六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

親の因果が子に報い・・なのです!

2008-09-14 17:13:46 | よしなしごと
 写真はとくに関係のないものもあります、というよりそっちが多い。

 今年は、あと一週間を切った(20、21日)名古屋の今池祭りに妙に縁があります。
 そのプレフェスティバルともいうべきポスターに「おまつり王子」として登場したことは既に述べました。

 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=916301536&owner_id=169021

 そしてまた、プロレスがらみのパフォーマンスに関しても思わせぶりなことを述べてきました。

 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=928656694&owner_id=169021

 
              地下鉄・今池駅にて

 しかし、実は肝心なことについて述べていなかったのです。
 上記のプロレスがらみの記事に関連するのですが、21日午後2時から行われる東海プロレスの方たちの野外リングで、その試合の前後半のいわば幕間(2時40分ぐらい)で、公開結婚式の催しが行われることになっています。
 その結婚式に愚息が登場するのです。
 それがなんと、花婿として登場するのです。

 これはいわば人前結婚式のようなもので、パフォーマンスとしての内容を含むとはいえ、れっきとした結婚式です。

 

 実はこれ、私にとっては青天の霹靂、曇天の還暦だったのです。
 結婚したい人がいるとのことを知らされたのはこの夏の盛りでした(去年ではありませんぞ!)。
 相手の女性に会ったのは8月23日でした。
 その折には、この祭りの公開結婚式の候補として挙がっているが、本命のカップルが決まっていて、自分たちはあくまでも補欠だとのことでした。

 しかし、それから幾ばくもしないうちに、本命がキャンセルし、自分たちが本命になったと知らされたのです。
 あれよあれよという間のことで、気持ちの整理もタンスの整理も出来ません。泡を食っている暇さえないくらいです。

 

 さいわいにも、本人たちだけで身内の出番はなく、高みの見物か、絶好の被写体を撮るカメラマンを決め込めばいいのですが、それにしても落ち着かぬことは否めません。どんな顔をして見ていたらいいのか、今から鏡に向かって練習しています。

 まあ、大勢の人に見守られ、祝福されるということはいいことでしょう。本人たちにとっても忘れがたい思い出となることでしょう。私自身も素直に祝福してやりたいと思っています。

 しかし、愚息ですが、若い頃私の店を手伝わせていたことがあり、それが縁で今池との繋がりが出来、現在は今池に居住や足がかりを持っていないにもかかわらず、祭りの実行委員がらみのことをしています。
 そして今回の公開結婚式です。

    
              オオケタデの花

 まことに、親の因果が子に報いでしょうか、げに恐ろしき因果応報の世界ではあります。
 まあ、しかし、そうした縁もあって、相手の女性とも知り合えたようですし、昔の青年団よろしく地域の若い衆が力を合わせてなにかをやってゆくということはいいことだろうと思い、見守ってゆく所存です。

 あ、そうそう、結婚式の締めは「菓子撒き」だそうです。
 お菓子の好きな人はつばの広い帽子でも用意して見物にきて下さい。

 このパフォーマンスが、相手の女性と愚息のよりよき生活へのひとつの起点となりますよう祈っています。

 

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パタゴニア・ピューマ・そしてトランスナショナル

2008-09-13 02:55:41 | アート
ここに掲載する写真は、全て写真家野村哲也氏の作品であり、掲載に当たっては彼の了解を得たものです。従いまして、別途転載などはご遠慮下さい。

 珠玉の写真には珠玉の文章こそふさわしと思うのですが、そんなものが書けるはずがありません。

 ここに紹介する写真家の野村哲也氏とはもう10年以上前の付き合いなのですが、最初会ったとき、彼は20代の前半だったのですが、私は既に初老の域に入っていました。
 しかし、彼の中には、外へと広がろうとするエナジーのようなものが沸々と感じられました。

 
  以下の三枚の写真は、彼が現在住んでいるチリの近くにあるオソルノ火山
   どこかで見た感じでしょう。そうです、富士山にそっくりなのです。
   日本人は富士=不二として世界遺産にしたがっていますがこんな山は
   世界にごまんとあり、それらの方が実は清純さが保たれているのです


