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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

六の徘徊日記 または道草についての言い訳

2012-11-18 17:52:39 | 写真とおしゃべり
    
                       お茶の花 山茶花を小ぶりにしたよう

 まだ完全に呆けてはいないつもりですから、散歩以外にあてもなくさまようことはないのですが、どこかへ用事があって出かけても、肝心の用件より道草のほうに時間がとられるのはやはり徘徊に近いのかも知れません。
 とりわけ、カメラ付きの携帯を持っていると、絵になりそうなカットが気になり、ついあちこちの横道に逸れ、寄り道が多くなります。

 
                           トキワサンザシの実

 しかし、ブーメランのように、行ったら素直に帰ってくるなんてつまらないじゃぁないですか。
 ちょっと悟ったようなことをいわせてもらえば、道草のほうが実り多いことだっていっぱいあるはずでしょう。

 
        人参の葉っぱは元気         ミント 近づくだけで香る
 
 だいたい、生涯の目標のような顔をして一心不乱にしていることだって、もっと大きな視点から見たら道草にしか過ぎないことだってありますよ。もともと、人間はこれこれをするというために生まれてきたわけではないでしょう。自分でその道を選んだつもりでも、諸般の要因によってたまたまそうなっただけかもしれないじゃぁないですか。
 天命なんていったって、偶然性に晒されるのを恐れるだけの自己暗示かも知れませんよ。

 
    カボチャ 今頃咲いても実らないのに         夕映えの畑
 
 てなこといいながら、30分で済む用事をのたりくたりとその倍以上もかけてしまうのです。
 といって、暇で時間を持て余しているわけではないですよ。
 「ちかいうちに」しなければならない三つの課題を囲え込んでいるのですから、惰性で仕事をしていた頃よりは気持ちとしてはむしろ忙しいくらいなんです。

 
     まだ頑張っているコスモス          これは何の実かな?
 

 
 ちなみに朝起きて、「さて、今日は何しようかな」というような日はないのです。
 にもかかわらず、ついノンベンダラリンとしてしまうのは、ぎりぎりにならないと宿題ができないという子供の頃からの習慣によるのでしょうか。
 この習慣、ある意味では困ったものかも知れませんが、馬車馬のように宿題にのみまっしぐらってのはやはり味気ないじゃぁないですか。それに、時間に追われて宿題をこなすというスリルもまたなかなかのものですよ。

 
         紅葉し始めたもみじといちょうを逆光で撮ってみました
 
 というようなわけで、「どこそこへ出かける」といって出たらなかなか帰って来ません。
 それでも、あまり遅くなると捜査願いが出されそうな年齢なので、まあ、そこそこにしています。
 それにこのごろは夕方になると極端に寒くなりますから、行き倒れの野垂れ死にという事態も危ぶまれますもんね。

  
      山茶花を撮っていたらスズメバチが ほかの蜂は平気だがこれはちょっと怖い
 
 ここに掲げた写真はそうした徘徊の成果(?)です。
 最初の写真(図書館庭園のアメリカハナミズキの実)以外はみんな徒歩10分以内のご近所です。

コメント (3)
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