されていることを付け加えておく必要があるかもしれませんね。

 とはいえ、格差の是正はそんなに簡単なものではありませんから、生活保護の増加がそれに起因することはひとまず抑えておき、「改定」内容について述べましょう。

2)ひとつは、これまでも問題になってきた申請者を窓口で追い払う「水際作戦」を、緩和するどころか一層強化する方向で検討されているということです。
 これまでは慣例として口頭でも良かった申請を、書類でもって、しかも厳格化しました。
 しかし、給与明細をもらえず収入がわからない、貯金通帳やキャッシュカードをなくしている、DV被害を受けているが保護命令が出ていない、 などのさまざまな事情で用意できない人たちはどうしたらいいのでしょう。
 
 また従来は、福祉事務所が手続きの当事者であったものが、「申請者自身」とされ、自らが保護を必要としている状態であることを証明しないと申請が認められない事態になります。ようするに、困窮度の高い人ほど申請しにくくハードルが高くなったのです。

3)もう一つは、九条護。さんも触れていらっしゃる「扶養義務の強化」です。
 今回の改定では、
(a)扶養義務者に対して資産や収入の状況についての報告を求めること
(b)扶養義務者の雇用主や金融機関などに対して、書類閲覧や資料提供・報告を求めること
 などが求められます。

 ようするに親族へ通知が行くのみならず、その親族の勤務先や取引銀行への紹介などが行われるとうことです。
 それを考えたら、「親族に迷惑が及ぶのは」とつい及び腰になりませんか?
 また、あなたに、行方不明の親族がいてある日突然そうした紹介があり、あなたの全財産が調べられたらたらどう思います?

4)その他にもいろいろ問題があります。
 医薬品はジェネリックに限定され、医療機関外の使用制限や介護関連の見直しなど受給者の健康面での差別も余儀なくされるのです。

5)これらが片山さつきの提起に端を発する「改正」の問題点ですが、その骨子は、いかに困窮している人を援助するかということよりも、いかにそれらを制限し、生活保護を受けさせないようにするかであるかは明らかです。
 ここで念の為に、先進諸国の人口あたりの生活保護対象者の比率を見ておきましょう。

 ・ドイツ 9.7% ・イギリス 9.2% ・フランス 5.7% ・スエーデン 4.5% 
  そして日本は、1.6%なのです。

 先進資本主義国はその体制が必然的に格差を生み出すものであることを十分知っており、そのための方策をとっているのですが、この国はそれすらも無視する野蛮な資本主義国だといえます。

6)片山さつきが吠えたて、今日の改正騒ぎになった不正受給率についてですが、それがどれほどだか御存知ですか?もちろん、あってはならないことですが、全支給額のうち、0.35%ほどなのです。
 そしてこれらは現行法でも十分取り締まることができるのです。

 この不正受給の阻止を言い立てる改正が、先にみた窓口での水際作戦の強化によって、あるいは親族との兼ね合いなどで、本来その対象者たる人々を追い払う比率は0.35%をはるかに越えると思うのですがどうでしょう。

7)最後にいい添えます。
 日本の生活保護適用者は年々増加し、現在では、200万人ほどだと言われています。
 しかし、この国には法で定める生活保護基準以下の所得しかない人が一千万近くいて、生活保護はそのわずか20%を補足しているにすぎないのです。そしてそれが受給者が1.6%しかないという数字によって現れているのです(ちなみにイギリスの捕捉率90%超です)。
 
8) 九条護。さんはおそらく、自分は絶対に生活保護の対象にならないとお考えなのでしょう。学歴にも地位にも恵まれていらっしゃるあなたは実際にそうかもしれません。
 で、あればこそ、想像力を働かせていただきたいのです。
 そして、経済的に困窮している人もお情けにすがったり、いわれなき義務に服するのではなく胸を張って生きてゆく権利があるということを認めるべきだと思うのです。
 それが人間の共同体の普通のあり方だと思うのですがいかがでしょうか。

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誰が生きて誰が生きてはならないか 傲慢な生命観と「拝金主義」

2013-07-06 17:24:36 | 社会評論
 写真は直接関係ありません。

 現今の政治は一応いう。あなたたちを生かしましょうと。
 ただし、これは生物学的な生(ゾーエー)を保証するということである。
 しかしこれとて、その圏外、つまり生物学的生すら保証しない部分を常に含んでいる。
 はっきりいってお札を刷り増してインフレを誘導しようとするアベノミクスは、どうやっても収入の伸びる余地のない人々を直撃し、生物学的生の限界にまで追い詰めている。
 
