六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

美しさについて

2012-12-15 18:06:37 | よしなしごと
          
                  岐阜県立美術館への道
 
 多和田葉子さんのエッセイを読んでいたら、以下の様な文章が。
 全く同感なのだが、自分がそれ相当の年令になってしまったからなのかなぁと思っていた。
 しかし、そうではないという確信が持てるようになって安心した。
 
  「高齢の女性が美しいと、見ているだけで私も生命がぴんと張ってくる。種を増やすことが先決の問題であった時代には、生殖に適した年齢の女性が美しく見えたというのもうなずけるが、思考することが先決問題となってきた今の時代、ものを考える人間が美しく見えてくる。」

  ついでに同じく多和田さんのそれからの引用。

  「日本のほうが若い女性がデビューしやすい(小説家として)が、それは《感性》というものが誤解されているからに過ぎない。思考なくして感性などありえないのに、感じることは考えないことだと思っている人がたくさんいる。だから、ものをあまり考えず、世界を身体でとらえ、ミズミズシイ感性とかいうものを持っていることにさせられている若い女の子が書いた小説、という腰巻をつけられて小説が売られる。」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんなこともあるという本の話二題

2012-12-13 17:13:52 | よしなしごと
 いちど時間を見てじっくり探索したい古書店の前を通りかかりました。
 今回は時間がなかったので軒下の100円均一のワゴンセールのみ見ました。
 かつてのベストセラーなどがハウ・ツーものと一緒に並んでいます。
 やはり大したものはないなと思ったのですが、念のため文庫本のところを見ました。
 そしたらそこに、ちょうど読んでみなければと思っていた本があったのです。

 ギリシャ悲劇、ソポクレスの『オイディプス王』です。
 そしてなんとその隣には、その続編たる『コロノスのオイディプス』もあるのです。
 早速抜き出してレジへ持って行き、200円を払いました。
 そうしたら、レジのお姉さんは百円玉一枚を押し戻してよこすのです。
 よく50円玉と間違えたりするのでそのせいかと思いよく見ましたが100円玉です。
 お姉さんいわく、「これは2冊で100円です」。
 えっ、えっ、えっ、なんという僥倖。

      

 持ち帰って調べましたが、前者は鉛筆の書き込みはあったものの、後者はほとんど未読状態です。
 しかも、昭和48年当時の初版、第一刷です。
 それぞれ、本の背の下方と奥付の定価のところには黒い星(★)がひとつ付いています。
 当時の価格表示は、この星1つがいくらとなっていました。
 発行年から見ると前者は50円で、後者は50円か70円かは微妙です。
 というのはこの年から、星1つが50円から70円に値上げされたからです。
 4月16日発行ですからたぶん70円だったのでしょう。

 なぜこれらかというと、たぶん前者はもう50年ほど前に読んでいるはずなのですが、その後、精神分析の「エディプス・コンプレックス」の資料的な扱いの言説に慣れてしまっていたので、この悲劇自体をちゃんと読みなおしてみたいと思っていたのです。
 それに加えて、その続編の『コロノスのオイディプス』(たぶん未読)まで手に入るなんて。
 前者は読了しましたが、はたしていろいろ新しい発見がありました。もう一度読み直したら何か書けそうに思います。

        

 さて、もうひとつの本にまつわる話題です。
 昨12日は返却日でしたので、残雪の中、県立図書館に行きました。
 返却する際、予約してあった一冊の本がまだかを確かめましたが「もう少しお待ちください」とのことでした。
 諦めて、その他、今興味がある問題に集中して数冊を借りてきました。
 返却は来年の1月6日です。

 で、今日のことです。電話が鳴ったのでとりました。
 「こちらは県立図書館です」
 と、聞いた途端に思わず笑い出してしまいました。
 案の定、
 「ご予約の本がご用意できました」
 との知らせ、私の笑いは止まりません。
 「実はですねぇ、私、昨日そちらへおじゃましたのですよ」
 というと、そのお姉さん、やたら恐縮して
 「それはどうももうしわけありません」
 「いやいや、あなたのせいではなくこれも時の運ですから」
 と笑いながら話す私につられてそのおねぇさんも、
 「そんなことってあるんですねぇ」
 と笑い含みの声。