 あるとき、ついその前になくなった動物写真家の星野道夫氏について彼と会話を交わしたことがあります。
 ベテランである星野氏の不注意を責める言説に対し、お祭り騒ぎのテレビクルーから離れ、翌日のエスコートを成し遂げるため、彼の単独睡眠行為は必要なものであったと哲也氏は涙ながらに抗議していました。
 私は、それに共感しました。

 
          
 彼の処女写真集が出版されました。
 「ペンギンのくれた贈り物」というそれは、彼の写真家としての実力はもちろん、私の知り合いたちの協力によって達成されたものでした(風媒社刊行)。

 この写真集には思い出があります。  
 既に老人性痴呆になっていた私の義母が、これを繰り返し繰り返し観ていたことです。
 彼女はもはや故人ですが、最後にその目に焼き付いたものは哲也氏の写真ではないかと思っています。

 

 そんなこともあって、彼との交流が始まり、通信が送られてくるようになりました。
 写真にキャプションや文を付さねばならない彼にとって、文章は必須でした。
 しかし、最初の頃の彼の文章は、名詞や形容詞、動詞が単独に踊るのみで、私は彼に、「細切れのうどんを食っているようだ」と酷評をしたことがあります。
 要するに、すすーっとすすれないのです。

 
          これと次もパタゴニアの山々
            

 しかし、今は違います。
 その後彼は、写真集「悠久のとき」(中日新聞社)や「たくさんのふしぎ」(福音館書店)を始め、雑誌「岳人」や、航空会社の機内誌のグラビアを飾るなど、文章の面でも長足の進歩を遂げています。
 ほどよいつゆを付けて、ツルツルーッとすすったり、噛みしめたり出来るようになったのです。
 あちこちで講演などをして回ったことも、文章の構成力を養うのに役立ったのかも知れません。

 
   
 最初、彼に会ったとき、外へ広がろうとするエナジーを感じたと書きましたが、それは当たっていたようです。
 彼は世界を股にかけて活躍しています。それらはほとんど、南米、アラスカ、アフリカなど生々しくもダイナミックな自然が残っている場所です。
 写真の守備範囲もどんどん広がっています。動物から、土着の人々、雄大な自然などなどです。

 
             パタゴニアの狐

 彼が世界に分け入り、また世界が彼を受け入れてくれるのは、彼の中の「郷に入れば郷に従う」の精神だと思います。
 偏狭な日本の文化や生活習慣に縛られることなく、その土地のリズムの中にす~っと溶け込む能力があるようなのです。しかもそれは、その土地の状況に自分を合わせるという消極的なものに止まらず、自ら進んでその土地の魅力を見出しそれを十全に楽しんでしまうという羨ましい能力です。

 
    何らかの事情で親とはぐれてしまった野生動物の保護施設での
              ピューマの赤ちゃん

 そんなこともあって、日本が狭すぎるこの男は、いま、愛妻とともにチリはパタゴニア地方のオソルノ火山に近いロッジに住んでいます。もちろんここは彼の終の棲家ではなく、単にベースキャンプに過ぎないようで、ここを起点に常時あちこちと飛び回っています。
 当分ここに落ち着くのかなぁと思っていたのですが、最近の彼の通信によると、次の居住地候補として南アフリカを既にノミネートしているようです。

 最近彼と、こんな話をメールで交わしました。
 「インターナショナル」という言葉は言ってみれば「ナショナル」を背負った者同士がお互いにうまくやって行くといったイメージなのですが、彼の場合には、そうしたナショナルにもこだわらず、いわばトランスナショナルなイメージがあるのです。そんな話の中から、世界に国境というものがあること自体が、実は不思議で不自然な事実だということで意見が一致しました。

 
  猫の仲間には違いないのだが赤ちゃんにして既に野生の悲哀を宿している

 私はあまり、自分の生まれた時期について不満を持ったことはありません。この時期に生きたからこその私であり、いろいろ悔やむことはあっても、それも含めて私を生きてきたと思うからです。
 しかし、彼を知ってしまうと、しばしば、「ああ、もう半世紀後に生まれたかったなぁ」と思ってしまうのです。
 
 写真はそれを撮る者のまなざしです。
 私も写真が好きですが、私のようにまなざしが濁ってしまった者には凡庸な写真しか撮れません。
 しかし、彼の写真は素敵です。
 それはテクニックを越えて、彼のまなざし、彼と世界とが向き合っているありようを現しているからです。

 




 





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今池交差点とプロレスラー・デビュー?