 福祉の後退で老人医療の一割負担は二割になるという。
 たかが一割と思うのは素人の赤坂見附である。
 ようするに、老人の医療費が現今の倍になるということなのだ。

 その他に、片山さつきが芸人を相手取って鬼の首を取ったようにキャンペーンを張ったおかげで、本来、生活保護の対象である人達は萎縮し、申請すらままならない状況に置かれている。

            

 そして、来春の消費税の値上げだ。
 汗水たらして働いた年金の相対的価値はドンドン低下してゆく。
 私の場合は1ヶ月で8万数千円ほどの年金で、それが上記のような値上げラッシュにさらされるのだから生活が豊かになる保証なんて全くない。これまでの預貯金を取り崩しながら、「どちらが先に駆けつくか」でタケノコ生活で死へと向かうほかはない。
 私のようなへそ曲がりは別として、老人はあまりものをいわないし、その機会も少ない。だからお上はやりたい放題なのだ。

 老人に厳しいだけではない。いまばらまいて株価の上昇をさせているのはすでにいったように、裏付けなきお金の増刷で、いってみれば担保なきローンでどんどんものを買ってるようなものだ。
 しかし、それらはいずれは返却し辻褄を合わせねばならない。それはこれからの若い世代の予めの借金として積み上げられる。
 ようするに、これからという若い人たちの懐に手を突っ込んでその金を先行して使っているようなものなのだ。

            

 こうした先送りの発想は彼らは得意中の得意である。現状ではどうしても処理しようのない原発の核廃棄物を、無策なままに次代へ押し付けて平気の平左なのだ。
 そこにあるのは「そのうちなんとかなるだろう」という責任回避であり、そんなことより「当座の金だ」という欲望の肥大でしかない。これに対して若い人たちがなぜもっと怒りを覚えないのかがよくわからない。おそらく当面を糊塗する消費経済のうちに彼ら自身がどっぷり浸かってしまっているからだろう。

 こうしたいいとこどりの「あとは野となれ」がなんとかミクスだが、それは未来への禍根を残すのみならず、どこをみても、現状の格差社会の解消の要因はない。むしろ自己責任論による拡大の気配すらある。
 さあ、金儲けの機会は作ってやった、あとは自分で何とかしろだ。
 私の愚痴に対して「お前も投資活動をすればいいじゃないか」といった人がいるが、そんな甘言に乗ったら、虎の子を盗られて死期を早めるだけだ。

            

 ここ何十年来、我国の自殺者は3万人を越えているという。
 これ自身すごいと思うし、先進国中でも稀有の数字である。
 しかし報道されていない事実がある。
 3万人は実際に死に至ったに数に過ぎず、自殺未遂者も含めるとその10倍の30万人だというのだ。

 確かにすべてが貧困のせいではないだろう。しかしこの国には千人に三人ほどの割合で死んだほうがマシだと思っている人達がいることを忘れるべきではない。
 それほど未来は暗いのだ。

 こうした状況の背景には、誰を生かし、誰を見捨てるのかといった傲慢な生命観が見て取れる。
 先にみた片山某の生活保護の見直し(これは今回の自民党の公約にも入っている)にも仄見えるのだが、つい最近、全く驚くべき状況が現れ、さすがに話題になった。

        

 それは、安藤美姫さんの出産に関し、「週刊文春」が行った「出産是か非か」というアンケートだ。それを知って絶句した。なんという馬鹿な!反対が多かったら子供を殺すつもりなのか!子供を育てながら現役を続けるって立派なことではないのか?それが出来る世の中でなければいけないのではないのか?
 新しい命がこの世界に誕生することはひとつの可能性が世界に加わったということなのだ。とやかく言う前にまず祝福すべきなのだ。

 ここにも生命観に対する傲慢が満ち溢れている。
 そしてそれは、「金が第一」という拝金主義的信仰(普通は「経済改革」などという薄化粧をしている)と相まって、誰を生かし、誰を見捨てるのかという命の選択を日常化しているのだ。

 未来を開くのは「なんとかミクス」の「金談義」ではない。老若男女がこの共同体にどのような希望を託してゆけるかのイメージなのであり、それを論議するのが政治の場であると思うのだが、いまや政治は完全に当面の「お金儲け」の話に堕してしまっている。
 卑しむべき状況である。
 そんなものに加担するぐらいなら、「武士は食わねど高楊枝」のやせ我慢の方に身を寄せたい。

