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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

夏はやっぱし風呂だなぁ

2011-07-20 11:04:23 | 想い出を掘り起こす
 これって名古屋市内で見つけたもの、というかもうかなり前から知っている建物なのだが、なに屋さんか、あるいはなに屋さんであったかはわかりますよね。
 もっとも、いいところのお生まれで、一生ご自分の家を離れたことがない方にはこんな所のお世話になったこともないので、わからないという人もいるかも知れない。

        
        往年の典型的な造りにのように思える 名古屋市千種区にて

 戦後、疎開先から岐阜のうちに戻った折、内風呂はあったのだがもったいないからといって毎日焚くこはなかったので、その焚かなかった日に汚れや汗がひどかった際には時折お世話になった。

 うちを出てからの約十年余りは、やはりこの商売のお世話になった。
 学生時代はたまり場であった学生会館から一五分ぐらい、たいてい仲間と一緒にがやがやお喋りをしながら歩いて「柳原温泉」へ通った。
 この「柳原温泉」、そういう名前だったのか、柳原通りというところにあったので私たちがふざけてそう呼んでいたのかは、今となってはもうわからない。
 ただし、昨年確かめたところでは半世紀後の今でもちゃんと営業していたが、やはり「柳原温泉」とは書いてなかった。

          
                かつての「柳原温泉」 
 
 卒業後、二度ほど転居したが、いずれも目と鼻の先に銭湯があった。
 一度などはアパートからただ道を横切るだけだったので、夏などは下着のままで駆け込んだりした。もっとも、越中ふんどし一丁の爺さんがうちわ片手に縁台で涼んでいた時代だから、さして恥ずかしいことではなかった。

 とにかく銭湯が近いということはいい。冬など湯冷めをすることもない。
 そのかわり「神田川」のような風情もない。なにしろ、石鹸は「カタッ」ぐらいは鳴ったかもしれないが、前奏が始まるかどうかのうちにもう着いてしまうのだから。
 ここも、何年か前通りかかったら、いろいろ多機能化したらしい宣伝とともに今なお健在だった。

 この前、ある飲み屋でみ昔なじみとそんな話が出て、そういえばあそこにもあるよとか、どこそこの銭湯にはちゃんと富士山の絵が描いてあって、TVのロケなどに使うそうだとかいった話が弾んだ。

 風呂の話というのは意外とあっけらかんとしていて陰鬱になることが少ない。
 子供ではなかなか板が沈められない田舎で入った五右衛門風呂、疎開者などが多くなり庭先で入ったドラム缶の風呂、などなど素朴で懐かしい思い出ばかりだ。

コメント (1)
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