六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【ある寓話】都市はデザインする

2012-07-11 23:43:40 | 写真とおしゃべり

      ひとはいろいろと行動をする動物なのだ

      手足にとどまらず体のどの部分も使った

      頭をさえも使った 物を乗せて運んだり 

      帽子のようなものを乗せる台としてもだ

     

      道具を使うようになった とても便利だ 

      「食う寝るところ住むところ」が広がった

     

      やがて道具は体から引き離されていった

      機械の発明だ ものがたくさん作られた

      今まではできなかった大きなものさえも

        

      それらが集められ環境が飛躍的に変わり

      都市という場所が現われることになった

      人間の欲望をなぞったものが集約される

     

      あまりにも多くのものが集められたので

      欲望しているのが何かもわからなくなる

      要るから売れるのか売れるから要るのか

      何がなんだかさっぱりわからなくなった

     

      だけど都市はでんと構えて言い張るのだ

      「それらはみんな君たちに必要なものさ」

      

      都市にはインフォメーションという命令

      ガイドラインといった指示が縦横にある

      それに従わないと迷路へ落ち込む仕掛も

     

      だからああやっぱりこれらは要るんだと

      すっかり納得させられてしまったうえに

      そこが古里でもあるかのようにまどろむ

        

      デザインされた都市が私たちをデザイン

      「都市の都市による都市のための都市」だ

      こうして私たちは都市の血小板となった


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梅雨の晴れ間の動植物日記

2012-07-10 15:40:52 | よしなしごと
 暑い!
 冷房嫌いの私は、家中の窓を全開にしてそれをしのいでいる。
 それでも木造の屋根瓦はじんじんと熱を吸収し続ける。
 こんな時は植木に水などをやって涼をとるに限る。

 外ももちろん暑いが、少し風が出てきたのが救いだ。
 梅雨の晴れ間の陽光に水が銀色に輝いて眩しい。
 美しい、そして涼しい。

 昨年行ったあの水のない地方のことがチラと頭に浮かぶ。
 ごめんよと急いで頭から振り払う。
 勝手なものだ。

   

 ふと傍らに何やらふらふらしている。
 一頭のムギワラトンボが草っきれにしがみついているのだ。
 そよ風程度なのにどこか必死で耐えている感じだ。
 上の写真で翅が上がっている方向から風が吹いている。
 まだ羽化したばかりで力がないのだろう。

 毎年この頃になると現れる私のお友だちだ。
 「おう、よくきたな」との挨拶もそこそこに記念撮影だ。

   

 携帯を取りに行って戻ってきたらまだそのままでいた。
 接写をとカメラをうんと近づけても逃げる気配はとんとない。
 しかし、何枚か撮ってみたがどうも満足できない。

 トンボの美しさはやはりその翅脈にあると思う。
 しかし、草むらがバックではそれが鮮明に出ない。
 そっと手を差し伸べて、左上翅を柔らかく捕らえる。
 まったく暴れたりせず私の指におとなしく止まっている。

   

 そのまま2、3枚撮って、そっと放してやる。
 しばらくきょとんとしていて、やがてツイと飛び立つ。
 といってもそれほど離れたところへ逃げる様子もない。

 おいおい、そんなに無警戒でどするんだ。
 これから生きてゆく上で敵も多いのだぞ。
 さあ、飛べっ!と止まっていた枝を少し揺さぶってやった。
 さすがに今度はスイーッと飛び立ち、やがて視界から消えた。

 ところで去年も書いたが、そして去年まで知らなかったのだが
 このトンボ、実はシオカラトンボの幼体、または雌だとのこと。

   
 
 子供の頃からもっともポピュラーで馴染み深かった
 ムギワラトンボとシオカラトンボが同じトンボとは・・・・。
 「知らなかった歴」が六十数年にも及ぶわけだ。
 (シオカラトンボの写真はネットから拝借しました)

   

 花の方は午前中買い物に出かけた農協で撮した。
 ハイビスカスというのは南方の花だから
 どこかドライでスカッとしているのだと思い込んでいたが
 こうして見るとなかなか妖しげでもある。

