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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

今池交差点とプロレスラー・デビュー?

2008-09-10 01:50:37 | よしなしごと
 以下の写真は全て今池交差点付近ものです。  

 かつて名古屋の副都心といわれたこの街は、いっとき、その賑わいを喪失したものの、新たな顔をもった街として再生しつつあるようです。その最盛期の終焉に居合わせ、街が更新される時期を目の当たりにし、さらには新しいものが生まれつつあるのを目撃した今池での私の三十年は、今にして思えば、私自身の浮沈をも象徴するものであったのかも知れないと思うのです。

    
    交差点付近のモニュメント アメリカの現代アート作家による

 むろん、私と街が歩調を合わせていたわけではありませんが、街とともにあったと実感したいくつかの瞬間があったことは事実です。
 人はいつも、物語が冒頭に告げるように、「あるとき、あるところ」にしかあり得ないとしたら、私のあるとき、あるところは、あの30年間の今池をおいては他にないのかも知れません。

 
        パチンコ屋が多いからこのモニュメント?

 何があったのかを一言で言うことは出来ません私はそこで様々にうごめいていました。
 のたうち回っていたといってもいいかもしれません。

 
           いわゆる鏡ビル(今池ビル)

 10年勤めた会社を辞め、かといって今の起業する人たちのようにあからさまな目標や希望を抱いてはいなかった私は、積極的な目標も持てないまま、ただただ漂っていたのかも知れません。

 
               千種郵便局

 そんなだらしのなさはてきめんに表れるもので、始めた飲食業がどうもうまくはいきません。事業主の私がしゃきっとしていないのですから無理なありません。
 経営的にも危機でした。

 
          交差点から東へ 池下、覚王山方面

 ここでひとつの目覚めがありました。
 やはり、最低限のことをクリアーしなければ生きてもいけないという当たり前の事実です。
 そんなに古くない店を改装し、私なりの色彩を前面に出した攻めの経営に転じました。
 折りからの高度成長にも乗って、順調に歩み始めました。

    
      郵便局前のモニュメント 最初のものと対になっている

 皮肉にもその頃、今池の街は大きく後退し、副都心からも完全に転落しました。
 私が今池祭りに関与し始めたのはこの頃ですが、街への恩返しというより、なにか新しい街への転換のきっかけのようなのものにならないかと思ったからです。

 
       今池から千種橋方面へ 手前はいわゆるガスビル

 その正否はともかく、それから20年、良かれ悪しかれ町は変貌しつつあります。
 そして、今年は20回目の今池祭りがまもなく行われます。

 また、機会があったら述べますが、今年の祭りは、私がかつて関わったという以上に個人的にも因縁があるものになりそうです。
 さて、どうなりますことやら・・。

    
      今池の語源が「馬池」であったことを示すモニュメント

 今池祭りのスケジュールは以下にありますが、このうち、21日の「レッドコーナー」にある東海プロレスの箇所に私が絡みそうなのです。
 プロレスラーとしてデビューするわけではありませんよ。
 そのプロレスとプロレスの間にあるイベントに絡みそうなのです。

http://plaza24.mbn.or.jp/~clubnext/hozaki/imaikematuri08pc.htm







コメント (3)
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