 この寒空の中、また出かけねばならないのはちとしんどいが、これも致し方ないでしょう。
 あの、オイディプスの悲劇に比べれば・・・ってそんなに簡単に比較してはいけませんね。


ゲットした本
   ソポクレス『オイディプス王』 藤沢令夫:訳 (岩波文庫)
   同『コロノスのオイディプス』 高津春繁:訳 (岩波文庫) 
 
オイディプスの悲劇は痛切ではあるが、読んでいてどこかエロスを感じてしまう。フロイトもそのへんから「エディプス・コンプレックス」を発想したのではあるまいか。


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬でも元気な野菜談義

2012-12-12 14:33:29 | 写真とおしゃべり
           
        これは野菜ではないが絞り汁をドレッシングに使うと爽やかになる

 生きとし生けるものがみな萎縮する冬、などと考えがちですが、極寒や豪雪地方はいざしらず、こと野菜に関しては意外と豊富なのです。スーパーで、年がら年中並んでいるような工場生産に似た野菜に埋もれている私達にはわかりにくいのですが、路地物を中心とした農協の野菜売り場などへゆくと、冬野菜の豊富さががよくわかります。
 以下は12月8日、私が農協の野菜売り場で買ったものの一覧です。
 少し買いすぎですが、寒いのであまり何度も行きたくないのです。

白かぶ中玉5個葉付き 100 赤かぶ中玉4個葉付き 100 里芋10個 200 キャベツ中玉 80 春菊一束 80 大根葉一束 50 ネギ中細10本ぐらい 80  *白菜中 150 ほうれん草一束 100 水菜一束 80 みかん10個 150 (単位は全て円です)

 以上11点、しめて1,170円でした。
 事後の報告です。
 白菜は漬け込みました。そろそろ漬かる頃です。
 白カブも漬けました。ちょうどいい塩加減で昨日から食べています。
 赤かぶは、今季二度目の千枚漬けにしました。
 漬かり過ぎないほうが美味しいので、もうほとんど無くなりそうです。

 春菊はすり胡麻を効かせた白和えにしました。
 大根葉は厚揚げを小さく切ったものと一緒に炊き合わせました。
 赤かぶの葉はちくわの小口切りと一緒に炊き合わせました。
 ほうれん草はもちろんさっと湯がいてお浸しです。
 みかんはお茶うけです。

 最初に書いたように、冬でも野菜は元気なのです。
 以下に、雪がふる前、先週撮った路地物の野菜を紹介します。
 都会に住んでいる皆さん、どれだけお分かりでしょうか。
 それらの名前は、末尾に書いておきます。

前にも書きましたが、相方に先立たれたか逃げられたような顔つきで行くと、農協のおばさんは親切にしてくれます。値引きもしてくれます。上の大根葉は70円でしたが、少ししおれているからと20円引いてくれました。帰ってから水に浸したら、何のことはないとれとれの状態になりました。
 

 
   

     

     

   

   

      野菜の名前は、 白菜・ほうれん草
             サニーレタス・青梗菜
             大根・人参
             ねぎ・キャベツ
             ブロッコリー・キュウイ

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仲睦まじきはよきこと哉

2012-12-10 14:30:51 | よしなしごと
       

 私の部屋のすぐ前、さっき雪の塊がバサッと落ちたばかりの枝へ、キジバトのつがいが遊びに来てくれた。なんという仲睦まじさ。メスの手前に枯枝があるのが惜しい。
 雪模様の寒々しく淀んだ風情の中、そこだけ明るく微笑ましかった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【気まぐれ絵日記】師走の雪のサンディ

2012-12-10 03:59:40 | よしなしごと
 12月9日は漱石忌でしたが、同時に、30年間今池のとあるビルの地下で、私とともに営業をしていたスナックのマスターの一周忌でもありました。
 やんちゃで鼻息が荒い人でしたが、裏表はなく、その分どこか可愛いところのある人でした。私のことも、ほとんど義理の兄貴のように扱ってくれました。

 
    取り壊し中の大名古屋ビルヂング         名古屋駅構内の賑わい
 
 毎年今池祭りでは、本部の受付に詰めていました。それが20年以上でしたから大したものです。
 なくなるほぼ2ヶ月前の、昨年もちゃんとそこにいました。
 ただし、もう癌に蝕まれていてすっかり痩せ、本人も弱気なことをいっていましたので、兄貴風を吹かせて、「あんたにはそんな言葉は似合わないな。まだまだいくらでも養生の仕方があるはずだから、くだらんことは言うな」と言い聞かせたのでした。

