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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

フェルメール・トヨタ・そして訃報

2011-07-24 00:20:36 | ひとを弔う
 過日、敬愛する先達や仲間と豊田市美術館で開催されている「フェルメール《地理学者》とシュテーデル美術館所蔵 オランダ・フランドル絵画展 」に行ってきました。
 フェルメールというと日本人には人気が高いようで、それだけで人を呼ぶのですが、行ってみたら彼の作品は一点しかなかったというネットでの記載を見かけました。

 しかし、彼は著名な割に残っている作品は三十数点と少なく、生涯でその一点にお目にかかるだけでも僥倖というべきかもしれません。私など、映画にもなった「真珠の首飾りの少女」にお目にかかりたいのですが、この歳ではもう無理ですね。

        

 ところでこの美術展、「豊田市政60周年事業」となっていますがこれは部分的には不正確かもしれません。
 私がはじめてここを訪れた半世紀以上前、ここは「挙母市」という小さな地方都市でした。やがて、この市に本拠を置くトヨタにその地名を譲り、豊田市になったのは1959年です。
 従って「市政60周年」というのは前身の挙母市(1951年に市制へ)をも含めた数字なのです。

        

 しかし、その後、この市は世界のトヨタと連動し、どんどんその周辺の町村を合併し、今やその面積は愛知県の六分の一を占め、岐阜県や長野県と接するまでに至りました。

 そんなうんちくはともかく、絵を観て、親しい仲間とのお喋りの時間を過ごし、珍しくノン・アルコールで帰宅した私を一枚のはがきが待っていました。
 それは高校時代の同窓生六~七名で年二回、定期的に行っていた学習会仲間の一人の訃報でした。彼は私より一学年下でしたが、その学習会の仲間であると同時に川柳の句友でもありました。

        

 私自身がこの春先、彼と電話で話した折の状況から、ひょっとしたらとふと思っては打ち消していた当たらなくともよい悪い予感が的中してしまったのです。
 以下は、生前彼が私に送ってよこした句を探しだしたものです。
 その温かい人柄がお分かりいただけると思います。

      脇役で生きております爪楊枝
      花時計童話を詰めて正午指す
      左遷先知った地酒の温かさ
      景色より告白を待つ観覧車
      酔いしれて家路が点と線になる
      温暖化みんなが背負う深い罪      征児


 定年まで実業界で労務という難しい部署にいながら、世界や人間への深い関心を失わず、堅実で実証的な意見を持ち続けた人でした。
 そして、一年下とはいえ、戦時中のあの空爆の下を逃げ惑い、戦後の厳しい食糧難に耐え、金偏景気に便乗しくず鉄や折れ釘を集めてキャラメルやアイスキャンデーを買うなどの経験を共有した同世代人でした。
 私の戦中戦後経験がまた少し削り取られたように思います。
 
 征児君 安らかにあれ。                 合掌

   彼の名前が戦中生まれであることを雄弁に物語っていてまた哀しい。

 

コメント (1)
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