六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

南京ハゼとキジバトと欠陥動物=人間

2010-12-14 03:18:52 | よしなしごと
 いつも定点観測(というほど大袈裟なものではないのですが)をしている南京ハゼの冬の姿です。
 前回は紅葉のまっただ中で、以下に載せました。

  http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20101125

 それから半月後の姿ですが、もちろん葉はすべて落ち、果実についていた褐色の果皮もなくなり、ただ白い実がなっているのみです。

         

 この実から蝋が採れるということは何度も書きましたが、改めて見るとなるほどと思えます。

     
     
     

 美術館の中に、もう一回りも二回りも大きい南京ハゼの樹があって、それもマークしているのですが、こちらの方もまるで真珠を散りばめたように多くの実を付けていました。

         

 今年の気候は、紅葉にはあまりよくなかったと思いますが、南京ハゼにはよかったようです。

 最後の写真は、別の樹に止まっていたキジバトのつがいです。
 彼らはどうしてあんなに自然に屈託もなく寄り添えるのかが羨ましくなりました。

     
 
 ア、バカなことを考えてしまいました。
 「自然に」って、彼ら自身がもともと自然なのです。
 自然から逸脱し、過剰を抱え込んだのは私たち人間の方なのですから。
 
 人間中心主義への反省とは、自然界の中で人間こそ過剰や逸脱をともにしなければ生きることが出来ない欠陥をもった動物であることを知ることでしょうね。
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醸造と蔵と運河の街 知多半田を行く

2010-12-13 03:35:07 | 写真とおしゃべり
            
     半田といえば「ごんぎつね」        200万本の彼岸花も
 
 過日愛知県は知多地方の半田市を訪れました。
 駆け足でしたが、一応、観光協会が作ったマップ通りに歩きました。
 ただし、逆回りでしたが。

     
            洋館 旧中埜邸 重要文化財

 ここは醸造の街です。
 ここを中心とした知多半島そのものが江戸時代には一大醸造の地でした。
 そして、大都市、江戸や大坂へも供給されていました。
 関東の醤油の産地、野田市のメーカーも、もともとの系譜は知多の出身だといわれています。

     
            かぶとビール工場跡 総赤煉瓦造り

 その後、灘などとの競争が厳しくなったりしましたが、今なお、酒、酢、味噌、醤油、味醂などのメーカーがこの一帯に広がっています。

     
           運河に並ぶ醸造業の蔵 そのとき水鳥が・・・

 そしてそれらを運び出すための運河のたたずまいも、ゆったりとして往年を偲ばせるものがあります。
     
       JR半田駅 ホームの柱に注目 跨線橋は全国で現存最古のもの

 
 今回はその一端を紹介します。
 
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【緊急】ウィキリークス(WikiLeaks)支援の署名をどうぞ!

2010-12-11 01:28:47 | 社会評論
    

 前回の日記に書きましたウィキリークス(WikiLeaks)へのいわれなき弾圧が始まっていますが、それへの世界的な抗議署名が始まりました。
 既存のメディアの自己保身的な報道の中から除外されてしまうナマの情報源を守るために、このサイトは残したいと思います。
 私の昨日の日記、その前二回にわたって連載しましたメディアのありようについての記事などをご参照の上、ご納得の場合には署名にご協力下さい。

 ================================

<呼びかけ文要旨> 私たちは、WikiLeaksとそのパートナーに対する弾圧を止めるよう呼びかけます。 表現の自由と出版の自由の民主主義の原則と法を尊重するようお願いします。 それと働いているWikiLeaksとジャーナリストが何か法に違反したなら、それらは法廷における適正手続きで追及されるべきです。 脅迫の法廷外キャンペーンにさらされるべきではありません。

世界署名サイト
http://www.avaaz.org/en/wikileaks_petition/96.php

 初めて署名する場合は以下を記入して下さい。
 (First time here? Please fill out the form below. )
 上をクリックすると、記入欄が出てきます。