 
      ここだけ閑散やがて撤去か         そういえばX'mas 関係ないけど

 近親者によると、抗癌剤を服用し始めてからドンと容態が変わったようなのです。
 むろん医学には暗いので一方的なことはいえませんが、私の近辺では、抗癌剤がかえって悪く作用をした例、抗癌剤をやめて、あるいはそれを拒否してかえって良くなった例が散見できるのです。

 この辺りは専門家の間でも諸説あるようで、新聞広告では「抗癌剤は毒薬だ」といった主旨の書物の広告をしばしば見かけます。
 やはりちゃんとした検証が行われるべきだと思います。

    
     岐阜ヘ着いたら雪が降っていた      雪中のイルミネーション@岐阜駅

 閑話休題です。ちょっとまとまった雪が振りました。
 これまで風花程度で、地表が白くなるような降りはなかったのですが、今回は少しまとまって降りました。

 午後4時に岐阜の自宅を出て名古屋での集まりに参加したのですが、でがけに急に横なぐりの雪が降り出し、田圃のハズレでバスを待っていた私のコートは瞬く間に白くなりました。
 JR東海道線に乗ったのですが、一宮のあたりまではちらついていた雪も、名古屋ではその気配はありませんでした。

    
        雪のイルミ その2           雪に耐えるナンテン   

 それからの集まりは9時少し前に終わったのですが、やはり名古屋駅周辺では雪は見当たりません。
 この分では止んでくれたのかなと思って岐阜へ着いたら一面の銀世界です。
 とはいえ三センチほどでしょうか。朝日に溶けるぐらいです。
 しかし、バスは数分の遅れでした。

 ちらつく程度でしたから、これでおしまいかなと思い、帰宅後、コーヒー等をのみ、風呂へ入り、部屋にこもってメールの点検などをし、今日撮ってきた写真を携帯からパソに取り込んだりしました。
 で、どんな具合かなとカーテンの間から外を眺めて驚きました。
 あれからまた降ったのでしょう。さっきの2倍位以上に積雪が増えていました。
 そしてまだまだ降りつのっています。

 
        自宅の窓から・1            窓から・2 田圃とバス通り

 子供の頃は雪が降ると心が踊ったものですが、いまはそれほどでもありません。
 しかし、全く嫌いなわけでもありません。
 それどころか、雪の時期に全く降らないとなんだか寂しくもあります。
 豪雪で被害が出ている地方の方には申し訳ない話ですね。

 亡くなった父の故郷、福井県の山あいは豪雪地帯でした。
 雪下ろしの雪に囲まれて二階からの出入りはふつうのことだったといいます。
 38豪雪(1968年)で福井市内でも2mを超えた積雪は、父の故郷では累積で3mを超え、集落全体が孤立し、その状態がかなり続いたため、自衛隊のヘリが生活必需品を運びました。

 例によって、話が散漫になりました。
 師走の雪のサンデーの気まぐれ雑感です。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【ある現実逃避?】静寂の至福

2012-12-08 02:08:12 | インポート
 写真は本文と関係ありません。「名残の紅葉と落ち葉@鎮守の森にて」

 現代人というのはなんと静寂に恵まれていないことでしょう。
 どこか隔離された空間でひとりで読書や瞑想(私は苦手なのですが)をしていない限り、私たちは否応なしに、ある種応答を迫るような音に取り囲まれています。ましてや他者とともに、ほとんど無音の空間の中にいる機会は少ないと思います。

 私は時折、それに似た静寂を経験することがあります。
 今春、それまでいっていた理髪店が廃業したため、新しく探し当てたところがそんな場所なのです。
 前にも一度書きましたが、その理髪店は聴覚障害者の人がやっているのです。
 彼はただ黙って働くのみで話しかけたりしません。
 もちろん、BGMもなくTVからの音もありません。
 正確にいうと受像機はあるのですが、ここ数回訪れた折、それがつけられていたことは一度もありません。
 当初私は、この話しかけられずに済むということに大いなメリットを見出しました。

 