 齢を重ねると、知らなかったことや気づかなかったことが
 まだまだ多いことに驚かされる。
 ではその分、知見が増える一方かというとそうはゆかない。

   
 
 獲得するよりも忘却の彼方へ消え行くもののほうが
 はるかに、はるかに、はるかに多いからだ。
 まあ、それだからこの脳の容積で耐えられるのだろう。


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悪魔と呼ばれた弁護人!映画『死刑弁護人』を観て

2012-07-08 16:39:16 | 映画評論
 いわゆる凶悪犯が後を絶たない。
 それらに直面した場合の人びとの反応は様々であるが、もっとも過激なものは、逮捕したら裁判だのなんのといたずらに言い訳をさせ、生きながらえさせる必要はないからすぐに殺してしまえというものである。
 メディアの「鬼畜」報道がワイドショーなどで「これでもか」というぐらい繰り返され、それがさらにそうした憎悪を増幅させる仕組みにもなっている。

              

 上に述べたのはもちろん、リンチに相当する暴論で、過去の凶悪事件の逮捕者のうち、取り調べ段階でその嫌疑が晴れたものや、裁判の過程で無実が明らかになったもの、刑が確定した後の再審請求で晴れて潔白を証明された人たちが相当数いることから考えても、逮捕して即「殺せ!」は危険な極論というほかない。

 しかし、実際にはそうした前後の見境いのない妄論がネットには溢れており、その言説たるや、私にいわせれば当の凶悪犯容疑者よりも野蛮で恐ろしいものに思える。

 ここには自分はいついかなる場合も「正義」の側に属していて、そうした犯行には絶対にかかわらないという「根拠のない盲信」のようなものもある。
 これら犯行の当事者そのものが、つい先ごろまで、そうした凶悪事件をTVなどで見て、「何も殺さなくってもいいじゃないか」と思っていたことなどなかったかのように、あるいはまた、彼ら自身がそうした容疑者に向かって「殺せ!」と叫んでいたことなどなかったかのように。
 自己過信と想像力の欠如というべきだろうが、あえて加えると、世の中には「正しいひと」と「犯罪者」との厳然とした分離壁があってその間の流動性が全くないかのような錯覚がある。

 先にそれらが野蛮で恐ろしいと述べたのは、そうした固定観念は容易に優生学的なレイシズムにも結びつくということである。
 これは想像ではなく根拠がある。ネットで「殺せ!」コールを行なっている連中のほとんどが「在特」的な「劣等民族殲滅」論者とオーバーラップしているからだ。

 むろん普通の市民は、メディアの誇張に憎悪を掻き立てられることはあっても、やはり裁判を経由すべきだと考えるだろう。そしてそこには、犯罪を立証すべき検事と容疑者を擁護すべき弁護人とがいて、その間の所定のやり取りのなかで判事が判決を下すこと、その裁判も我が国の場合三審制がとられていることも知っている。
 これらは、その審議の過程を通じてその犯罪の全容を明らかにし、被告人に適宜な判決を下すために行われる周到な手続きというべきであろう。
 にもかかわらず、再審の過程などで後日無罪が明らかになるケースがあることも心に留めるべきであろう。

 しかし、その裁判の過程についても、冒頭に見た暴論や極論が干渉してくることがある。そうした場合、被告人に対して煽られ続けた憎悪の矛先が、その正当な職責を果たしている弁護人にまで向けられることが多い。

          
          

 ここに、弁護人として、そうした非難を一身に背負いながら、なおかつそれに屈することなくがんばっている人がいる。
 安田好弘という弁護士である。何故に彼が憎悪や、そしてそこから派生した偏見の嵐にさらされるのかは以下の彼の弁護歴を見ただけでも首肯できるかもしれない。

    麻原彰晃「オウム真理教事件」
    林真須美「和歌山毒カレー事件」
    木村修司「名古屋女子大生誘拐事件」
    元少年 「光市母子殺人事件」
    丸山博文「新宿西口バス放火事件」


