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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ギルティ? or ノット・ギルティ?

2011-07-29 01:27:20 | よしなしごと
 電話を通じてだが、既知のある女性から思わぬ形でなじられることとなった。
 近親者の事情が絡むので詳細は書かないが、なぜ私が?という不快感と後味の悪さは今もなおねっとりと身にまとわりついている。

 そんなことがらには私は全く関わり合いがないという思いが強いが、そしてまた、じゃぁ私はどうしたらよかったのかがまったく思い浮かばないという理不尽感は残るが、しかし、彼女の私をなじる気持ちはよく理解できる。

 としたら私はその事態の圏外者でありながら同時に当事者という微妙な位置にいることとなる。
 ようするに当面している出来事には私は関与していないが、私の長年の立ち位置やその都度の言動がそうした事態の発生に関わっているかもしれないという漠然とした責任感はある。

 そこまで行くと私のこの世でのあり方への倫理的な審判ということになり、私自身被告席でその論告求刑を待つしかないのだが、人が生きるということは、何がしか他者の領分を掠め取ったりすり抜けたりし、その都度、意識するしないにかかわらず相手を傷つけているとしたら、私はギルティであるに違いない。

 しかし、それが私の意識的無意識的生き様そのものであるとしたら、私は予め定められたギルティ(原罪)を生きてゆくほかはない。
 私にできる僅かなことは、私の理性が理不尽だと判別したその女性のののしりに近い批判を、黙って赦すことでしかないだろう。
 実際のところ、彼女のののしりの対象は直接には私ではないのだけれど、私を標的にしなければならない事情が解っているだけに私がそれを受け止めるほかはないのだろうと思う。

 今もなお、受話器が耳に押し付けられているような不快な感触が残るのだが、それを甘受するのが私の償いだと、ともすれば湧き立つような怒りを抑えている。
 
 自分の過去を携えながら生きてゆくことはそれほど容易ではない。

コメント (8)
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