 
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中禅寺湖・赤城大沼・那珂川の魚たちと「金」の話

2013-07-04 02:04:26 | よしなしごと
 「朝日新聞」に連載の「プロメテウスの罠」のなかのさらに小さな区分の連載「釣ったら放せ」(全20回)があり、7月3日に終了した。
 かつて渓流魚と親しんだ者としてはとても悲しい内容であった。
 話は、中禅寺湖に生息するニジマス、ヒメマス、ブラウントラウトなどが規制値100ベクレルの倍から数倍近い放射能汚染を受けているため、いまなお食用にはできないというのである。むろん、あの忌むべきフクシマ第一がしでかした人災の結果である。
 
 渓流魚というのは、上に挙げた外来魚のほか、日本固有のヤマメ(アマゴ)、岩魚なども含めて一般にサケ・マス科の陸封型といわれる。
 かつては彼らも、現在のサケやマスと同様、河川の上流で生まれ、海へと下り、そこで大きくなったものが故郷の河川に戻り産卵するという循環をしていたのだが、おそらく氷河期の終わりに、途中の河川の水温が上昇し、海へと還れなくなったものたちが水温の低い上流部に居ついてしまった、すなわち陸封されたものといわれている。

 しかし、なかにはその一部が降海するものもいて、長良川のアマゴの一部は先祖返りしたかのように伊勢湾に下り、大きくなって遡上してくる。その時期がちょうど5月頃なので「サツキマス」と呼ばれたりする。
 しかし、これも激減している。あの無用の長物、長良川河口堰のせいだ。
 ついでながらこの河口堰は、かつてはこの周辺で豊富に獲れたヤマトシジミをほぼ全滅させた。

 話が逸れた。陸封型のサケ・マスに戻ろう。
 その他にも、琵琶湖には琵琶湖を海に見立てたようなビワマスがいるし、福井県の九頭竜川にできた九頭竜湖では、そこを海に見立てたのか57センチの鼻曲がりのアマゴが獲れたことがある。また、奥只見川ではやはりダム湖を海に見立てたのか、なんと75センチのイワナが獲れたこともある。

 もうひとつ書き足せば、淡水魚は特有の匂いがあるとして嫌われる向きもあるが、上に述べた魚たちはもともと淡水魚ではないせいかそうした匂いはない。ついでながらアユもマスなどとは違い、河口で生まれて遡上するもののやはりサケやマスの仲間である。
 これら魚類の簡単な見分け方は、背びれと尾びれの間に、アブラビレといってほとんど退化して今ではなんの用をなすのかがよくわからない小さなヒレがあることだ。

                              恥ずかしながら40年ぐらい前、自分が釣った魚のスケッチ

 さて、最初に戻ろう。中禅寺湖はそうした陸封型マス釣りのメッカであり、それを目当てのヴィジターが多い。また、これらサケ・マス科の魚はとても美味しいのでそれを目当てに釣果を楽しむ向きも多い。
 しかし、それらが放射能に侵されてしまっていて食することができないというのだ。
 漁協や周辺での対応は深刻である。釣り人が激減し、漁協の入漁料収入が落ち込むとともに、周辺の宿泊施設も大打撃を受けた。訪れるひとは盛況時の二割か三割だという。
 
 それにもかかわらず、漁協には新たな義務が課されたというのだ。
 それは、そうした状況を承知の上で来てくれた釣り人を監視し、釣り上げた魚を持って帰らせないようにする仕事だ。ひどい時には、釣り人一人に監視が一人つくという状況だったという。

 釣った魚を放すというのは「キャッチ・アンド・リリース」といって、食用ではなくスポーツ・フィッシングなどで行われたり、あるいは資源保護のため規定より小さな個体は放してやることである。
 私が渓流に入っていた頃の目安では、ほぼ手のひら大(十数センチ以下)は「来年またおいで」といってリリースしていた。

 なお、このキャッチ・アンド・リリースであるが、逆にこれを禁止しているところもある。それは例えば琵琶湖などで、ここでは釣り上げた外来種のブラックバスやブルーギルについて、漁協が「釣った魚はお持ち帰り下さい」という要請を看板などでしきりにしている。
 なぜそんなことをするのかというと、これらの魚が琵琶湖の貴重な資源である稚鮎をはじめ淡水産のエビなど小魚を食い尽くしてしまうからである。
 にもかかわらず、釣り上げたものを放し、もっと大きくなってから釣り上げようという不心得者がいるから困ったものだ。

