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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「悪しきこと」と「良きこと」が似てしまうということ

2011-12-15 02:05:20 | よしなしごと
 悪事というものはやはり一度手を染めて、しかもそれがある意味で成功裏に終わった場合、次第にエスカレートする傾向にあるようです。
 大王製紙の三代目のカジノ三昧に伴う詐欺まがいの借金の累積も、その金銭感覚もさることながら、当初はそれほどのものになるとは本人も思わなかっただろうと思われます。第三者によるチェック機能がなかったことをよい事に次第に野放図になってあれほどまでに膨らんでしまったのでしょう。

 万引きや窃盗、それに傷害、殺人などの犯罪も、その経済的要因や心理状況はともかく、次第にエスカレートするのではないでしょうか。当初の「出来心」が次第にその域を脱してゆくことによる連続性、拡大性があるようです。
 いわゆる連続殺人事件などというのもそれに相当するのかも知れません。

       

 では、「良きこと」の場合はどうでしょう。
 客観的にはいざしらず、本人が主観的に「良きこと」と思っている場合の問題です。
 この場合にもある種のエスカレート現象が見られます。
 小は良きことの押し付けやおせっかいから、大は「良きことのための戦争」(大義のための戦い、聖戦)にまで至ります。

 最近の朝ドラにも出てくる、戦時中の「大日本婦人会」による私生活の監視と各種抑圧が次第に拡大してゆくさまもそうですし、ナチスドイツにおいても、旧ソ連圏においても、民間でのそうした監視体制があり、それらは「良きことをしている」という自負のもと、次第にその活動をエスカレートしてゆき、最后にはその摘発対象そのものをでっち上げるに至ったといわれています。

 中国の文革時代もそうでした。紅衛兵は次第にその「良きこと」の範囲を拡大し、ついには家々の鴟尾(神社仏閣や城郭の屋根の両端にある装飾、一般の家では鬼瓦)を迷信に関わるとして破壊して歩いたのだそうです。私も中国で、それがもぎ取られた不自然な家々を見ました。

 これらはいわば「良きこと」のインフレーションともいえます。

       

 日本でのそれは、幾分カリカチャライズされてはいましたが、連合赤軍やオウム真理教でも見られました。
 前者は、追い詰められ孤立した条件のなかで、「良きこと」が暴走し、仲間殺しを含む凄惨な様相を呈しました。
 後者は、やはり閉塞した状況のなかで、自らが信じる「良きこと」のために、多くの人々を犠牲にしました。

 ようするに、世の中には唯一無二の真理や正義があり、その実現のためには人を殺すことも(あるいは自分が死ぬことも)厭わないという考えが招いた殺戮のドラマだったともいえます。

       

 これは、上にみた「良きこと」のための活動全てに共通することです。
 そして、それがゆえにそれらはエスカレートする定めにあるともいえます。
 悪事のエスカレートはもちろん怖いのですが、「良きこと」のエスカレートも同様に怖いものがあります。
 
 「小人閑居して不善をなす」などといわれますが、上にみたような例は、「善人切磋琢磨して不善に至る」にもなります。
 古人曰く、「善悪はあざなえる縄のごとし」と。
 また、別の古人曰く、「善悪の彼岸」へ。
 
 

コメント (1)
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