*写真は直接関係ありません。
現今の政治は一応いう。あなたたちを生かしましょうと。
ただし、これは生物学的な生(ゾーエー)を保証するということである。
しかしこれとて、その圏外、つまり生物学的生すら保証しない部分を常に含んでいる。
はっきりいってお札を刷り増してインフレを誘導しようとするアベノミクスは、どうやっても収入の伸びる余地のない人々を直撃し、生物学的生の限界にまで追い詰めている。
福祉の後退で老人医療の一割負担は二割になるという。
たかが一割と思うのは素人の赤坂見附である。
ようするに、老人の医療費が現今の倍になるということなのだ。
その他に、片山さつきが芸人を相手取って鬼の首を取ったようにキャンペーンを張ったおかげで、本来、生活保護の対象である人達は萎縮し、申請すらままならない状況に置かれている。
そして、来春の消費税の値上げだ。
汗水たらして働いた年金の相対的価値はドンドン低下してゆく。
私の場合は1ヶ月で8万数千円ほどの年金で、それが上記のような値上げラッシュにさらされるのだから生活が豊かになる保証なんて全くない。これまでの預貯金を取り崩しながら、「どちらが先に駆けつくか」でタケノコ生活で死へと向かうほかはない。
私のようなへそ曲がりは別として、老人はあまりものをいわないし、その機会も少ない。だからお上はやりたい放題なのだ。
老人に厳しいだけではない。いまばらまいて株価の上昇をさせているのはすでにいったように、裏付けなきお金の増刷で、いってみれば担保なきローンでどんどんものを買ってるようなものだ。
しかし、それらはいずれは返却し辻褄を合わせねばならない。それはこれからの若い世代の予めの借金として積み上げられる。
ようするに、これからという若い人たちの懐に手を突っ込んでその金を先行して使っているようなものなのだ。
こうした先送りの発想は彼らは得意中の得意である。現状ではどうしても処理しようのない原発の核廃棄物を、無策なままに次代へ押し付けて平気の平左なのだ。
そこにあるのは「そのうちなんとかなるだろう」という責任回避であり、そんなことより「当座の金だ」という欲望の肥大でしかない。これに対して若い人たちがなぜもっと怒りを覚えないのかがよくわからない。おそらく当面を糊塗する消費経済のうちに彼ら自身がどっぷり浸かってしまっているからだろう。
こうしたいいとこどりの「あとは野となれ」がなんとかミクスだが、それは未来への禍根を残すのみならず、どこをみても、現状の格差社会の解消の要因はない。むしろ自己責任論による拡大の気配すらある。
さあ、金儲けの機会は作ってやった、あとは自分で何とかしろだ。
私の愚痴に対して「お前も投資活動をすればいいじゃないか」といった人がいるが、そんな甘言に乗ったら、虎の子を盗られて死期を早めるだけだ。
ここ何十年来、我国の自殺者は3万人を越えているという。
これ自身すごいと思うし、先進国中でも稀有の数字である。
しかし報道されていない事実がある。
3万人は実際に死に至ったに数に過ぎず、自殺未遂者も含めるとその10倍の30万人だというのだ。
確かにすべてが貧困のせいではないだろう。しかしこの国には千人に三人ほどの割合で死んだほうがマシだと思っている人達がいることを忘れるべきではない。
それほど未来は暗いのだ。
こうした状況の背景には、誰を生かし、誰を見捨てるのかといった傲慢な生命観が見て取れる。
先にみた片山某の生活保護の見直し(これは今回の自民党の公約にも入っている)にも仄見えるのだが、つい最近、全く驚くべき状況が現れ、さすがに話題になった。
それは、安藤美姫さんの出産に関し、「週刊文春」が行った「出産是か非か」というアンケートだ。それを知って絶句した。なんという馬鹿な!反対が多かったら子供を殺すつもりなのか!子供を育てながら現役を続けるって立派なことではないのか?それが出来る世の中でなければいけないのではないのか?