 昔いっていた「床屋のおやじ」は、饒舌な人で(もちろん悪気はないのですが)、よく話をしました。
 たいていは近所の噂話のようなものですが、よく考えればほかの客に対しては私が俎上に上る可能性もあり、うかつなことはいえないのです。
 また、世上のニュース・ネタに関しても、彼の素朴でナイーヴな価値観や倫理観が何の疑いもなく吐露され、それへの同意を求められる場合もしばしばでした。
 今頃はさしずめ、ご政道むきや選挙がらみの話題になっていることでしょう。

 その話に同意はできず、かといって改まって反論するのも大人気ない(それに相手は刃物を持っている)ので、曖昧にごまかすのですが、どうしても後味の悪いものが澱のように残ってしまいます。
 そこへゆくと、この新しい理髪店は、そうした災難から無縁です。

   

 最初の私の評価はそうした消極的なものでした。
 しかし今は違います。
 この静寂を、日常では得難いものとして享受したいと思うようになったのです。
 
 もちろん、全くの無音ではありません。
 彼がかいがいしく仕事をする音、使っている道具の音、そして、彼の息遣いもかえってはっきり聞こえます。
 また、防音設備をした店舗ではありませんから、ときおり走る車の音や、下校時の生徒たちの声高な会話も侵入してきます。

 

 しかし、彼と私はそれを共有していないのです。
 彼は私の頭に集中し、私は心を開いてそれらの音自身を聞き流せばよいのです。
 その音を介しての応答や、ともにその音を聞く者として相手を意識した反応などはまったく必要ないのです。
 繰り返しますが、無音というわけではないのですがそれが私にとっては得難い静寂なのです。

 やがて音は、脈絡のない自由旋律の音楽のように私の肉体を通り過ぎてゆきます。
 それらの音との関係は、自宅でこうしてこの文章を書いている折の道路の方から聞こえてくる音や、遠くで響くサイレンの音などとも幾分違うのです。
 それはおそらく、自分が何かを能動的にしていてそのかたわら聞こえてくる音と、理髪店の椅子にただ受動的に身を任せて音そのものに浸っていることとの違いかも知れません。

 

 昨日行って来ました。
 おそらく今年はこれで最後でしょう。
 布団に入って寝ようとしたらやたら寒くて身震いするくらいでした。たかが何センチか髪を切っただけでこんなにも違うのだなぁと実感した次第です。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱりお歳暮は・・・いえ、私によこせといっているのではありません。

2012-12-06 16:04:42 | よしなしごと
 またぞろ、不眠と途中覚醒で睡眠不足気味。
 起きれば起きたで、各紙の世論調査は「自民圧勝」とか。
 ご政道向きは不快、不可解が多すぎるので、不眠のなかで考えたこんなパロディでも載せてみるか。

            

