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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「海なし県」の「海の日」に思う

2011-07-18 03:19:56 | 社会評論
 浮世離れしている私が、この時期なんで三連休かと思っていたら「海の日」だとのことである。この海の日がかつての沖縄海洋博の継続であることは世に疎い私でも知っている。

 しかし、具体的にどんな日なのかはよくわからない。おそらく関連するお役所がそれらしい記念式典やお説教を垂れて終りになるのだろう。

        
             長良川支流の吉田川、郡上八幡の春

 二つばかり思うところを言いたい。

 私の住む岐阜県は海なし県である。しかし海との関わりがないとは全く思わない。むしろその接触が少ないだけに、海との門戸は開いておくべきだと思う。

 しかし、それとは全く逆行する事態が起こっている。岐阜から流れだし伊勢湾に豊かな養分を補給する長良川、そして伊勢湾から遡上する天然鮎、サツキマス、天然うなぎ、ヨシノボリなど淡水海水の往復魚などが全て閉めだされる施設があるのだ。

        
              岐阜長良川 出陣を待つ鵜舟

 その名は長良川河口堰。なんのために作ったのかは未だに判然としない。
 工業用水の取水?周辺自治体のほとんどがそれらが足りているとのことで敬遠している。
 洪水の予防?そんな堰のためにかえって水面上昇が心配されている。

 この河口堰の唯一といっていい成果は、その上下において、これまでその豊かな漁場であった大和しじみを絶滅させたということである。

            
                  長良橋と金華山麓

 かくして長良川河口堰は、海なし県の岐阜をさらに海から遠ざけることとなった。山と川と海との有機的なつながりが決定的に失われたのだ。
 その結果は、数十年にわたり長良川中流域で定点観測を続けてきた私の恩師・後藤宮子さんの研究やデータからも明らかである。
 長良川はやせ細ったのである。たぶんこの結果は海の生態系へも反映されているはずだ。

          
                  夕闇迫る長良橋

 私のいいたいことは日本には多くの海なし県があるが、それらが海とかかわりなく過ごしてきたわけではないということだ。かつての自然は山と川と海との有機的な関連の中で保たれてきたのだと思う。それをズタズタにじたのが土建屋行政であるが、それはまた、原発設置行政と全く同じ構造を持ってる。
 地域の衰退や過疎化につけ込み、助成金をやるから自然を破壊させろだ。

            
              このグロテスクな河口堰が・・・

 海の日にもうひとつ言いたいことがある。
 メディアは全く伝えないが、福島原発の汚染水はどうなったのか?
 一部の識者が心配しているように地下水に溶け込んだり、そのまま海洋に流れだしたのではないのか?そのチェックはちゃんと行われているのか?この疑いは濃厚である。
 「海の日」という耳ざわりの良い日にもかかわらず、私たちは海をいじめ続けている。

 自然は全部繋がっている。海なし県の岐阜でも海の汚染は重大な問題である。







コメント (2)
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