 Name 名前
 Email メールアドレス
    国籍
 Post code 郵便番号
 Cell/phone 電話番号

 以上を記入、送信で署名完了、世界の署名数にカウントされます。
 私が署名したときには435,500ほどでしたが、見ている間にみるみる署名が増えてゆきます。

 なお、署名を発送するとすぐに、支援団体からの御礼のメールが届きます。

 この世界で何が起こっているのか、それをマス・メディアの都合の良い編集や歪曲を得ずして知るためにこのサイトを守りたいと思います。
 

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ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジ氏の不当別件逮捕に抗議します!

2010-12-09 01:28:18 | 社会評論
      

 ウィキリークス(WikiLeaks)の創設者ジュリアン・アサンジ(Julian Assange)氏のイギリスにおける逮捕は、既にいろいろなところで明らかにされているように、氏がセックスをする際にコンドームを着用していたかいなかったかなどという全くもって陳腐な理由であることが明らかになっている。それが仰々しくも国際手配にまで至ったのだからあきれてものがいえない。
 しかしこのマンガチックな現実の中にこそ、この事件が内包する問題があからさまに提示されているのである。

 もちろんその狙いは彼の下半身の問題でではなく、ウィキリークスそのものであることはいうまでもない。それはかつて、沖縄密約事項を暴露した西山事件に対するのと全く同じ構造をもった汚いやり方なのである。

 アメリカ連邦政府、ペンタゴン、それに追随する各国のエスタブリッシュメントの連合による抑圧と弾圧であるが、それが、機密事項をリークすると言うその行動にたいして向けられていると同時に、その活動の場であるネットという新しいメディアそのものに対する攻撃であることに注目する必要がある。

 だからこの件については、既存のメディアは、その暴露された事実の美味しそうなところはちゃっかりつまんでおきながら、ウィキリークスそのものへの攻撃にはきわめて冷淡である。それどころか、世界の大新聞などが彼らを包囲する一翼を担ってさえいる。

 それは日本のマス・メディアも同様である。もし彼らが本当に事実を報道することに自らの使命を感じているとしたら、今回のウィキリークスへの弾圧には自らも体を張って共闘態勢を組むべきなのにかかわらず、現実には対岸の火事よろしくきわめて陰険で冷ややかな眼差しを送るのみである。

 もはやマス・メディアには、お上にぶら下がっておこぼれの情報をちょうだいするという記者クラブ体質がしみ込んでしまっている。そして、そうした体制に迫る新たなメディアとしてのネットを媒介とした報道への恐怖心や敵愾心に駆られているのである。
 この事実は、マス・メディアがもはや媒体そのものとして守旧的なものに堕していることの証左に他ならない。
 マクルーハンの言う如く、まことにもって「メディアはメッセージ」なのである。

 大新聞が赤字に転落するなど、そうした守旧派の古いメディアは、早晩その使命を終えて消滅する運命なのだが、もし、もう少し頑張る気があるとしたら、今回の卑劣で不当な別件逮捕と、ネット上での報道規制強化の趨勢に、報道に携わるものとしてともに抵抗の姿勢を示すべきである。
 まことに遺憾ながら、今のところその兆しは皆無である。
 かくて古いメディアの凋落と歴史的使命の終焉は加速される。

この間の流出、漏洩事件との関連を元に、前回、前々回の日記で、二回にわたり、「マス・メディアの凋落と新しい情報のあり方」と題して問題を提起しておきました。ご参照下さい。

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<続>マス・メディアの凋落と新しい情報のあり方

2010-12-07 00:10:38 | 社会評論
        


 <承前>前回は「情報公開・知る権利」などを振りかざしながらも、実際に情報を獲りに行かないため、これらが空疎な念仏に終わっているメディアの根本姿勢について書いた。
 それは同時に、様々なリークがもはやマス・メディアにではなく、ネットを介して行われていることと連動している。
 
 この点に付き、ネット上の友人から「毎日」の与良という論説副委員長が、なぜその流出先がネットであったのかを謙虚に受け止めているというご指摘があったので、それを参照してみた。
 彼はいう。
 
 「論点はさまざまあるが、もう一つ、私がこだわりたいのは、流出先がインターネットだった点だ。ネットとい う媒体が、これだけ政治を揺るがしたのは、日本では初めてだと思うからだ。」
 「情報提供する側が、どこが最も『効果』が上がるかを考え、メディアを 選ぶようになっている気もする。」

 これらはまったく正しいであろう。
 しかし、問題はその後である。与良氏は続けていう。
 「もし、映像が入ったDVDがテレビ局に送られてきたらどうだったかと考えてみる。映像は本物か、公務員の守秘義務違反に当たる可能性が高いビデオをテレビ放映するのは妥当か、あるいは日中関係はどうなるのか。多分テレビ局はためらったと思う。」

 この「ためらい」はある意味では慎重な検討を意味するが、一つ間違うと情報を隠蔽することに手を貸すこととなる。いずれにしても私たちは、「公正中立」を自認するマス・メディアのフィルターを通じてしか情報を得られないということを意味している。

 リークする人たちが慎重にマス・メディアを避けネットへと情報を流すのは、マス・メディアの規制を免れたナマの情報を提示したいためである。 海保の情報をリークしたひとは、情報の規制を自分の使命としているようなマス・メディアにではなく、ネットに載せて全く正解であったといえる。
 
 与良氏が正直にいうように、もしこれをリークしたひとが、「毎日」を選んでいたとしたら、今もってその情報が私たちの元に届いてはいない可能性もあるわけだ。
 与良氏の言説は一見、謙虚なようだが、どの情報をどのように公表するか、あるいはその効果をどう見積もるのを判定するのはわれわれであるというマス・メディアの傲慢さも垣間見させるものである。

 メディアを訳せば「情報媒体」ということになろうか。私たちはともすればこの媒体そのものは中立であり、それが運ぶメッセージの内容こそが問題だと考えがちである。メディアに携わる人たちもそう思っているようだ。
 いや、さらにそれに加えて、「よりよいメッセージを送る」とか、それをもって私たちを啓蒙しようとかいう付加価値の付与を自らの使命としている人もいるだろう。

 一般に、こうしたひとは真面目なひとと思われがちだが、そこに一つの陥穽がある。私たちは常にこうした真面目なひとの主観やイデオロギーで濾過された情報をつかまされ、時としては、彼らによる叱責やお説教の対象にすらなる。
 こうした、「正しい情報」による「啓蒙」というのはまさに産業社会でのメディアの姿なのかも知れない。この場合、既にメディアそのものがメッセージを内包しているのだが、日常的にそれに順化し、麻痺させられた私たちには、メディアそのものがもっているメッセージ性に気づくことが困難である。

 これをマクルーハン(1911~80)は、ずばり、「メディアはメッセージである」といい当てた。
 ようするに、メディアはメッセージを運ぶ中立的で透明な媒体などではなく、メディアそのものが既にしてメッセージだということだ。

 後期産業社会のメディアとしてのネットは、これまでのメディアとはかなり性質を異とする。それがもたらす情報の堆積と分配は主観的位置づけや序列をほとんどもたない無政府的で雑然としたものとして投げ出されている。
 例えば、何らかの情報をネットで検索した場合、それらは現行のメディアが行っている価値付けや序列(新聞でいうならば何面に載るか、見出しの大きさ、載る順序)を一切もたない雑然としたものとして提示される。
 現行のメディアが最重要として位置づける情報も、没にして捨ててしまう情報も、等しく提示される。

 だからこそリークされる情報は、ネットという新しいメディアを通じて、古いメディアの価値意識による取捨選択や規制を免れて、私たちの元へやってくることが出来る。
 それがこの間の、流出や漏洩などが示す現実である。

 流出や漏洩が組織的にどうかという問題は最初に述べたように別次元の問題である。組織の側はそれはそれで対処すればよい。

 ここでいいたかったことは、この間のリークがネットという媒体を通じてのみ可能であったこと、そしてそれは、これまでの「理性の府」であったメディアが凋落してゆく兆しであること、そして私たちは、これまでとは全く異なる情報のありように立ち合っているのだということである。

 もちろんネット社会を手放しで礼賛しているわけではないが、それが切り開く分野はその正否を含めて膨大だと思われる。それを恐れて予め行われる大規模な規制(典型的なものは中国政府によるそれ)や、個別的には今回のウィキリークス(Wikileaks)への国際的な規制や弾圧は、この新しいメディアの可能性をつぶそうとする守旧勢力よる抵抗として、これを許すわけにはゆかないと思う。

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マス・メディアの凋落と新しい情報のあり方

2010-12-05 16:19:44 | 社会評論
      


 ことは最近の各種情報のリークや流出、漏洩についてである。
 これらについては情報の管理や危機管理の問題としても検討されているようだが、それはそれで各部門で考えればいいことで、私はもっぱら情報のあり方、とりわけこれまでのマスメディアによる一元的な情報支配の体制の崩壊の兆として考えて見たい。

 まず最近のリークといわれるものだが、国内では尖閣諸島中国漁船衝突事件で、海上保安庁が撮影したとみられるビデオ映像が流出した事件がある。
 これが流出する前、各メディアは国民の知る権利をかざして公表を政府に迫ったりした。
 しかしメディアは、それを迫るだけでその情報を獲るための努力は何もしなかったに等しい。

 それがあっけなく公になったのはネット上においてであった。
 メディアは、「公開しろ」とか、「知る権利」を振りかざすのだが、それを実現するのが自分たちの使命であることを完全に忘却し、ただその筋へ「おねだり」するのみである。

 ついで、警視庁公安部の国際テロ捜査に関する内部資料とみられる文書が、ネット上に大量流出した。それには捜査協力者などの個人情報も含まれているという。
 これなどは、警察関係の記者クラブでおねだりをして情報の「かけら」を貰らい、それを垂れ流すだけのメディアでは決してなしえないことである。

 だからメディアは、その流出後もその管理体制を問題とするのみで、そこに書かれてあったものを明らかにしようとはしなかった。それを文字として公表したしたのは、第三書館という出版社のみである。

 自ら事実を検証する努力を放棄し、警察情報のかけらの垂れ流しというこの記者クラブ体質は、過去の幾多のえん罪事件でもその共犯者の役割を果たしている。
 えん罪が明らかになった折には、それを報じる記事とともに、その被告の逮捕時や起訴、裁判の過程でそのメディアが何を書いていたのかを併せて掲載すべきだろう。そうすれば、えん罪が捜査当局の主観による、あるいは故意のでっち上げであるとしても、その片棒を担ぎ、それをサポートし、国民的な合意のうちへともたらしたものが誰かは明らかになるであろう。

 過去のえん罪事件においても、困難な情報を集め、それを粘り強く暴いてきたのは決してメディアではなかった。それどころかメディアは、情報を獲りにいった自分たちの仲間さえも裏切った経歴を持っている。
 1971年の沖縄返還協定の裏側にあった米軍への3,000万ドル供与という密約を暴いた西山記者を、不倫情交を手段としたとして非難中傷し、結局は彼の得た情報そのものを隠蔽する側に回ったのである。
 この裏取引が、今日の沖縄基地問題に尾を引いていることはいうまでもない。

 国際的な分野では、今回のウィキリークス(Wikileaks)によるイラク戦争の米軍機密文書の公開やアメリカ外交公電の流失事件である。ここには、私たちが日常知り得ないところで何が行われているかについての山ほどの情報がある。
 Wikileaksは今、激しいサイバー攻撃を受けていると同時に、各国での検閲、強制捜査の対象となり、その創始者は、あらぬ余罪で訴追されようとしている。そこには西山事件への対処との共通性が透けて見える。

