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千々に砕けたものはなんだろうか? リービ英雄を読む。

2012-11-24 01:51:06 | 書評
 リービ英雄『千々にくだけて』に寄せて

 2001年、NYの貿易センターなどを対象としたテロ事件の折、タバコを吸いたいばかりに日本ーアメリカの直行便ではなく、カナダ経由の路線を選んだため、事件の余波でアメリカへ入国できず、バンクーバーで足止めされた男の2、3日間の物語である。

 彼はアメリカ人で、母や妹と逢うためにアメリカに向かったのであった。
 隣国カナダでも、その事件の模様は終日TVを占拠し、男はしばしばそれから逃れようとするのだが、どうしようもなくそれらを観てしまう、というより観ざるを得なくなる。

         

 彼は暇に任せて初めて訪れたそのカナダの都市を徘徊するのだが、公園ではテロルの犠牲者を悼むイベントが行われ、商店のウィンドにはアメリカ国旗が掲げられるなど、否が応でもそれらを目にせざるをえない。
 TVでは5代にわたるアメリカ大統領夫妻が一堂に会する儀式が中継され、報復戦への国民的合意が形成されてゆく。
 TVや、そしてカナダの新聞でも「 IT'S WAR! 」という大文字が氾濫し続ける。

 アナウンサーは言う、「この悲しみを通じて地球はひとつになった」。そしてこの「ひとつになった地球」からはみ出た部分への戦闘が開始される。
 アメリカも、カナダも、そう、そして日本も加わる戦争が。

            

 アメリカの出自でありながら、今や20年以上にわたって日本に住み、日本語で小説を書き、中国など東アジアと往来している作者と思しき語り手にとっては、それらをさらに異国で宙ぶらりんなままに見聞するということもあって、事態はなにがしか非現実的なグロテスクなものに見える。

 タイトルの「千々にくだけ」たものは何であろうか。
 最初の提示は芭蕉が松島を詠んだ句「島々や千々にくだけて夏の海*」だったのだが、それは文字通り千々に砕けた貿易センターのツインタワーに転じ、それによってあらわにされた世界秩序の「異分子」との戦争へと至り、なおかつ、もはやそれらと無関係でいられないグローバルな状況下で錯綜する私たちそのものの揺らぎとなって波及する。
 私たちは、千々にくだけるものの内にあり、もはやそれを高みに立って見ることはできない。

 作者の出自を超えたトランスナショナルな立場が、そうした事態を冷静に見据え、文学作品として昇華することを可能にしているのだと思う。

        

 なお、作者は、東洋系の人は除き、最初に日本語で小説を書いた西洋人**である。
 「英雄」とあるが、日本人とはまったく関係はなく、本名(Ian Hideo Levy)にたまたまHideoが入っていたのでそれを漢字で表し、ペンネームにしたらしい。

 この小説を私が読んだのは、水村美苗の『日本語が亡びるとき』という刺激的な評論の延長上にあることはいうまでもない。
 それを前提にしても、彼の日本語は、簡潔で美しい。

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*私が参照した限りで芭蕉の句は「島々や千々に砕て夏の海」となっていて、「くだて」とは微妙に異なる。ようするに「くだける」の主語に幾分のズレがあるように思うのだが、リービのテキストは「千々にくだける」という状況そのものに依拠しているのでとくに問題はないだろう。
 なお、この句の英訳は以下のようだ。

       All those islands!
       Broken into thousands of pieces,
        The summer sea.

**リービより先にラフカディオ・ハーンがいるだろうという声が聞こえそうだが、彼は小泉八雲という日本名を持ちながらも、ほとんど日本語を解さなかった。
 彼の作品は、その妻、小泉セツが収集した民話などを、「二人の間のみで通じる会話」をもとにハーンが英語で書いたもので、今日私たちが日本語で読むものは、林田清明などの日本語訳によるものである。
 なお余談であるが、この小泉セツは明治元年(1868年)に生まれ、1932年まで存命していて、私がもう六年早く生まれていたら同じ空気を吸うことができるところだった。



コメント (2)
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