一年の折り返しの日です。かといってどうということはないのですが、残された日々の少ない私にとっては「もう」という感があります。
この日の約半日のメモのようなものです。
*写真はいずれも今日のものです。
家の近くで見かけたツマグロヒョウモン
この前うちへ来たのと同じ個体か
■絶不調
起床したらお腹がキリキリ痛みます。手洗いへ直行。それを手始めに数回。いずれも特急列車。
朝食と昼食を抜きました。
集落に医者が一軒もないようなところで育った私にとっての腹痛や下痢の治療法は、今生きていれば130歳をこえている祖母伝来のもの、すなわち、「落ち着くまで何も食うな」なのです。
飲み物もそうでしょうね。コーヒーは避けて温かいお茶を飲んだのですが、すぐ調子がおかしくなりました。
それでも、何も摂取しなかったおかげで、午後には多少落ち着き、空腹感のみが戻って来ました。
私の勇姿(?)
■その前兆
実は昨夜の就寝状態が良くなかったのです。
6時間半ほどの間に、なんと数回目が覚めました。寝付きはそれほど悪くはないのですが、途中覚醒という悪い癖があるのです。
いずれもが悪夢による目覚めです。
いくつもの夢を見ましたが、大別して二つでした。ひとつはよくある、なかなか目的に到達できなくて焦りを誘うというものでした。
そしてもうひとつは、とても人様には話せない自分の人格を疑うようないや~な後味のものでした。
しかし、よく考えると、そうした「いや~な」要素は多分、まぎれもなく私の中にあるもので、それを嫌だとして抵抗を感じるのは、自分を聖人君子の側に置きたいというこれまた「いや~な」願望によるものかもしれません。
見事なトマト畑
■脱税者
少し身体が落ち着き、自分の部屋に戻り何気なしにいつも未決の書類を入れておく箱に目をやって、とんでもないものを見つけてしまいました。
なんと、5月中に納税すべき自動車税の納付書がそこに鎮座していたのです。
なんという罪深い行為でしょう。公民としての義務を果たさず、お上の決めた掟に逆らうなんて。
早速自首することにしました。陸運局に電話をしたのです。
窓口の担当者は軽快な口調で、「あ、これからで結構ですから納めて下さい」とのことです。
「延滞金は?」という私の問いには、ナンバーなどを尋ねたあと、「あ、それでしたら必要ありません」といともあっさりしたもので「よろしくお願いします」と逆に頼まれてしまったのでした。
■納税者
こちらがミスをしたのに、逆に「お願い」されたりすると放おっておけないのが私の性分、空腹をおして、徒歩で10分ぐらいの銀行に納付に行きました。
梅雨明け前というのに陽射しはすっかり夏のそれで暑かったのですが、適度に青田を渡ってくる風があり、まずまずの日和です。
銀行の窓口のお姉さんも快く、「そうですよね。忘れることもありますよね」と受け付けてくれました。
これで私も立派な納税者です。
もうコソコソ帰らなくても、天下晴れて大道を闊歩できます。
こういうのって好きだなぁ
■やっぱり道草
といった次第で、せっかくここまで来たのだからと、ふらつく身体を支えながら、かつて「寿限無」(随分前に飼っていた犬)とよく散歩をした川の畔まで足を伸ばしました。
しばらく来なかった間に確実に風景は変わっていました。田んぼの中に建つ今様の住宅はキラキラと輝いているのですが、なんとなくピンときません。
しかし、住んでいる人にとっては待望のマイホームでありそこが本丸なのですから野次馬の無責任男がごちゃごちゃいう筋合いは全くありません。むしろ、これら住宅が密集してくるにつれ、それらが自然になってくるのでしょう。
考えてみれば、数十年前、私がこの地へ来た時にも、田んぼのなかの一軒家だったのですから。
芭蕉とその実 よく見るとバナナですね
■芭蕉はやはりバナナだった
空腹での散策はやはり疲れます。あまり遠くまできて、帰りにぶっ倒れたりしたらと思い引き返そうとしたのですが、ふと見上げた芭蕉の立木になにやら変わったものが見えます。花のような実のような・・・。
ラグビーボールを小さくしたようなもののもとの方に、可愛いものが並んでいて、それが紛れもなくバナナの赤ちゃんなのです。
芭蕉が一年生の「草」で、その実がバナナだということは知っていましたが、恥ずかしながら古希を数年も越えようというのに、それを実際に見たのは初めてなのです。長生きはするものです(というほどのことではないか)。
岐阜の寺々で鐘を撞くそうです
■岐阜の空襲
帰途、広報掲示板にこんなポスターを見かけました。
疎開先の大垣から、「ああ、岐阜が燃えている」と半泣きになって眺めてからもう幾年になるのでしょう。
岐阜は地方都市の割には徹底してやられ、市街のほとんどが消失し、千人に近い犠牲者を出したのでした。その日には、寺々から聞こえるという鐘の音に耳を澄ませたいと思います。
リュウノヒゲの花 ムクゲの一番咲き
■うちの花
ヨレヨレになって帰宅しました。
うちでも花が咲いていました。晩秋になると濃いマリーンブルーの真珠のような実になるリュウノヒゲ(ジャノヒゲ)の小さな小さな花です。
もう一つはムクゲの一番咲きです。
■終わりに
これが折り返しの日の朝からの日記です。
さて夕餉ですがどうしましょう。
胃腸に優しいメニューを考えて作ろうと思います。
その前に、やはりアルコールで消毒したほうがいいかどうか悩んでいます。
この日の約半日のメモのようなものです。
*写真はいずれも今日のものです。
家の近くで見かけたツマグロヒョウモン
この前うちへ来たのと同じ個体か
■絶不調
起床したらお腹がキリキリ痛みます。手洗いへ直行。それを手始めに数回。いずれも特急列車。
朝食と昼食を抜きました。
集落に医者が一軒もないようなところで育った私にとっての腹痛や下痢の治療法は、今生きていれば130歳をこえている祖母伝来のもの、すなわち、「落ち着くまで何も食うな」なのです。
飲み物もそうでしょうね。コーヒーは避けて温かいお茶を飲んだのですが、すぐ調子がおかしくなりました。
それでも、何も摂取しなかったおかげで、午後には多少落ち着き、空腹感のみが戻って来ました。
私の勇姿(?)