《ドラマ『相棒』の杉下右京(水谷豊)風に》
 
 「ア、もう一つだけお伺いしたいことがありますが、よろしいでしょうか」
 「ええ、捜査のお役に立つようでしたらなんなりとどうぞ」
 「そういえばあなたは、被害者のAさんを尊敬し、敬愛しているとおっしゃっていましたねぇ」
 「その通りです。今日、私がこうしていられるのもみんなAさんのお陰ですから」
 「そうですか。それじゃぁ、さしずめ、盆・暮のご挨拶などはちゃんとなさっていたのでしょうね」
 「・・・・・・・・・・・・」
 「オヤ、お顔の色が優れませんねぇ」
 「イヤ、別に・・・・・」
 「賢明なあなたは、これから私が言おうとすることがもうお分かりになった。だからお顔の色が変わったのではありませんか」
 「何のことをおっしゃっているでしょう」
 「それでは、具体的にお尋ねしますが、あなたはこの暮れ、Aさんにお歳暮をお贈りになりましたか」
 「そ、それは・・・」
 「お送りになってはいませんねぇ。Aさんの奥様はそういえば今年はあなたからはいただいていないとおっしゃっています。あなたはAさんを恩人として敬愛している。そして毎年、盆・暮にはちゃんとご挨拶のものをお贈りになっていらっしゃった。それなのに今年はお贈りにならなかった。いったいなぜなのでしょう」
 「イヤ、贈ろうとしたのだが、たまたま忘れただけです」
 「ほう、たまたまねぇ。確かに忘れるということもありますねぇ。では、ちょっとご覧いただきたいのですが、ここにあるのはあなたがMデパートからお送りになったお歳暮の送付先リストの控えです。あなたは毎年、Mデパートからお送りになっていますから、デパートの方から予め昨年の送付先リストが送られてきます。それに従ってあなたは転居されたところを訂正したり、あるは新しい送り先を加えてご注文されているのではありませんか」
 「・・・・・・・・・・・・」
 「オヤ、ますますお顔の色が冴えませんねぇ。ところで、この注文のリストですが、どういうわけかAさんの蘭がわざわざ消してあります。ということはつまり、Aさんへのお歳暮は忘れていたのではなく、今年はしないことにお決めになったのではありませんか。では、いったいなぜそうなさったのでしょうねぇ」
 「・・・・・・・・・・・・」
 「お答えいただけませんか。それでは私が申し上げましょう。あなたはAさんを敬愛などしていなかった。だからこれ以上お歳暮など送る必要を感じなかった。これがひとつの答えです。
 そしてもうひとつ、これが肝心なのですが、あなたはお歳暮が着く頃、もうAさんはこの世にいらっしゃらないことを知っていた。だからそれを贈る必要を認めなかった」
 「そ、そんなことあるはずが・・・・・」
 「いいえ、あなたはちゃんとそれを知っていたのです。なぜなら、Aさんを殺害したのはあなただからです」
 「ち、違うっ」
 「そうでしょうかねぇ。いつもと同じように贈っておけばこんなふうに私の目にもとまらなかったのに、それをなさらなかったのは合理主義者のあなたが幾ばくかの金額を節約なさったからでしょうか、あるいは、もうこれ以上Aさんに贈り物などしたくはないという強烈な感情がおありになったからでしょうか、おそらくはその両方でしょうねぇ」
 「た、たしかに私がお歳暮を贈らなかったのは事実だ。しかし、それは私がAを殺した証拠にはならない」
 「オヤオヤ、さっきまでAさんだったのがもう呼び捨てですか。確かに、このお歳暮についての事実は証拠にはなりません。しかし、あなたが主張されていた、Aさんを尊敬し敬愛していらっしゃった、したがってあなたには動機がないという主張は完全に崩れました。実際には、Aさんとの間に深刻な葛藤を抱えていらっしゃったようですねぇ。
 これを前提にさらに調べさせていただいたら、きっと面白い事実がいろいろ出てくるかも知れませんよ」
 「・・・・・・・・・・・・」

 (この話の結末? そんなもの知りません。・・・・六)



【宣伝です】 
 これをお読みになっている推理小説や推理ドラマの作家の皆さん、このアイディアをお買いになりませんか。定価は十万円ですが、割引や分割払いにも応じます。また、ただいまポイント10倍セールもいたしておりますのでこの機会にどうぞ。
 なお、会員登録されますと、他に密室、アリバイ、どんでん返しのどんでん返しのどんでん返しの、も一つおまけのどんでん返しなど、ご要望に応じて在庫の中から色々なアイディアをお選びいただけます。
 なお当店在庫のアイディアやトリックの品質につきましては、ここ30年来の「江怒川乱保賞」受賞の8割の作家の皆様方がご利用いただいたことでもお分かりいただけると思います。
 詳しくは、明日の各紙朝刊折込みをご覧下さい。

                   不眠の友本舗
                    「犯罪者と探偵は夜眠らない」係

 
 



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「とりがとりもつ縁かいな」 らいてうと悟堂 山下桐子さんのエッセイから

2012-12-04 01:40:23 | 書評
 平塚らいてう(1886ー1971)については日本で最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』の創始者であり、「元始女性は太陽であつた」と高らかに宣言した(1911年)ひとで、日本での女性解放運動、フェミニストの走りであるぐらいのことは知っていたが、それぐらいにとどまっていた。
 ついでながら、しばらく前、何かの文章で現在のジェンダー論者が、「平塚らいてうはすでにのりこえられた」と書いているのを読んで、「オイオイ、100年前の、明治憲法下で始められた運動をのり越えたも何もないだろう」と思ったこともあった。

          

 中西悟堂(1895ー1984)についても知るところは少ない。
 歌を詠むなど文芸肌でありながら同時に野鳥の世界に造詣が深く、日本野鳥の会の偉い人(創始者にして初代会長)だったぐらいは知っていた。
 年表を見ると、私が少年だった頃の1950年代に、集中して野鳥を始め生き物のいろいろな分野にわたる子供向けの啓蒙的な書をたくさん書いているので、そのうちの1、2冊は読んでいるかもしれない。
 