 もちろんこれは彼の長い弁護歴のほんの一端なのだが、いずれもが「凶悪犯」とされ、その刑量は極刑をめぐるものである。
 これだけ並んでくると、いささか判断力に齟齬をきたしている連中には、彼自身がそうした事件の黒幕のように思えてくるらしい。ネットでは、彼自身への脅迫や「死ね!コール」が散見できるし、また、そんなことはどうでもよいので事実は知らないが、彼は在日ではないか、とか、果ては日本の司法制度を破壊しようとしている陰謀の一味だという言いがかりすらなされる始末である。

              

 驚いた事にそうした言いがかりは、無責任なネット虫ばかりからではなく、例えば橋下徹・現大阪市長はTVで「何万何十万という形で、あの21人の弁護士の懲戒請求をたててもらいたいんですよ」と山口県の光市母子殺害事件の弁護団に懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけた。これによって7,500通あまりのそれが寄せられたが、蓋を開けてみたら、なんとそれを呼びかけた本人自身が懲戒請求に書名をしていないことが判明した。
 さすがに法曹人としてそんな恥ずべきことに参加できなかったのだろうがいずれにしてもとんだ茶番劇であった。

 なお、司法内部からの抵抗ととしては、この安田弁護士が顧問を務める不動産会社への強制執行に対し、それを妨害したとして1998年に安田氏自身が逮捕されたことがある。しかも、証拠隠滅や逃亡の恐れが一切無いにもかかわらず、その身柄は10ヶ月にわたって拘束された。
 ようするに、実質の弁護活動を妨害するという意図があからさまなもので、国内からの抗議はむろん、アムネスティ・インターナショナルからも、「後進国並みの司法活動妨害」としてお灸を据えられることとなった。

 さて、ここまでは前置きといったら叱られるだろうが、実はそうなのだ。
 この安田好弘という弁護士の具体的な活動を描いた映画ができた。
 『死刑弁護人』・・・・まさにその名のとおりである。
 自らに振りかかる偏見や弾圧に抗しながらの彼の活動は驚嘆に値するが、その信念には揺るぎないものがある。
 彼はいう。
 「事実を出して初めて本当の反省と贖罪が生まれる。どうしたら同じことを繰り返さずに済むのか、それには、まず真実を究明しなければならない」

 そしてそれが法廷での彼の職責である。少しでも疑念があればそれを追求する。それが犯罪という「起こってしまったもの」の実像に少しでも近づけるならば、「これから起こるかもしれないこと」への防止につながるかもしれない。冤罪という忌まわしいものを生み出さないことになるのかもしれない。

 それらを淡々として語る安田弁護士は、終始穏やかで冷静だが、かつて担当をして、死刑が執行されてしまったひととの交流の思い出を語る場面ではその表情が曇り、内面の苦悩を思わせて切ない。

              

 ついでながら、この映画のナレーションは、最近反原発で活躍している山本太郎氏である。

 この映画を作ったのは、名古屋に本拠を置く「東海テレビ」のドキュメンタリーのクルーである。このチームは近年、まずはTVで放映しながら、その枠のなかで言い尽くせなかったりしたことをも集め、もっと広く視聴してもらうことを目指して優れたドキュメンタリー映画を世に送り出している。
 戸塚ヨットスクールを描いた『平成ジレンマ』(2011)、四日市公害を当初より振り返りその現状をも伝える『青空どろぼう』(2011)などがそれである。

 これら一連の作品のプロデューサーは阿武野勝彦氏で、昨年、『青空どろぼう』の試写の折、話を伺ったが、対象に迫る目線と姿勢は確かで、とかく仲間うちのオチャラケや悪ふざけが目立ちがちなTV番組のなかで、なおかつこうした地道な「伝える」姿勢を堅持している人たちの存在に深い感銘を覚えた。

 なお、『死刑弁護人』は平成23年度文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門の優秀賞を受賞している。監督は齊藤潤一氏、プロデューサーは前出の阿武野勝彦氏。