新しい命がこの世界に誕生することはひとつの可能性が世界に加わったということなのだ。とやかく言う前にまず祝福すべきなのだ。
ここにも生命観に対する傲慢が満ち溢れている。
そしてそれは、「金が第一」という拝金主義的信仰(普通は「経済改革」などという薄化粧をしている)と相まって、誰を生かし、誰を見捨てるのかという命の選択を日常化しているのだ。
未来を開くのは「なんとかミクス」の「金談義」ではない。老若男女がこの共同体にどのような希望を託してゆけるかのイメージなのであり、それを論議するのが政治の場であると思うのだが、いまや政治は完全に当面の「お金儲け」の話に堕してしまっている。
卑しむべき状況である。
そんなものに加担するぐらいなら、「武士は食わねど高楊枝」のやせ我慢の方に身を寄せたい。
現今の政治は一応いう。あなたたちを生かしましょうと。
ただし、これは生物学的な生(ゾーエー)を保証するということである。
しかしこれとて、その圏外、つまり生物学的生すら保証しない部分を常に含んでいる。
はっきりいってお札を刷り増してインフレを誘導しようとするアベノミクスは、どうやっても収入の伸びる余地のない人々を直撃し、生物学的生の限界にまで追い詰めている。
福祉の後退で老人医療の一割負担は二割になるという。
たかが一割と思うのは素人の赤坂見附である。
ようするに、老人の医療費が現今の倍になるということなのだ。
その他に、片山さつきが芸人を相手取って鬼の首を取ったようにキャンペーンを張ったおかげで、本来、生活保護の対象である人達は萎縮し、申請すらままならない状況に置かれている。
そして、来春の消費税の値上げだ。
汗水たらして働いた年金の相対的価値はドンドン低下してゆく。
私の場合は1ヶ月で8万数千円ほどの年金で、それが上記のような値上げラッシュにさらされるのだから生活が豊かになる保証なんて全くない。これまでの預貯金を取り崩しながら、「どちらが先に駆けつくか」でタケノコ生活で死へと向かうほかはない。
私のようなへそ曲がりは別として、老人はあまりものをいわないし、その機会も少ない。だからお上はやりたい放題なのだ。
老人に厳しいだけではない。いまばらまいて株価の上昇をさせているのはすでにいったように、裏付けなきお金の増刷で、いってみれば担保なきローンでどんどんものを買ってるようなものだ。
しかし、それらはいずれは返却し辻褄を合わせねばならない。それはこれからの若い世代の予めの借金として積み上げられる。
ようするに、これからという若い人たちの懐に手を突っ込んでその金を先行して使っているようなものなのだ。
こうした先送りの発想は彼らは得意中の得意である。現状ではどうしても処理しようのない原発の核廃棄物を、無策なままに次代へ押し付けて平気の平左なのだ。
そこにあるのは「そのうちなんとかなるだろう」という責任回避であり、そんなことより「当座の金だ」という欲望の肥大でしかない。これに対して若い人たちがなぜもっと怒りを覚えないのかがよくわからない。おそらく当面を糊塗する消費経済のうちに彼ら自身がどっぷり浸かってしまっているからだろう。
こうしたいいとこどりの「あとは野となれ」がなんとかミクスだが、それは未来への禍根を残すのみならず、どこをみても、現状の格差社会の解消の要因はない。むしろ自己責任論による拡大の気配すらある。
さあ、金儲けの機会は作ってやった、あとは自分で何とかしろだ。
私の愚痴に対して「お前も投資活動をすればいいじゃないか」といった人がいるが、そんな甘言に乗ったら、虎の子を盗られて死期を早めるだけだ。
ここ何十年来、我国の自殺者は3万人を越えているという。
これ自身すごいと思うし、先進国中でも稀有の数字である。
しかし報道されていない事実がある。
3万人は実際に死に至ったに数に過ぎず、自殺未遂者も含めるとその10倍の30万人だというのだ。
確かにすべてが貧困のせいではないだろう。しかしこの国には千人に三人ほどの割合で死んだほうがマシだと思っている人達がいることを忘れるべきではない。
それほど未来は暗いのだ。
こうした状況の背景には、誰を生かし、誰を見捨てるのかといった傲慢な生命観が見て取れる。
先にみた片山某の生活保護の見直し(これは今回の自民党の公約にも入っている)にも仄見えるのだが、つい最近、全く驚くべき状況が現れ、さすがに話題になった。
それは、安藤美姫さんの出産に関し、「週刊文春」が行った「出産是か非か」というアンケートだ。それを知って絶句した。なんという馬鹿な!反対が多かったら子供を殺すつもりなのか!子供を育てながら現役を続けるって立派なことではないのか?それが出来る世の中でなければいけないのではないのか?
新しい命がこの世界に誕生することはひとつの可能性が世界に加わったということなのだ。とやかく言う前にまず祝福すべきなのだ。
ここにも生命観に対する傲慢が満ち溢れている。
そしてそれは、「金が第一」という拝金主義的信仰(普通は「経済改革」などという薄化粧をしている)と相まって、誰を生かし、誰を見捨てるのかという命の選択を日常化しているのだ。
未来を開くのは「なんとかミクス」の「金談義」ではない。老若男女がこの共同体にどのような希望を託してゆけるかのイメージなのであり、それを論議するのが政治の場であると思うのだが、いまや政治は完全に当面の「お金儲け」の話に堕してしまっている。
卑しむべき状況である。
そんなものに加担するぐらいなら、「武士は食わねど高楊枝」のやせ我慢の方に身を寄せたい。