 ついでながら、今ではどんな辞書にでも載っている、「野鳥」とか「探鳥」という言葉はこのひとの造語であるという。
 「哲学の仕事は概念の創造である」といったのはドゥルーズだったろうか。哲学ではないにしろ、その意味では中西悟堂の仕事は確実に一つの分野を創造したといえる。

           
 
 最近、不明にして漠然としか知らなかったこの両者を結びつけるような文書に出会った。
 『地中海歴史風土研究誌』(第36号)所収の「鳥のこぼれ話(11)---中西悟堂と平塚らいてう---」で、筆者はやはり野鳥の研究家、山下桐子さんである。

 それによれば、らいてうと悟道は自然を介して親交を深めながら、やがては互いのありように信頼を寄せ合う関係になったという。
 この二人の出会いは、一説によれば、らいてうの若い恋人であった画家の奥村が、悟堂の催した第一回の探鳥会に参加したことによるものらしいが、それだけではあるまいと思われる。
 余談だが、今はほとんど廃れた「若い燕」という表現は、らいてうと奥村の関係に端を発するものであり、奥村の手になる別れの手紙の「静かな水鳥たちが仲良く遊んでいるところへ一羽の燕が飛んできて平和を乱してしまった。若い燕は池の平和のために飛び去っていく」という文章から喧伝されるようになったものらしい。

 悟堂とらいてうの出会いは必ずしもこの「燕」氏の介在によるものばかりでもあるまいと書いたが、それはこの二人がともに実に豊富な人脈をもっていたからである。
 山下さんのエッセイに紹介されているように、悟堂が催した第一回探鳥会のメンバーはまさに瞠目に値する。
 それらの一端を山下さんにしたがって列挙してみよう。
 ・柳田国男(民俗学)・北原白秋(詩人)・金田一京助、春彦(言語学)・若山牧水(歌人)夫人・窪田空穂(歌人)、英文学者、動物学者、鳥類学者、加えてらいてうの「燕」奥村博史(画家)etc.etc.
 なんという人脈であろうか。

 一方、らいてうの方も負けてはいない。
 ・森田草平(小説家)・与謝野晶子(歌人)・岡本かの子(小説家、詩人)・伊藤野枝(辻潤、大杉栄などと同棲、関東大震災の折、大杉栄などと甘粕大佐によって虐殺された)・市川房枝・山川菊栄・高群逸枝etc.etc.
 やはり多士済々で、森鷗外をして「樋口一葉さんが亡くなってから、女流のすぐれた人を推すとなると、どうしても此人」と言わしめたほどである。
 したがってこの両者の出会いはいくつもの接点をもっていたとしてもなんの不思議もない。

 これらを見ると、当時の知的好奇心の持ち主たちの間口の広さと、それによって可能となったそのネットワークの開けは大したものだと思う。
 そこには専門領域に固執する偏狭さはなく、理系・文系などの垣根もないボーダレスな好奇心の領野が広がっている。
 そして、それが本来の知のありようなのだろうと、思わず自分の狭隘さを反省させられるのである。

 ここにまとめられた悟堂とらいてうの関係、そしてまた二人の関るネットワークの豊かさには感嘆するばかりだが、加えて、これを記した山下さん自身が、野鳥研究にとどまらず広い守備範囲をもつ表現者であることを知って頼もしく思った次第である。

 そういえば、ここに紹介されたらいてうの周辺は、鳥の隠喩に満ちている。
 らいてう(=「雷鳥」)という通称(本名は明=ハル)からその恋人の奥村という「燕」、そして奥村が書いた別れの手紙にある「水鳥」、さらにいうならば、らいてうを絶賛した鷗外もまた「鷗」を含んでいる。
 この小文のタイトルで「とりがとりもつ」と洒落てみた所以である。


おまけの蛇足 
 タイトルは端唄『縁かいな』のパロディでもある。
 寄席でよく歌われたから年配の人はご存知のはず。
 歌詞はもっと艶っぽいものなど他にもかなりある。
 