 名古屋シネマテークでの上映は7月20日まで。
 その他の上映館は以下のとおり。

  ・東京 ポレポレ東中野 6月30日(土)~
  ・名古屋 名古屋シネマテーク  6月30日(土)~
  ・横浜 シネマジャック&ベティ 順次公開
  ・新潟 市民映画館シネウインド 順次公開
  ・大阪 第七藝術劇場 7月28日(土)~
  ・京都 京都シネマ 順次公開
  ・神戸 神戸アートビレッジセンター 順次公開
  ・岡山 シネマクレール丸の内 順次公開
  ・広島 横川シネマ 7月14日(土)~
  ・愛媛  シネマルナティック  9月公開
  ・福岡  KBCシネマ 9月公開
  ・大分 シネマ5 7月14日(土)~



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ごく短い日記

2012-07-07 15:48:19 | 川柳日記
           

           勉強に疲れてふと目を上げたら、目の前にこんな青空が。
           まだ雨が激しいところがあるというのになんだか申し訳ないような。
           天の川を見ることができそうな天候だが、街の灯が邪魔をするだろう。  
           子供の頃は目を上げさえすればあんなにはっきり見えていたのに。


       
                八日には涙もまじる天の川    六文銭
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泥棒と警官が同じ釜の飯を食っていた?

2012-07-06 16:49:46 | 社会評論
    写真は梅雨にもめげず、再稼働にもめげず咲いた木槿(ムクゲ)です。 

 今日の朝刊各紙は、昨日発表された「福島原発事故国会調査委員会の調査報告書」を一斉に掲載したいます。
 この報告書には「あの事故そのものが(自然災害というよりも)人災であった」という指摘など様々なポイントがありますが、なぜそれが防げなかったかについても極めて重要な指摘があります。

           

 それは「規制する立場とされる立場が『逆転関係』となることによる原子力安全についての監視・監督機能の崩壊」と述べられているところで、これをさらに詳しく述べたくだりは以下の箇所です。

『これを構造的に見れば、以下のように整理できる。本来原子力安全規制の対象とな るべきであった東電は、市場原理が働かない中で、情報の優位性を武器に電事連等を 通じて歴代の規制当局に規制の先送りあるいは基準の軟化等に向け強く圧力をかけて きた。この圧力の源泉は、電気事業の監督官庁でもある原子力政策推進の経産省との 密接な関係であり、経産省の一部である保安院との関係はその大きな枠組みの中で位 置付けられていた。規制当局は、事業者への情報の偏在、自身の組織優先の姿勢等から、 事業者の主張する「既設炉の稼働の維持」 「訴訟対応で求められる無謬性」を後押しす ることになった。』

 ようするに、規制されるべき側が逆に規制する側を支配するという「逆転現象」が生じていたということです。もっと平たくいえば、犯罪者、ないしはその可能性のある者たちが警察機構と同居し、あまつさえ、後者の鼻面をもって引き回していたということです。

           

 これが、いわゆる「原子力ムラ」といわれたものの構造です。「政官財」に加えて「プルトニュウムをコップに一杯や二杯呑んでも」というトンデモ学者(?)を含めた「御用学者」の一団がそれを構成してきました。
 「原子力安全委員会」とか「保安院」といった耳あたりがよく、あたかも国民の立場からチェック機能を果たしていてくれるかのような連中が、実は事故の実態を隠蔽し続け、原発維持推進を担っていたことはつとに指摘されていたことですが、今回の「報告」はそれを公に認めたことになります。

           

 ここまで明らかになった以上、課題はこの「原子力ムラ」を即解体することです。それがない以上、このままズルズルと再稼働への歩みが続くことになります。そしてそれは、あの事故が提起したさまざまな問題、とりわけ住居や職や故郷を失った人たちの犠牲の上に得るべき教訓をすべて水泡に帰すということです。

 にも関わらずです、こうした問題が公に指摘される前に(前だからこそだと思わざるをえないのだが)、慌てて大飯の再稼働を決めた野田内閣は、その拙速というよりは、その犯罪性でもって裁かれるべきでしょう。

