猫のさんこさんが、そのブログ「さんこの日記」で、最近の幼児の殺戮事件に痛く悲嘆し、その思いを綴っています。
http://blogs.yahoo.co.jp/chieko_39/archive/2008/9/22
それに共感して私はコメントを寄せました。
以下はそのコメントを幾分手直ししたものです。
併せて、この間撮りためた子供の写真を載せてみます。
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ハイデガーが「死への先駆」を説いたのに対し、ハンナ・アーレントは「生まれることの根源的重要性」を対置しました。
「可死性」ではなく、「出生性」の強調です。
出生性こそ新しいものの始まり、新しく始めることの始まり、従来「必然」と見なされていたことを覆す「自由」の可能性への出発だというのです。
要するに、新生児の生誕ごとに、この世界には新しい事態やそれへの始まりがもたらされるのです。
子供たちが生まれること、そして育つことはそうした可能性を孕んだ出来事に他なりません。子供たちの誕生と成長こそが、この世界が日々更新されることなのです。
したがって、その芽を摘むということはあらゆる暴力のうちでももっとも根源的なものといえます。
人間が生まれるのは死ぬためにではなく、新しいことを始めるためなのですから。
http://blogs.yahoo.co.jp/chieko_39/archive/2008/9/22
それに共感して私はコメントを寄せました。
以下はそのコメントを幾分手直ししたものです。
併せて、この間撮りためた子供の写真を載せてみます。
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ハイデガーが「死への先駆」を説いたのに対し、ハンナ・アーレントは「生まれることの根源的重要性」を対置しました。
「可死性」ではなく、「出生性」の強調です。
出生性こそ新しいものの始まり、新しく始めることの始まり、従来「必然」と見なされていたことを覆す「自由」の可能性への出発だというのです。
要するに、新生児の生誕ごとに、この世界には新しい事態やそれへの始まりがもたらされるのです。
子供たちが生まれること、そして育つことはそうした可能性を孕んだ出来事に他なりません。子供たちの誕生と成長こそが、この世界が日々更新されることなのです。
したがって、その芽を摘むということはあらゆる暴力のうちでももっとも根源的なものといえます。
人間が生まれるのは死ぬためにではなく、新しいことを始めるためなのですから。