  「縁かいな」
   ♪ 夏の納涼(すずみ)は両国の  出船、入船、屋形船
     揚がる流星  星降り(くだり) 玉屋が取り持つ 縁かいな

   ♪ 春の眺めは 吉野山 峰も谷間も爛漫と 
     一目 千本、二千本 んー 花が取り持つ 縁かいな

   ♪ 秋の夜長をながながと 痴話が昂じて背中と背中(せなとせな)
     晴れて 差し込むあげ障子  んー 月が取り持つ 縁かいな



コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鬱と闘う自分への眼差し 句集『鬱川柳』を読んで

2012-12-02 02:17:06 | 書評
             

 過日、突然一冊の本が送られてきました。
 差出人を見ると、もう10年来のネットでの知り合いの方です。
 年齢は私よりも若いのですが、川柳の世界での先達であり、趣味を同じくする者として多くのものを学ばせてもらってきたひとなのです。

 句集でも出されたのかなと思って開封して驚きました。
 確かに句集なのですが、タイトルには『鬱川柳』とあります。
 一般に考えられている川柳の「軽ろみ」とは対極的なタイトルといえます。
 読み進むにつれて納得しました。
 一時、調子が悪いかなと思った時期があったものの、ネットを介してのことで詳細はわからなかったのですが、その時期に、まさに鬱と闘っていたらしいのです。

 世の中に自分が鬱気味だと思っている人は多いようですが、この人の場合は日常生活にも支障をきたし、医師による本格的な治療を要するような正真正銘の鬱病だったようです。
    
     乗り過ごし行ってみたいと思う朝

 これが、鬱を自覚し始めた頃の句だといいます。
 以降、「頑張れば頑張るほどに鬱になる」と、職場での無理解な視線にさらされながら病状は深化し、ついに「覚悟して病院の戸を押し開ける」に至ります。

 そこで抗鬱剤を服用しその副作用とも闘いながら経過を見るのですが、むろん一朝一夕に治まるわけではなく、ついには治療に専念するために医師の診断書のもと、職場を離れることになります。

     ドクターにタオルを投げて貰う鬱

 それから本格的な治療になるわけですが、やはり揺れは激しく、この時期、「致死量の薬を持ってふと思う」などという、読み手をドキッとさせる句も散見できます。

        

 この間しばらくは医師との二人三脚での試行錯誤が続くのですが、(「うつ病のメビウスの輪がまだ切れぬ」)そのなかにも幾分のほっとする場面が見られます。
    
     広告紙に一句認(したた)め風呂上がり
     句をひねる鬱の晴れ間の午後八時


 しかし、やがて薬の変更などを経て、「すっきりと薬が決まり良い目覚め」や「病身にやわらかく吹く春の風」といった状況に至り、寛解の時を迎えます。
 もちろん、一筋縄とは行かず、後遺症のような状態との付き合いは続くのですが、そうした薄雲が晴れるように、「昨日とは違って見える風の色」ような境地へと至ることとなります。

 そして心機一転、休職扱いだった職場を去って故郷へ帰り、新しい職につきます。「古いもの捨てねばならぬ進む今」なのです。

 この句集のタイトル『鬱川柳』はいかにも重いのですが、そして、たしかに前半はどんどん悪化してゆく状況に息を呑むのですが、読み進むうちに次第に光明が見えてくるいわば「希望の書」だということがわかります。
 ただし、著者が恵まれていたのは、適切な医師に出会ったこと、病に理解をもって接してくれた相方の暖かさがあったこと、そして何よりも、苦悩する自分を見つめるもう一つの眼差しとしての川柳を手放さなかったことだろうと思います。

        

 この書が、そのタイトルにもかかわらず「希望の書」だと述べましたが、それを適切に示す句があります。

     生きるには希望が一つあればいい

 これは、川柳とともに著者が抱き続けていた思いであり、この書のサブタイトルともなっています。

 なお、お読みいただいてお分かりのように、よくフリー・ペーパーの埋め草などに使われているダジャレやおちゃらけ川柳とは異なり、文芸の一分野としての川柳はこれらの各句のようにリアルで、したがって己や人を動かす強度というものがあります。
 ちなみに著者は、全日本川柳協会常任幹事であり、広島平和番傘川柳会会長でもあります。

   
   タイトル 『鬱川柳 -----生きるには希望が一つあればいい----』
   著者   淡路獏眠
   発行所  新葉館出版  http://shinyokan.ne.jp/
         ソフトカバー  1,200円プラス税


 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする