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悪魔と呼ばれた弁護人!映画『死刑弁護人』を観て

2012-07-08 16:39:16 | 映画評論
 いわゆる凶悪犯が後を絶たない。
 それらに直面した場合の人びとの反応は様々であるが、もっとも過激なものは、逮捕したら裁判だのなんのといたずらに言い訳をさせ、生きながらえさせる必要はないからすぐに殺してしまえというものである。
 メディアの「鬼畜」報道がワイドショーなどで「これでもか」というぐらい繰り返され、それがさらにそうした憎悪を増幅させる仕組みにもなっている。

              

 上に述べたのはもちろん、リンチに相当する暴論で、過去の凶悪事件の逮捕者のうち、取り調べ段階でその嫌疑が晴れたものや、裁判の過程で無実が明らかになったもの、刑が確定した後の再審請求で晴れて潔白を証明された人たちが相当数いることから考えても、逮捕して即「殺せ!」は危険な極論というほかない。

 しかし、実際にはそうした前後の見境いのない妄論がネットには溢れており、その言説たるや、私にいわせれば当の凶悪犯容疑者よりも野蛮で恐ろしいものに思える。

 ここには自分はいついかなる場合も「正義」の側に属していて、そうした犯行には絶対にかかわらないという「根拠のない盲信」のようなものもある。
 これら犯行の当事者そのものが、つい先ごろまで、そうした凶悪事件をTVなどで見て、「何も殺さなくってもいいじゃないか」と思っていたことなどなかったかのように、あるいはまた、彼ら自身がそうした容疑者に向かって「殺せ!」と叫んでいたことなどなかったかのように。
 自己過信と想像力の欠如というべきだろうが、あえて加えると、世の中には「正しいひと」と「犯罪者」との厳然とした分離壁があってその間の流動性が全くないかのような錯覚がある。

 先にそれらが野蛮で恐ろしいと述べたのは、そうした固定観念は容易に優生学的なレイシズムにも結びつくということである。
 これは想像ではなく根拠がある。ネットで「殺せ!」コールを行なっている連中のほとんどが「在特」的な「劣等民族殲滅」論者とオーバーラップしているからだ。

 むろん普通の市民は、メディアの誇張に憎悪を掻き立てられることはあっても、やはり裁判を経由すべきだと考えるだろう。そしてそこには、犯罪を立証すべき検事と容疑者を擁護すべき弁護人とがいて、その間の所定のやり取りのなかで判事が判決を下すこと、その裁判も我が国の場合三審制がとられていることも知っている。
 これらは、その審議の過程を通じてその犯罪の全容を明らかにし、被告人に適宜な判決を下すために行われる周到な手続きというべきであろう。
 にもかかわらず、再審の過程などで後日無罪が明らかになるケースがあることも心に留めるべきであろう。

 しかし、その裁判の過程についても、冒頭に見た暴論や極論が干渉してくることがある。そうした場合、被告人に対して煽られ続けた憎悪の矛先が、その正当な職責を果たしている弁護人にまで向けられることが多い。

          
          

 ここに、弁護人として、そうした非難を一身に背負いながら、なおかつそれに屈することなくがんばっている人がいる。
 安田好弘という弁護士である。何故に彼が憎悪や、そしてそこから派生した偏見の嵐にさらされるのかは以下の彼の弁護歴を見ただけでも首肯できるかもしれない。

    麻原彰晃「オウム真理教事件」
    林真須美「和歌山毒カレー事件」
    木村修司「名古屋女子大生誘拐事件」
    元少年 「光市母子殺人事件」
    丸山博文「新宿西口バス放火事件」


 もちろんこれは彼の長い弁護歴のほんの一端なのだが、いずれもが「凶悪犯」とされ、その刑量は極刑をめぐるものである。
 これだけ並んでくると、いささか判断力に齟齬をきたしている連中には、彼自身がそうした事件の黒幕のように思えてくるらしい。ネットでは、彼自身への脅迫や「死ね!コール」が散見できるし、また、そんなことはどうでもよいので事実は知らないが、彼は在日ではないか、とか、果ては日本の司法制度を破壊しようとしている陰謀の一味だという言いがかりすらなされる始末である。

              