 ところでそれについてのわがメディアの対応だが、面白そうなものをつまみ食いするのみで、Wikileaksそのものが戦っている現状へはきわめて冷淡である。
 情報を獲るものとしてのそれへの共感、ましてや共闘の意志など全くない。自分たちも事実を探ろうとする場合、同じ目に逢うことを上に述べた西山事件などを通じて十分承知しているはずなのにである。
 もっとも、もはや事実を取りに行くことを放棄し、然るべきところへおねだりして都合の良い情報のみ垂れ流すメディアにとっては、われ関せずといったところであろうが・・・。

 許せないのは、にもかかわらず「公正中立」という虚妄の立場から、私たちに説教を垂れるメディアの姿勢なのだが、それについては、いささか疲れたので次回で述べることにしたい。


 
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農協の野菜は安く、不良生活者はダウンする。

2010-12-03 17:27:32 | よしなしごと
      
 本文とはなんの関係もありませんが、金華山麓岐阜公園の三重の塔下にある芭蕉の句碑です。
         
          城跡や古井の清水先とはむ
 
 とあって、事実このすぐ右手には、岩肌からしみ出るような湧水を見ることが出来ます。赤いのは満天星(ドウダンツツジ)だと思います。

 
 久々に農協へ野菜売り場へ行きました。
 昨夜来のけっこう激しい雨で、出荷が少ないのではと思ったのですが、まあまあのものが揃っていました。
 だんだん冬野菜が増えてきています。
 逆に、どこのスーパーでも売っている、胡瓜や茄子、トマト、玉葱、それにピーマンや獅子唐のたぐいは見あたりません。

 以下のものを買いました。
 
 赤カブ 葉付きで二玉を束ねたものを三束 計六玉 大根 さほど太くはないが結構長く、先まで均等な太さのもの 一本 蓮根 やや細い二節のもの二本 里芋 中ぐらいの大きさ一〇個ほど 一袋 小松菜 一束 ほうれん草 一束 ねぎ さほど太くはないが七、八本が束ねてあるもの(葉先まで付き) 一束 柚子 大玉二個

 さて、全部でいくらでしょう。答えは一番下に載せますが、私自身、レジで間違いではないかと思った価格でした。もちろんレシートと照合した結果、間違いはありませんでしたが。

 これだけ買うとかなりのボリュームで、帰りの車でシートベルト着用のサインがしきりに点滅するので、何度も確認したのですが消えません。気づいたら、助手席に乗せたこれら野菜のせいでした。

 帰宅して昼食を済ませて、さて午後の予定にと取りかかったとたん、頭がぼんやりして(もともとだろうって?まあ、それもありますが)、体もけだるく集中できません。
 風邪ではありません。それはもう済ませました。ここのところまたぶり返した途中覚醒による睡眠不足のせいです。

 これでは何ともなりません。予定といっても私的なもので人様に迷惑をかけるたぐいのものではないので、えいっとばかりに決心して(それほどのことでもないか)、午睡を決め込むこととしました。

 死に行く女性から頼まれて、その瞳に灰かさらさらした砂をかけてやると彼女は感謝の涙を流し、やがてその瞳は埋まり、私ももらい泣きをするという奇妙な夢で眼が醒めました。
 この女性は、『銀河鉄道999』に出てくるメーテルに似ていました。もっとも、彼女のように奥目ではなく、はれぼったい目のひとに灰や砂をかけても埋まらないでさらさら流れてしまうでしょうね。

 およそ一時間半ほどの午睡でしたが、少し回復したと思います。午睡の場合は催眠薬も要らず、短時間ではあっても深い眠りにつけるのにと、悶々としている夜半のことが恨めしく思われるのです。やはり日頃の不規則な生活をそろそろ改善しなければと思っています。

