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マス・メディアの凋落と新しい情報のあり方

2010-12-05 16:19:44 | 社会評論
      


 ことは最近の各種情報のリークや流出、漏洩についてである。
 これらについては情報の管理や危機管理の問題としても検討されているようだが、それはそれで各部門で考えればいいことで、私はもっぱら情報のあり方、とりわけこれまでのマスメディアによる一元的な情報支配の体制の崩壊の兆として考えて見たい。

 まず最近のリークといわれるものだが、国内では尖閣諸島中国漁船衝突事件で、海上保安庁が撮影したとみられるビデオ映像が流出した事件がある。
 これが流出する前、各メディアは国民の知る権利をかざして公表を政府に迫ったりした。
 しかしメディアは、それを迫るだけでその情報を獲るための努力は何もしなかったに等しい。

 それがあっけなく公になったのはネット上においてであった。
 メディアは、「公開しろ」とか、「知る権利」を振りかざすのだが、それを実現するのが自分たちの使命であることを完全に忘却し、ただその筋へ「おねだり」するのみである。

 ついで、警視庁公安部の国際テロ捜査に関する内部資料とみられる文書が、ネット上に大量流出した。それには捜査協力者などの個人情報も含まれているという。
 これなどは、警察関係の記者クラブでおねだりをして情報の「かけら」を貰らい、それを垂れ流すだけのメディアでは決してなしえないことである。

 だからメディアは、その流出後もその管理体制を問題とするのみで、そこに書かれてあったものを明らかにしようとはしなかった。それを文字として公表したしたのは、第三書館という出版社のみである。

 自ら事実を検証する努力を放棄し、警察情報のかけらの垂れ流しというこの記者クラブ体質は、過去の幾多のえん罪事件でもその共犯者の役割を果たしている。
 えん罪が明らかになった折には、それを報じる記事とともに、その被告の逮捕時や起訴、裁判の過程でそのメディアが何を書いていたのかを併せて掲載すべきだろう。そうすれば、えん罪が捜査当局の主観による、あるいは故意のでっち上げであるとしても、その片棒を担ぎ、それをサポートし、国民的な合意のうちへともたらしたものが誰かは明らかになるであろう。

 過去のえん罪事件においても、困難な情報を集め、それを粘り強く暴いてきたのは決してメディアではなかった。それどころかメディアは、情報を獲りにいった自分たちの仲間さえも裏切った経歴を持っている。
 1971年の沖縄返還協定の裏側にあった米軍への3,000万ドル供与という密約を暴いた西山記者を、不倫情交を手段としたとして非難中傷し、結局は彼の得た情報そのものを隠蔽する側に回ったのである。
 この裏取引が、今日の沖縄基地問題に尾を引いていることはいうまでもない。

 国際的な分野では、今回のウィキリークス(Wikileaks)によるイラク戦争の米軍機密文書の公開やアメリカ外交公電の流失事件である。ここには、私たちが日常知り得ないところで何が行われているかについての山ほどの情報がある。
 Wikileaksは今、激しいサイバー攻撃を受けていると同時に、各国での検閲、強制捜査の対象となり、その創始者は、あらぬ余罪で訴追されようとしている。そこには西山事件への対処との共通性が透けて見える。

 ところでそれについてのわがメディアの対応だが、面白そうなものをつまみ食いするのみで、Wikileaksそのものが戦っている現状へはきわめて冷淡である。
 情報を獲るものとしてのそれへの共感、ましてや共闘の意志など全くない。自分たちも事実を探ろうとする場合、同じ目に逢うことを上に述べた西山事件などを通じて十分承知しているはずなのにである。
 もっとも、もはや事実を取りに行くことを放棄し、然るべきところへおねだりして都合の良い情報のみ垂れ流すメディアにとっては、われ関せずといったところであろうが・・・。

 許せないのは、にもかかわらず「公正中立」という虚妄の立場から、私たちに説教を垂れるメディアの姿勢なのだが、それについては、いささか疲れたので次回で述べることにしたい。


 
コメント (3)
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