2008-09-10 01:50:37 | よしなしごと
 以下の写真は全て今池交差点付近ものです。  

 かつて名古屋の副都心といわれたこの街は、いっとき、その賑わいを喪失したものの、新たな顔をもった街として再生しつつあるようです。その最盛期の終焉に居合わせ、街が更新される時期を目の当たりにし、さらには新しいものが生まれつつあるのを目撃した今池での私の三十年は、今にして思えば、私自身の浮沈をも象徴するものであったのかも知れないと思うのです。

    
    交差点付近のモニュメント アメリカの現代アート作家による

 むろん、私と街が歩調を合わせていたわけではありませんが、街とともにあったと実感したいくつかの瞬間があったことは事実です。
 人はいつも、物語が冒頭に告げるように、「あるとき、あるところ」にしかあり得ないとしたら、私のあるとき、あるところは、あの30年間の今池をおいては他にないのかも知れません。

 
        パチンコ屋が多いからこのモニュメント?

 何があったのかを一言で言うことは出来ません私はそこで様々にうごめいていました。
 のたうち回っていたといってもいいかもしれません。

 
           いわゆる鏡ビル(今池ビル)

 10年勤めた会社を辞め、かといって今の起業する人たちのようにあからさまな目標や希望を抱いてはいなかった私は、積極的な目標も持てないまま、ただただ漂っていたのかも知れません。

 
               千種郵便局

 そんなだらしのなさはてきめんに表れるもので、始めた飲食業がどうもうまくはいきません。事業主の私がしゃきっとしていないのですから無理なありません。
 経営的にも危機でした。

 
          交差点から東へ 池下、覚王山方面

 ここでひとつの目覚めがありました。
 やはり、最低限のことをクリアーしなければ生きてもいけないという当たり前の事実です。
 そんなに古くない店を改装し、私なりの色彩を前面に出した攻めの経営に転じました。
 折りからの高度成長にも乗って、順調に歩み始めました。

    
      郵便局前のモニュメント 最初のものと対になっている

 皮肉にもその頃、今池の街は大きく後退し、副都心からも完全に転落しました。
 私が今池祭りに関与し始めたのはこの頃ですが、街への恩返しというより、なにか新しい街への転換のきっかけのようなのものにならないかと思ったからです。

 
       今池から千種橋方面へ 手前はいわゆるガスビル

 その正否はともかく、それから20年、良かれ悪しかれ町は変貌しつつあります。
 そして、今年は20回目の今池祭りがまもなく行われます。

 また、機会があったら述べますが、今年の祭りは、私がかつて関わったという以上に個人的にも因縁があるものになりそうです。
 さて、どうなりますことやら・・。

    
      今池の語源が「馬池」であったことを示すモニュメント

 今池祭りのスケジュールは以下にありますが、このうち、21日の「レッドコーナー」にある東海プロレスの箇所に私が絡みそうなのです。
 プロレスラーとしてデビューするわけではありませんよ。
 そのプロレスとプロレスの間にあるイベントに絡みそうなのです。

http://plaza24.mbn.or.jp/~clubnext/hozaki/imaikematuri08pc.htm







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南京ハゼとアキアカネ

2008-09-08 00:07:46 | フォトエッセイ
 図書館での失敗談は昨日書きました。
 そんなわけで今日また出かけたのです。
 無事本も返し、新しい本も借りました。

 

 定点観測でいつも見てくる南京ハゼにも会ってきました。
 実が一段とふくらんでいます。
 やがて皮が褐色になり、それが弾けると中から白い実が顔を出すはずです。

 

 なにやら頭上でちらちらします。
 アキアカネです。
 まだ柿色の胴体ですが、さあ、里へやって来たぞとばかりに、折りから出てきた風に乗って乱舞しています。

 

 なかなかその容姿をカメラで捉えることは出来ません。
 何しろ、まるではしゃぎ回るように一時もじっとしないのですから。
 そこへもってきてズームの効かない下手なカメラマンときています。

 

 ここまで撮すのがやっとでした。
 ちょっと郊外はもうすっかり秋ですね。





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秋の木の実と「恍惚の人」

2008-09-06 17:58:57 | フォトエッセイ
 図書館へ行きました。
 昼の陽射しはまだ夏そのものです。
 しかし、周りの植物たちはすっかり秋の様相を見せ、春先に咲いた花を実りへともたらしていました。