           

 なお、この事故調は、あの事故が「人災」であった側面についてもかなり詳細に触れていますが、私の従来の立場からいえば、「原子力発電」そのものがもつ危険性についての当初からの指摘を無視し、この狭い列島に50基を越える原発を設置したこと自体が最たる「人災」であると思っています。

 この事故調報告には不十分な点も散見されますが、これまで三々五々囁かれていた「原子力ムラ」の存在とその犯罪性を公に認めたという点で大きな前進があったと思います。
 これをターニング・ポイントにして、原発のない国を実現したいものです。

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お知らせ。 そして、野菜の赤ちゃんと亡父のこと。

2012-07-03 17:44:43 | よしなしごと
 しばらく、コメント欄を閉鎖します。
 もちろん、ご投稿は自由ですが掲載はいたしません。
 私への私信として処理させていただきます。
 
 これまで、エロサイトや営業以外のものはすべて掲載してきました。
 しかし、私も多忙ですから
 「消費税を上げて、かわりに、法人税を下げたり、株式譲渡益の暫定税率の延長などで、国民に還元すべきです。企業があるから、国民は働き場所があるのです。企業を元気にする方策、成長戦略こそ、 必要です。 ←「シロアリ」とは、福祉にたかる日本国民だと思います。」
 などという、私にいわせれば「暴論」に懇切にお付き合いする暇はないのです(これまではしてきたつもりです)。
 こうした高尚な理論」はぜひともご自分のブログなどでご展開ください。

 箸休めに、野菜の赤ちゃんの写真をお届けします。
 それぞれ何かはわかりますか。
 上はもっとふっくらとし赤く熟します。

            
 
 下の写真、もの影にも一個ありますよ。紫色にチラチラ見えるのはまだ花が咲いているからです。
 この花の効率の良さを述べた格言をごぞんじですか?
 「親の意見となすびの花は、千にひとつの無駄もない」というものです。
 私の父は、高等小学校(今でいう中2)卒でしたが、まさにそういう人でした。
 「商売人には学問はいらぬ」という昔気質の考えで、私の進学にも反対でしたが、結局それを許してくれました。
 ただし、父のほうが正しかったのは、私がその商いを継がず、無頼な人間になってしまったことでも明らかです。
 生きていれば、百三歳。
 酒好きの人でしたから、何かあると一緒に付き合って飲みました。
 それが唯一の親孝行でした。

            
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必見! マスメディアが伝えない当日の様子。

2012-07-01 15:48:51 | 社会評論
 遅ればせながら個人のジャーナリスト岩上安身氏が自腹を切ってヘリをチャーターし、空撮を行った【国民の声を可視化するプロジェクト第6弾 6.29緊急!大飯原発再稼動決定を撤回せよ!首相官邸前抗議】の模様を載せます。
 周辺を埋め尽くす人・人・人・・・美しいですね。
 組織動員がない我が国での最大のデモでしょう。
 にもかかわらず、マスメディアはお義理にさらっと触れただけ。
 もったいないので皆さんに見ていただこうと思います。

  http://urx.nu/1qQx  ←この実況はすでに終了しています。
 
 これに対して野田という男の反応です。 「大きな音だね」?????
 この男、耳は聞こえるようですが、それが意味するところがわからない頭脳の持ち主のようです。
 それ以上に、国民の痛切な訴えを「音」として聞き流すとは何たる傲慢にして無恥!!

 東北では今なお住居を追われ、職を失い、何十年かにわたって故郷を喪失した人がいる段階での再稼働。
 福祉が後退する中での増税。
 沖縄やオスプレイ配備で見せた無能無策。
 極めつけは増税法案で自民と取引した結果としての整備新幹線全面復帰。
 ようするに「コンクリートから人へ」ではなく「人からコンクリート」へ。

 70年以上生きてきてこんな嘘つき政権見たことがありません。
 この党に引導を渡すことが私の主張であり願いです。
 
 
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