■その前兆
実は昨夜の就寝状態が良くなかったのです。
6時間半ほどの間に、なんと数回目が覚めました。寝付きはそれほど悪くはないのですが、途中覚醒という悪い癖があるのです。
いずれもが悪夢による目覚めです。
いくつもの夢を見ましたが、大別して二つでした。ひとつはよくある、なかなか目的に到達できなくて焦りを誘うというものでした。
そしてもうひとつは、とても人様には話せない自分の人格を疑うようないや~な後味のものでした。
しかし、よく考えると、そうした「いや~な」要素は多分、まぎれもなく私の中にあるもので、それを嫌だとして抵抗を感じるのは、自分を聖人君子の側に置きたいというこれまた「いや~な」願望によるものかもしれません。
見事なトマト畑
■脱税者
少し身体が落ち着き、自分の部屋に戻り何気なしにいつも未決の書類を入れておく箱に目をやって、とんでもないものを見つけてしまいました。
なんと、5月中に納税すべき自動車税の納付書がそこに鎮座していたのです。
なんという罪深い行為でしょう。公民としての義務を果たさず、お上の決めた掟に逆らうなんて。
早速自首することにしました。陸運局に電話をしたのです。
窓口の担当者は軽快な口調で、「あ、これからで結構ですから納めて下さい」とのことです。
「延滞金は?」という私の問いには、ナンバーなどを尋ねたあと、「あ、それでしたら必要ありません」といともあっさりしたもので「よろしくお願いします」と逆に頼まれてしまったのでした。
■納税者
こちらがミスをしたのに、逆に「お願い」されたりすると放おっておけないのが私の性分、空腹をおして、徒歩で10分ぐらいの銀行に納付に行きました。
梅雨明け前というのに陽射しはすっかり夏のそれで暑かったのですが、適度に青田を渡ってくる風があり、まずまずの日和です。
銀行の窓口のお姉さんも快く、「そうですよね。忘れることもありますよね」と受け付けてくれました。
これで私も立派な納税者です。
もうコソコソ帰らなくても、天下晴れて大道を闊歩できます。
こういうのって好きだなぁ
■やっぱり道草
といった次第で、せっかくここまで来たのだからと、ふらつく身体を支えながら、かつて「寿限無」(随分前に飼っていた犬)とよく散歩をした川の畔まで足を伸ばしました。
しばらく来なかった間に確実に風景は変わっていました。田んぼの中に建つ今様の住宅はキラキラと輝いているのですが、なんとなくピンときません。
しかし、住んでいる人にとっては待望のマイホームでありそこが本丸なのですから野次馬の無責任男がごちゃごちゃいう筋合いは全くありません。むしろ、これら住宅が密集してくるにつれ、それらが自然になってくるのでしょう。
考えてみれば、数十年前、私がこの地へ来た時にも、田んぼのなかの一軒家だったのですから。
芭蕉とその実 よく見るとバナナですね
■芭蕉はやはりバナナだった
空腹での散策はやはり疲れます。あまり遠くまできて、帰りにぶっ倒れたりしたらと思い引き返そうとしたのですが、ふと見上げた芭蕉の立木になにやら変わったものが見えます。花のような実のような・・・。
ラグビーボールを小さくしたようなもののもとの方に、可愛いものが並んでいて、それが紛れもなくバナナの赤ちゃんなのです。
芭蕉が一年生の「草」で、その実がバナナだということは知っていましたが、恥ずかしながら古希を数年も越えようというのに、それを実際に見たのは初めてなのです。長生きはするものです(というほどのことではないか)。
岐阜の寺々で鐘を撞くそうです
■岐阜の空襲
帰途、広報掲示板にこんなポスターを見かけました。
疎開先の大垣から、「ああ、岐阜が燃えている」と半泣きになって眺めてからもう幾年になるのでしょう。
岐阜は地方都市の割には徹底してやられ、市街のほとんどが消失し、千人に近い犠牲者を出したのでした。その日には、寺々から聞こえるという鐘の音に耳を澄ませたいと思います。
リュウノヒゲの花 ムクゲの一番咲き
■うちの花
ヨレヨレになって帰宅しました。
うちでも花が咲いていました。晩秋になると濃いマリーンブルーの真珠のような実になるリュウノヒゲ(ジャノヒゲ)の小さな小さな花です。
もう一つはムクゲの一番咲きです。
■終わりに
これが折り返しの日の朝からの日記です。
さて夕餉ですがどうしましょう。
胃腸に優しいメニューを考えて作ろうと思います。
その前に、やはりアルコールで消毒したほうがいいかどうか悩んでいます。