 
 
 これは先般も紹介しましたモクレンの実です。
 ぶら下がった形はいまいちなのですが、ピンクに白い水玉のあしらいは結構愛らしいものがあります。

    

 やたら沢山実を付けた樹があります。
 春先に、スズランのような花をいっぱいくっつけていたエゴノキの実です。
 エゴといっても人間様のように「自己中」ではありませんよ。
 懸命に可愛い実を付けています。
 その三態を紹介します。


 
 のんびり写真を撮ってから、本の返却に向かいました。
 係の姉さん曰く。
 「一冊足りませんよ」
 「えっ」
 と仰天して鞄の中を探しましたがありません。
 どこかで落としたのでしょうか。

 

 お姉さんに謝って、おそるおそる、
 「あのう、これから帰ってまた出かけるのも何ですから、明日返却ということで勘弁していただけませんでしょうか」
 というと、気が抜けたくらいあっさりと、
 「いいですよ、次の予約も入っていませんから」
 と、にっこりと笑顔までサービスしてくれました。

 

 途中、寄るところもあったが、気もそぞろで用件を済ませて家に戻ると
 「あった~」
 忘れるといけないので机の真ん中に乗せて置いたのだが、そのまんま鎮座あそばされていました。
 安堵しながらも、「何が忘れるといけないからだ」と自分自身に悪態をついた次第。

 
 
 最後のものはハナミズキです。
 実が色づき始めましたが、まだ本格的ではありません。
 秋が深まるにつけ、触ると火傷をするくらいの真紅になるのです。
 また紹介しますね。

 

 そんなわけで明日も図書館です。
 そうだ、今日は見てこなかった定点観測の南京ハゼも見てこなければ・・。



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孤(狐ではない!)であることを考える。

2008-09-04 00:26:57 | インポート
 私たちは孤であることなど出来ません。
 私たち人間を含めたあらゆるものが、ある種のネットワークの内にあってこそこうあるので、孤であること自体が不可能なのです。

 

 にもかかわらず、私たちは孤を感じ、孤であることを選択したりします。本当は、全体的な構造によって生み出され、どこまで行ってもその構造の一要素でしかないにもかかわらず、自分を孤であると思いがちです。

 それは客観的にいえば誤りなのかも知れませんが、そうばかりは言えないのです。

    

 確かに私たちは構造の産物でしかないのかも知れません。
 しかし、構造はある種の化学実験とは違って、同じ組み合わせにあっても同じものを生み出すとは限らないのです。ましてや複雑きわまりない現実の中で、同じ組み合わせ自体が不可能であってみれば、工場生産のように同じものとして生み出されることはないのです。

 

 これを「余剰」と名付けてもいいでしょう。あるいは、「必然からはみ出るもの」といってもいいでしょう。
 それを意識するとき、「孤」を感じるのかも知れません。

 しかしこれを乙女チックに(おっとこれは性差別的だ)、いや、感傷的にとらえるなら、「世の中から私だけが離れていて・・」という独断論になったり、恨み辛みのルサンチマンになったりします。
 無差別殺人を試みる人たちにはこうした受け止め方が多いようです。

 
 この孤を、何か創造的なものに結びつけられないでしょうか。
 感傷的な思いが詩を生み出すことがありますね。それは孤を昇華させ創造的なものにするきっかけとなります。
 もっとも、私を含めて大部分は感傷のみに終わってしまうのですが・・。
 それでも、ひとを刺すよりいいですよね。

 先に述べたように、孤が構造のもつ余剰のようなものだとしたら、思い切ってこの構造自体をあからさまに描き出したり、この構造に何かを書き加えることが出来ればすばらしいでしょうね。
 一般的には、これはひとり、天才の為せる業なのでしょうね。

 

 しかし、私のような凡人でも、自分の周辺のチマチマしたところで、自己満足でもいいから何かを作り続けることは出来るように思います。自分の孤であることを何らかの形で現すということです。
 
 敢えて、「孤独」としなかったのは、孤ではあり得てもそれは決して「独」ではないと思うからです。

<おまけ>
 かつて天知真理は歌いました。
 「独りじゃないって
  素敵なことねぇ~」
 これ分かるひと団塊以上かな?