 中禅寺湖に戻ろう。すでに見たようにここはサケ・マスの仲間の、しかもその環境のせいで大型のものが釣れるメッカなのだが、彼らはこの湖においては生態系の頂点にある。それだけに放射線量は食物連鎖で凝縮されて体内に蓄積されることにより最も大きくなる。
 時間とともに減少すればという願いも虚しく、今年の6月末での測定でもなお、数百ベクレルの値を示しているという。

 問題は中禅寺湖のみではない。
 関東地区では唯一結氷した上で穴釣りができる赤城大沼のワカサギも今なお食用にはならないという。
 また、鮎漁の名所、栃木県の那珂川でも、鮎の線量は基準値を越えたという。ただし、鮎の場合には年魚と言われて一年ごとに個体が変わり、しかも川での移動が激しいため、その値はやっと落ちてきたらしい。 
 ただし、同じ那珂川でも、あまり移動をしないウグイでは今なお放射線量はさほど下がらないという。

 フクシマで被災した人たちは今なお大変だが、それに伴い、多くの家畜やペットが汚染地区に放置され死に至っている。立ち入りできないため、鎖に繋がれたままの犬などが餓死したという痛ましい話もザラだ。
 そして、そこからかなり離れた中禅寺湖や関東の湖沼、河川などでも、いまなお汚染が収まってはいないのが実状なのだ。
 水を掛けるだけの「除染」ならぬ「移染」ではどうにも解決はしないのだ。
 
 その折から、多くの原発が再稼働の動きを見せ、さらにこの国の総理大臣は重化学工業のセールスマンよろしく、原発の諸外国への売り込みに奔走している。
 何のためか。すべて「金」のためである。「金」は必要かもしれない。しかし、「金、金」と恥ずかしげもなく喚きたてる行為は醜い。ましてや国のトップがまずは「金」だと臆面もなく言い立てるなんて、この国はいつからこんなに品格のない国になったのだろうか。もちろん、なんとかミクスもつまるところ「金」の話である。

         

 「釣ったら放せ」が終わった同じ日の「朝日」にはコラムニストの天野祐吉氏が、添田唖蝉坊(1872~1944 明治・大正を通じて活躍した演歌師。「のんき節」「ラッパ節」など作品多数。幸徳秋水や堺利彦とも親交があったという)が1925年頃に作ったという「金々節」を紹介していた。
 それの一部を転載しておこう。

    金だ金々 金々金だ
    金だ金々 この世は金だ
    金だ金だよ 誰が何と言おうと
    金だ金だよ 黄金万能

    金だ力だ 力だ金だ
    金だ金々 その金欲しや
    欲しや欲しやの 顔色目色
    みやれ血眼 くまたか眼色

    一も二も金 三・四も金だ
    金だ金々 金々金だ
    金だ明けても 暮れても金だ
    夜の夜中の 夢にも金だ
             (以下略)

 共同体の成員がその未来をどう開いてゆくのかを論じ合うのが政治だというのはもはや空論となってしまった。まずは「金だ金々 金々金だ」なのであり、それがまた共同体成員間の格差の拡大などを増進する悲劇の循環を生み出しているのが現状なのだ。
 そして、その「金」の原則によって動くことこそが「政治」だという人たちがこの国の政治を牛耳っている。


   

 

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折り返しの日に 私の7月1日

2013-07-01 17:56:17 | よしなしごと
 一年の折り返しの日です。かといってどうということはないのですが、残された日々の少ない私にとっては「もう」という感があります。
 この日の約半日のメモのようなものです。
 写真はいずれも今日のものです。

           
             家の近くで見かけたツマグロヒョウモン 
               この前うちへ来たのと同じ個体か      


絶不調
 起床したらお腹がキリキリ痛みます。手洗いへ直行。それを手始めに数回。いずれも特急列車。
 朝食と昼食を抜きました。
 集落に医者が一軒もないようなところで育った私にとっての腹痛や下痢の治療法は、今生きていれば130歳をこえている祖母伝来のもの、すなわち、「落ち着くまで何も食うな」なのです。
 飲み物もそうでしょうね。コーヒーは避けて温かいお茶を飲んだのですが、すぐ調子がおかしくなりました。
 それでも、何も摂取しなかったおかげで、午後には多少落ち着き、空腹感のみが戻って来ました。

        
                 私の勇姿(?)

