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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「とりがとりもつ縁かいな」 らいてうと悟堂 山下桐子さんのエッセイから

2012-12-04 01:40:23 | 書評
 平塚らいてう(1886ー1971)については日本で最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』の創始者であり、「元始女性は太陽であつた」と高らかに宣言した(1911年)ひとで、日本での女性解放運動、フェミニストの走りであるぐらいのことは知っていたが、それぐらいにとどまっていた。
 ついでながら、しばらく前、何かの文章で現在のジェンダー論者が、「平塚らいてうはすでにのりこえられた」と書いているのを読んで、「オイオイ、100年前の、明治憲法下で始められた運動をのり越えたも何もないだろう」と思ったこともあった。

          

 中西悟堂(1895ー1984)についても知るところは少ない。
 歌を詠むなど文芸肌でありながら同時に野鳥の世界に造詣が深く、日本野鳥の会の偉い人(創始者にして初代会長)だったぐらいは知っていた。
 年表を見ると、私が少年だった頃の1950年代に、集中して野鳥を始め生き物のいろいろな分野にわたる子供向けの啓蒙的な書をたくさん書いているので、そのうちの1、2冊は読んでいるかもしれない。
 
 ついでながら、今ではどんな辞書にでも載っている、「野鳥」とか「探鳥」という言葉はこのひとの造語であるという。
 「哲学の仕事は概念の創造である」といったのはドゥルーズだったろうか。哲学ではないにしろ、その意味では中西悟堂の仕事は確実に一つの分野を創造したといえる。

           
 
 最近、不明にして漠然としか知らなかったこの両者を結びつけるような文書に出会った。
 『地中海歴史風土研究誌』(第36号)所収の「鳥のこぼれ話(11)---中西悟堂と平塚らいてう---」で、筆者はやはり野鳥の研究家、山下桐子さんである。

 それによれば、らいてうと悟道は自然を介して親交を深めながら、やがては互いのありように信頼を寄せ合う関係になったという。
 この二人の出会いは、一説によれば、らいてうの若い恋人であった画家の奥村が、悟堂の催した第一回の探鳥会に参加したことによるものらしいが、それだけではあるまいと思われる。
 余談だが、今はほとんど廃れた「若い燕」という表現は、らいてうと奥村の関係に端を発するものであり、奥村の手になる別れの手紙の「静かな水鳥たちが仲良く遊んでいるところへ一羽の燕が飛んできて平和を乱してしまった。若い燕は池の平和のために飛び去っていく」という文章から喧伝されるようになったものらしい。

 悟堂とらいてうの出会いは必ずしもこの「燕」氏の介在によるものばかりでもあるまいと書いたが、それはこの二人がともに実に豊富な人脈をもっていたからである。
 山下さんのエッセイに紹介されているように、悟堂が催した第一回探鳥会のメンバーはまさに瞠目に値する。
 それらの一端を山下さんにしたがって列挙してみよう。
 ・柳田国男(民俗学)・北原白秋(詩人)・金田一京助、春彦(言語学)・若山牧水(歌人)夫人・窪田空穂(歌人)、英文学者、動物学者、鳥類学者、加えてらいてうの「燕」奥村博史(画家)etc.etc.
 なんという人脈であろうか。

 一方、らいてうの方も負けてはいない。
 ・森田草平(小説家)・与謝野晶子(歌人)・岡本かの子(小説家、詩人)・伊藤野枝(辻潤、大杉栄などと同棲、関東大震災の折、大杉栄などと甘粕大佐によって虐殺された)・市川房枝・山川菊栄・高群逸枝etc.etc.
 やはり多士済々で、森鷗外をして「樋口一葉さんが亡くなってから、女流のすぐれた人を推すとなると、どうしても此人」と言わしめたほどである。
 したがってこの両者の出会いはいくつもの接点をもっていたとしてもなんの不思議もない。

 これらを見ると、当時の知的好奇心の持ち主たちの間口の広さと、それによって可能となったそのネットワークの開けは大したものだと思う。
 そこには専門領域に固執する偏狭さはなく、理系・文系などの垣根もないボーダレスな好奇心の領野が広がっている。
 そして、それが本来の知のありようなのだろうと、思わず自分の狭隘さを反省させられるのである。

 ここにまとめられた悟堂とらいてうの関係、そしてまた二人の関るネットワークの豊かさには感嘆するばかりだが、加えて、これを記した山下さん自身が、野鳥研究にとどまらず広い守備範囲をもつ表現者であることを知って頼もしく思った次第である。

 そういえば、ここに紹介されたらいてうの周辺は、鳥の隠喩に満ちている。
 らいてう(=「雷鳥」)という通称(本名は明=ハル)からその恋人の奥村という「燕」、そして奥村が書いた別れの手紙にある「水鳥」、さらにいうならば、らいてうを絶賛した鷗外もまた「鷗」を含んでいる。
 この小文のタイトルで「とりがとりもつ」と洒落てみた所以である。


おまけの蛇足 
 タイトルは端唄『縁かいな』のパロディでもある。
 寄席でよく歌われたから年配の人はご存知のはず。
 歌詞はもっと艶っぽいものなど他にもかなりある。
 
  「縁かいな」
   ♪ 夏の納涼(すずみ)は両国の  出船、入船、屋形船
     揚がる流星  星降り(くだり) 玉屋が取り持つ 縁かいな

   ♪ 春の眺めは 吉野山 峰も谷間も爛漫と 
     一目 千本、二千本 んー 花が取り持つ 縁かいな

   ♪ 秋の夜長をながながと 痴話が昂じて背中と背中(せなとせな)
     晴れて 差し込むあげ障子  んー 月が取り持つ 縁かいな



コメント (6)
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