 というわけで(どんなわけ?)、上記の野菜の価格はしめて九五〇円でした。




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史跡・金華山 岐阜公園 名残の紅葉

2010-12-02 04:16:32 | 写真とおしゃべり
 国道22号線を名古屋方面から北上すると、やがて木曽川に架かる橋に至るのだが、ここが岐阜県との県境になる。岐阜市はこの県境から近いため、橋を渡るとすぐ前方にに岐阜の街を遠望でき、同時にこの街を守護するようにそびえる金華山を目にすることになる。
 その瞬間、岐阜の人間は、「やれやれ、やっとわが街へ帰ってきた」と深い安堵の念を抱くのである。

     

 斎藤道三、織田信長の居城を頂にもつこの山は、長良川と並んで岐阜市民のシンボル的存在ともいえる。
 事実この山は、岐阜市内のどこからでも仰ぎ見ることが出来、岐阜の土着民にとっては、目を閉じればその風貌をきっちり思い描けるような山なのである。

 その山が11月中旬、国の史跡に認定された。個別の建造物ではなく山全体が史跡というケースはまれらしい。
 先に述べた頂上にある城のみではなく、麓の「千畳敷」といわれる場所の信長の住居跡(現在発掘調査中)をも含めて、この山全体が山城として機能していたということで、「中世から近世への転換期に当たる日本史上重要な城」と評価されたようなのだ。

        
 
 別に国に認定して貰わなくとも、岐阜っ子は今までもず~っとこの山を愛してきたのだが、それでもなお、改めて第三者に認められ、日本に住む人々の歴史的共有財産として認められたということは、今まで同棲関係であったものが、正式に入籍したぐらいの嬉しさはあるもので、密かだった自分の誇りが人々に承認された感慨が湧いてくるから不思議だ。

     

 さっそく、ちょっと仕事がらみの取材をかねて、その山麓の岐阜公園(といってもかなり広大ですぞ)へ行って、写真などを撮ってきた。そしてそれは図らずも、名残の紅葉との出会いでもあった。
 全体的には好天だったが、さして高くないとはいえ山の近く、街中とは状況がまったく変わり、小春日和に時折、狐の嫁入りが混じるといった有様だった。

       
       板垣退助受難の地・像       今年は多いという
      板垣死すとも自由は死せず

 
 子供の頃から馴染んだ場所ではあるが、改めて自分の足で歩いてみると、なかなか趣のある場所であることに改めて気づく。全体的には自然がすばらしい。そして、そこに差し込まれるようにして作られた人工のものも、けっこう全体とマッチしていてある種の風情を醸し出している。

          

 若くて、まだ子供たちも小さかった頃、毎年一回以上は約一時間をかけてこの山へ登った。
 孫を連れて行った頃には、もう時間と肉体の疲労をリスクに自分の足で登ることはない時代になりつつあった。徒歩で登るのは年配の層になってしまっていた。
 今一度、時間をかけてもいいから自分の足で登れないものかとは思うが、なんだか自分が壊れてしまいそうでおっかない。

         
                公園内の三重の塔

 例え山に登れなくとも、あるいはロープウェイで登るにしても、この場所へはやはりやって来るだろう。こんな手近に、これだけのものがあるのに、それを享受しないのはもったいないことだと思う。

         
                山頂へのロープウェイ

 一つ気がかりなのは、信長館の発掘調査である。フロイスの記述によれば、それはかなりの規模で、しかも荘厳であったらしい。それらの片鱗が、私の生きているうちに明らかになるだろうか。道三や信長はいずれも一匹狼のような存在であった。
 だからこそ、彼らが築いたものの片鱗に触れることは、その個的な息吹との交流であるように思うのだが、まあ、私の生きているうちにその全体像が明らかになることはあるまいと思う。

      
               信長館跡の発掘調査の一部
 
 だから私は、彼らが埋めてきた歴史の場に彷徨い、せいぜい写真を撮るほかはないのだ。









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