 驚いた事にそうした言いがかりは、無責任なネット虫ばかりからではなく、例えば橋下徹・現大阪市長はTVで「何万何十万という形で、あの21人の弁護士の懲戒請求をたててもらいたいんですよ」と山口県の光市母子殺害事件の弁護団に懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけた。これによって7,500通あまりのそれが寄せられたが、蓋を開けてみたら、なんとそれを呼びかけた本人自身が懲戒請求に書名をしていないことが判明した。
 さすがに法曹人としてそんな恥ずべきことに参加できなかったのだろうがいずれにしてもとんだ茶番劇であった。

 なお、司法内部からの抵抗ととしては、この安田弁護士が顧問を務める不動産会社への強制執行に対し、それを妨害したとして1998年に安田氏自身が逮捕されたことがある。しかも、証拠隠滅や逃亡の恐れが一切無いにもかかわらず、その身柄は10ヶ月にわたって拘束された。
 ようするに、実質の弁護活動を妨害するという意図があからさまなもので、国内からの抗議はむろん、アムネスティ・インターナショナルからも、「後進国並みの司法活動妨害」としてお灸を据えられることとなった。

 さて、ここまでは前置きといったら叱られるだろうが、実はそうなのだ。
 この安田好弘という弁護士の具体的な活動を描いた映画ができた。
 『死刑弁護人』・・・・まさにその名のとおりである。
 自らに振りかかる偏見や弾圧に抗しながらの彼の活動は驚嘆に値するが、その信念には揺るぎないものがある。
 彼はいう。
 「事実を出して初めて本当の反省と贖罪が生まれる。どうしたら同じことを繰り返さずに済むのか、それには、まず真実を究明しなければならない」

 そしてそれが法廷での彼の職責である。少しでも疑念があればそれを追求する。それが犯罪という「起こってしまったもの」の実像に少しでも近づけるならば、「これから起こるかもしれないこと」への防止につながるかもしれない。冤罪という忌まわしいものを生み出さないことになるのかもしれない。

 それらを淡々として語る安田弁護士は、終始穏やかで冷静だが、かつて担当をして、死刑が執行されてしまったひととの交流の思い出を語る場面ではその表情が曇り、内面の苦悩を思わせて切ない。

              

 ついでながら、この映画のナレーションは、最近反原発で活躍している山本太郎氏である。

 この映画を作ったのは、名古屋に本拠を置く「東海テレビ」のドキュメンタリーのクルーである。このチームは近年、まずはTVで放映しながら、その枠のなかで言い尽くせなかったりしたことをも集め、もっと広く視聴してもらうことを目指して優れたドキュメンタリー映画を世に送り出している。
 戸塚ヨットスクールを描いた『平成ジレンマ』(2011)、四日市公害を当初より振り返りその現状をも伝える『青空どろぼう』(2011)などがそれである。

 これら一連の作品のプロデューサーは阿武野勝彦氏で、昨年、『青空どろぼう』の試写の折、話を伺ったが、対象に迫る目線と姿勢は確かで、とかく仲間うちのオチャラケや悪ふざけが目立ちがちなTV番組のなかで、なおかつこうした地道な「伝える」姿勢を堅持している人たちの存在に深い感銘を覚えた。

 なお、『死刑弁護人』は平成23年度文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門の優秀賞を受賞している。監督は齊藤潤一氏、プロデューサーは前出の阿武野勝彦氏。

 名古屋シネマテークでの上映は7月20日まで。
 その他の上映館は以下のとおり。

  ・東京 ポレポレ東中野 6月30日(土)~
  ・名古屋 名古屋シネマテーク  6月30日(土)~
  ・横浜 シネマジャック&ベティ 順次公開
  ・新潟 市民映画館シネウインド 順次公開
  ・大阪 第七藝術劇場 7月28日(土)~
  ・京都 京都シネマ 順次公開
  ・神戸 神戸アートビレッジセンター 順次公開
  ・岡山 シネマクレール丸の内 順次公開
  ・広島 横川シネマ 7月14日(土)~
  ・愛媛  シネマルナティック  9月公開
  ・福岡  KBCシネマ 9月公開
  ・大分 シネマ5 7月14日(土)~



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