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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

若者「論」のすべて <1>

2011-12-18 01:42:34 | 社会評論
 ルキノ・ヴィスコンティの『若者のすべて』という映画を観たのはもう何十年前だったろうか。詳細は忘れてしまった。
 まあいいだろう、ここではその映画の話をしようとするのではないのだから。
 ようするに「若者論」についていいたいのである。
 若者についてではない。若者を論じるその手つきについてである。

 かつてまだ若かった頃、自分が若者の段階を過ぎても「今時の若い者たちは」といういい方はすまいと思っていた。それは、私自身がそうした言い方の対象にされ口惜しい思いをしたからであった。
 もちろんそれは私だけではなかったはずだが。

       

 往時の若者の中でもあまり謙虚ではなく、ある意味では傲慢でさえあった私は、そんな折、こんな風にうそぶいていたのではあるまいか。
 「ケッ、何がいまどきの若い者はだ。こんなチンケな世の中しか作ってこなくて、しかもその中にどっぷり浸かってもはや干からびた感受性しか持っていない連中に、とやかく言われる筋合いはない」
 と、まあこんな具合にである。

 こうした言い分の背景には、戦中戦後にわたる軍事的、政治的、経済的価値転換や変動のなかで、なりふり構わず慌てふためき、適当に変身しつつ自分の居を定めてきた得手勝手な大人たちをある程度見てきた過程があり、それへの不信感があったからに他ならない。

       

 「法や秩序を守れ?」
 あんたたち法を守ってきたかい?配給の物資だけに消費を限定して飢え死にした判事を尻目に、闇物資の調達に精をだし、女子供を突き飛ばしてでも買い出し列車に乗らなかったかい?
 
 旧体制での地位を利用し、旧軍の隠匿物資をネコババし、それを戦後「復興」経済の資金源として財をなしたのではなかったかい?
 隣の半島で何十万何百万の人たちが血を流し命を失っている朝鮮戦争を尻目に、特需景気で濡れ手に粟の大儲けをし、小躍りしながらこの戦争がいつまでも続きますようにと願ったのではなかったかい?

 アメリカとの一方的な不平等軍事同盟を結び、そのツケを、すぐる大戦で唯一住民を巻き込んだ地上戦が展開され、最も被害が大きかった沖縄に、またしても押し付けはしなかったかい?

 そのほか言いたいことは山ほどあった。
 「平和と民主主義」 ほんとかい?
 「主権在民」    ほんとかい?

       
           ン十年前の市バスの復刻版 前にも見かけた

 そうした問いには決して答えようとはしない大人たちが、若者を糾弾した。
 ようするに、戦後体制を利用してしこたま儲け、新しいエスタブリッシュメントとしてのし上がった連中が政治経済を支配し、モラルの面では戦前とさして変わらない「忠孝」の押し付けでもって私たちを抑圧したのであった。

 そうした旧態然たるモラルは、いわゆる左翼の中でも生きていた。
 前衛党を名乗るある政党は、党中央の方針に疑問を呈する若者に対し、「君たちは自分が太陽だと思っているが、太陽は党中央であって、君たちはその周りを回っている衛星に他ならない」という論文を党の機関誌に恥ずかしげもなく公表し、絶対王政とほとんど変わらぬシステム(それは民主集中制と名付けられていた)を誇示したのであった。

 とはいえ、私たちが一方的に正しかったと強弁するつもりはない。
 いま考えれば、赤面するような、いや赤面では許されないような誤りも内包していた。
 しかし、当時の大人たちから「今時の若いものは」とは言われたくなかった。

       

 これまで書いてきたことは、前振りにすぎない。
 ようするに、なぜ私は「今時の若いものは」という言い方はすまいと思ったかについて述べたに過ぎない。
 本論はこれからで、そうした私がつい「今時の若いものは」といってしまうということや、そうした私のような物言いについての「今どきの若い人」からの反論について述べたかったのであるが、もはや充分に紙数を費やした。
 この続きは次回に譲りたい。
 


 写真は師走の名古屋の街 本文との関係? ありません。
コメント
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