その前兆
 実は昨夜の就寝状態が良くなかったのです。
 6時間半ほどの間に、なんと数回目が覚めました。寝付きはそれほど悪くはないのですが、途中覚醒という悪い癖があるのです。
 いずれもが悪夢による目覚めです。
 いくつもの夢を見ましたが、大別して二つでした。ひとつはよくある、なかなか目的に到達できなくて焦りを誘うというものでした。
 そしてもうひとつは、とても人様には話せない自分の人格を疑うようないや~な後味のものでした。
 しかし、よく考えると、そうした「いや~な」要素は多分、まぎれもなく私の中にあるもので、それを嫌だとして抵抗を感じるのは、自分を聖人君子の側に置きたいというこれまた「いや~な」願望によるものかもしれません。

         
                見事なトマト畑      

脱税者
 少し身体が落ち着き、自分の部屋に戻り何気なしにいつも未決の書類を入れておく箱に目をやって、とんでもないものを見つけてしまいました。
 なんと、5月中に納税すべき自動車税の納付書がそこに鎮座していたのです。
 なんという罪深い行為でしょう。公民としての義務を果たさず、お上の決めた掟に逆らうなんて。
 早速自首することにしました。陸運局に電話をしたのです。
 窓口の担当者は軽快な口調で、「あ、これからで結構ですから納めて下さい」とのことです。
 「延滞金は?」という私の問いには、ナンバーなどを尋ねたあと、「あ、それでしたら必要ありません」といともあっさりしたもので「よろしくお願いします」と逆に頼まれてしまったのでした。

納税者
 こちらがミスをしたのに、逆に「お願い」されたりすると放おっておけないのが私の性分、空腹をおして、徒歩で10分ぐらいの銀行に納付に行きました。
 梅雨明け前というのに陽射しはすっかり夏のそれで暑かったのですが、適度に青田を渡ってくる風があり、まずまずの日和です。
 銀行の窓口のお姉さんも快く、「そうですよね。忘れることもありますよね」と受け付けてくれました。
 これで私も立派な納税者です。
 もうコソコソ帰らなくても、天下晴れて大道を闊歩できます。

        
              こういうのって好きだなぁ 
 
やっぱり道草
 といった次第で、せっかくここまで来たのだからと、ふらつく身体を支えながら、かつて「寿限無」(随分前に飼っていた犬)とよく散歩をした川の畔まで足を伸ばしました。
 しばらく来なかった間に確実に風景は変わっていました。田んぼの中に建つ今様の住宅はキラキラと輝いているのですが、なんとなくピンときません。 
 しかし、住んでいる人にとっては待望のマイホームでありそこが本丸なのですから野次馬の無責任男がごちゃごちゃいう筋合いは全くありません。むしろ、これら住宅が密集してくるにつれ、それらが自然になってくるのでしょう。
 考えてみれば、数十年前、私がこの地へ来た時にも、田んぼのなかの一軒家だったのですから。

  
              芭蕉とその実 よく見るとバナナですね

芭蕉はやはりバナナだった
 空腹での散策はやはり疲れます。あまり遠くまできて、帰りにぶっ倒れたりしたらと思い引き返そうとしたのですが、ふと見上げた芭蕉の立木になにやら変わったものが見えます。花のような実のような・・・。
 ラグビーボールを小さくしたようなもののもとの方に、可愛いものが並んでいて、それが紛れもなくバナナの赤ちゃんなのです。
 芭蕉が一年生の「草」で、その実がバナナだということは知っていましたが、恥ずかしながら古希を数年も越えようというのに、それを実際に見たのは初めてなのです。長生きはするものです(というほどのことではないか)。

        
              岐阜の寺々で鐘を撞くそうです

岐阜の空襲
 帰途、広報掲示板にこんなポスターを見かけました。
 疎開先の大垣から、「ああ、岐阜が燃えている」と半泣きになって眺めてからもう幾年になるのでしょう。
 岐阜は地方都市の割には徹底してやられ、市街のほとんどが消失し、千人に近い犠牲者を出したのでした。その日には、寺々から聞こえるという鐘の音に耳を澄ませたいと思います。

 
       リュウノヒゲの花               ムクゲの一番咲き
うちの花
 ヨレヨレになって帰宅しました。
 うちでも花が咲いていました。晩秋になると濃いマリーンブルーの真珠のような実になるリュウノヒゲ(ジャノヒゲ)の小さな小さな花です。
 もう一つはムクゲの一番咲きです。

終わりに
 これが折り返しの日の朝からの日記です。
 さて夕餉ですがどうしましょう。
 胃腸に優しいメニューを考えて作ろうと思います。
 その前に、やはりアルコールで消毒したほうがいいかどうか悩んでいます。


コメント (4)
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