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悲惨を越えたもの 「焼き場に立つ少年」考

2008-09-01 14:32:08 | インポート
 ここに掲げるのは、長崎の爆心地を撮影した米カメラマン、ジョー・オダネル氏が著した『トランクの中の日本』(1995年刊行 その後しばらく絶版になっていたが今年復刊 小学館)の中でもっとも著名な写真です。
 おそらく、原爆の後遺症などで亡くなった弟を背負って焼き場に現れた少年の写真です。
 
 「その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気がついたのは。少年があまりにきつく噛みしめている為、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりと踵(きびす)を返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。」
 オダネル氏は、弟を荼毘に付して帰る少年をこう描写しています。

     
 
 しかし、私には、この写真が現しているものは、単に、原爆や戦争の悲惨のみではないように思えて仕方がないのです。
 むろん、それらを否定はしません。しかし、そうした詠嘆の内にはおさまりきらないある余剰、誤解を恐れずにいえば、少年の表情のうちにある超越的なものをも感じずにはいられないのです。
 
 この少年の異様な緊張感は私たちにひしひしと伝わってきます。
 どうしてでしょうか。それは、彼が見事な「キヲツケ」をしていたからです。
 あの姿勢を保つということは、当時、公の場や緊張感のある場合、常に私たちに強いられたものであり、それ故に、それは習慣化し、号令をかけられなくともそうした場では自動的にそうした姿勢をとったものです。
 なお、オダネル氏が「少年はくるりと踵(きびす)を返し」と描写しているのは、キヲツケなどとともに教えられた「マワレミギ」ではなかったかと思うのです。

 よく写真を見て下さい。彼は兄弟を背負うという不自然な姿勢にもかかわらず、懸命に直立し(少し前傾しているのは背負った重みとのバランスのためでしょう)、足のかかとを付け、足先は約60℃に開き、手は真下に真っ直ぐに伸ばして、ズボンの脇の線に中指を添わせるという、まさに当時定められたキヲツケの姿勢を寸分崩すことなく実行しています。
 
 私はそれを見たときに、涙が溢れそうになりました。
 彼は、私より3~4歳年長で、当時の軍国少年(ないし幼年)として、同じような環境下にあったはずです。
 それがあの、「キヲツケ」に凝縮されて表現されているのです。
 しかし、キヲツケの意味はそれに止まるものではありません。
 
 当時、学校などでの訓話の中、「かしこくも」という言葉が出た途端、総員がさっとキオツケをしなければなりませんでした。「かしこくも」は枕詞で、必ず天皇や皇室への言及があったからです。
 そのキオツケを、彼は見事にやっているのです。
 
 その事実に気づくと、この写真に秘められたある別の局面が開かれるのではと思うのです。
 そしてそこに、先に述べた「戦争の悲惨さ」には収まりきれない余剰が表現されているのではないかと思うのです。 
 
 それは、彼が受け、私もその片鱗を注入された、「一億総玉砕をしても、国体、つまり天皇陛下を中心とした体制を守り抜け」という教育の存在です。こうして注入されたものは、容易に消滅はしません。
 ましてや、敗戦後幾ばくもしない時期の少年にとってです。

 彼はなおかつ、陛下に殉ずる少年として、キヲツケの姿勢を崩してはいないのです。
 むろんそれは、失った兄弟への哀悼であるかも知れません。
 しかし、同時に、彼は自分の失ったものを、陛下への供物として捧げに行ったように思えてならないのです。
 悲哀と哀悼の中にありながら、それを超越した凛然としたプライド・・。 

 この少年の表情にあるたんなる悲哀や諦観ではない毅然としたもの、それはこうしたバックグラウンドにおいて始めて可能になったのではないでしょうか。

 このとき彼は、国民の犠牲おびただしき中で自らの延命を図った天皇家よりも、そして、負け戦の中で今後の稼ぎを計算し始めた大多数の国民よりも、はるかに崇高な地点に立っていたように思えてしょうがないのです。
 私にとって、この写真の意味は、このキヲツケにこそあるのです。

  国民が明日の稼ぎを考えること自体を否定するものではありません。
   また、少年の中に「崇高さ」を見ることの危険性も承知しています。


 


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