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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ウザイじじいの越年の言葉

2010-12-31 00:53:47 | よしなしごと
 今年中にやり残したこと?そんなものはいっぱいあります。
 今年中になしえたこと?ほんのちょっぴりですがあることはあります。

 まあ、いってみれば毎年こんなものでしょうね。
 今年とか来年とかいってもそこに断絶があるわけではなく繋がっているわけですから、今年出来なかったことは来年やればいいと居直っています。

       

 ただし、老いたからといって変に悟りきるのは、なんだか別の意味で居直っているような気がしてあまりしたくはありません。
 
 「世の中こんなもんだ。俺もこんなもんだ。何が悪い」
 
 本当に世の中はそんなもんですか?
 本当にあなたはそれでいいのですか?
 本当にあなたは悪くないのですか?

 どこかで、そう私に問いかける声が聞こえるのです。
 それに出来る限り応答したいと思ってしまうのです。
 これってやはり悪あがきなんでしょうね。

 というわけで、相変わらず訳の分からないことを書きながら年を越します。
 
 お読みいただいている皆さん、今年一年、ありがとうございました。
 来年は皆さんから一層「ウザイじじいだな」と思われるよう精進します(笑)。

 良いお年をお迎え下さい。
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4 コメント

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Unknown (只今)
2010-12-31 18:13:24
 小生、六さんから得たものは、「具体的な事柄を抽象的思考に置き換える」言説であります。
  
 例えば「オフサイド」を、貴方はこう詠います。
  =次という時間に抜けるオフサイド=
 これに対して、私はこう詠います。
  =誉れ欲し気付けば常にオフサイド=

 それはそれ、思うに貴方の言説は、ステロタイプを排したいという思いの中から自ずと生まれるものなのでしょう。
 例えば「こうるさい」ではなく「ウザイ」との若者言葉を使いながらも、「年超し蕎麦」という市井言葉ではなく「越年」との公共用語を使用する。 
 この「ぎこちなさ」とその内部にはらむ「矛盾」には、とても豊かなものがあるように思われます。
 
 このこと共有いたしたい、との思いを込めての年越えの挨拶とさせていただきます。









 だからどのようなことでも、「正しいか、正しくないか」という絶対的基準(規範)はみられない、との繰返しの訴え、それは小生も共有させていただこうと思っています。
 
  
 
 
 
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Unknown (冠山)
2010-12-31 22:49:57
六文銭さん、一年間、世間へのさまざまな眺め、あるいは凝視をたのしませていただきました。ありがとう。もう、後1時間ほどで区切りをつけて現れる日々もよろしく。
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Unknown (六文錢)
2011-01-01 03:06:44
>只今さん
 私がいろいろな言葉を濫用するのは、私のメッセージを受け取ってくれるであろう人たちへの手探りのようなものです。

 おっしゃるように正/不正の基準は現在ますます不確定になりつつあると思います。しかしそれを、相対主義的に何でもありとするのではなく、敢えて基準なきところに基準を見いだすためには、私たちの情報リテラシーの能力を高めなければならないと思っています。

 私がそれを硬直した言葉で述べる前に、現実的にそれを見いだしてこられた先輩たちと同人誌で相まみえることが出来たのは昨年の最大の成果でした。
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Unknown (六文錢)
2011-01-01 03:16:58
>冠山さん
 上の只今さんへのコメントで述べたように、私の言葉のいささか乱脈な用法は、冠山さんなど諸先輩が、実践的に到達された立場から学びながら、それらをどう普遍化させるか、とりわけ若い人たちにどう伝えるかです。

 その意味で同人誌は、私自身が学びながら、それをどう言語化してゆくかでとても勉強になる経験です。
 今年もよろしくお願い致します。
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