六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

夏から秋への川柳もどき

2008-08-27 23:22:00 | ポエムのようなもの
 「秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。」(「枕草子」より)

 などというのが本意でしょうが、この時代、都市近郊に住んでいてはとてもこの風情とは縁遠いようです。そこで単に黄昏時の写真を集めてみました。
  
    
     「烏の、寝どころへ行くとて」ならぬ夕方の飛行機雲

  薄物をまとえば亡母(はは)の歳になる
  絽には絽の紗には紗の透け方がある

 
        岐阜駅から市街地を見る 左の山が金華山

  月天心 宇宙の歴史嗅いでみる
  出てほしくない星もある地平線

 
           ホームの灯りも輝きを増して
 
  私にはない海を持つひとがいる
  真っ直ぐに射貫いてみたい雲の峰

    
                夕月

  遅れ蝉背に弔問の名を記す
  あらあらと同級生もいる葬儀

 
        こちらは名古屋の夕景 名古屋駅付近

  われとわが名を呼び暗い鳥となる
  行き止まりと私に告げる怪電波

 
         名古屋 栄 オアシス21からの夕日


  夏が往く 向日葵がうなだれている
  ハジキかなもう花火でもあるまいに
 

 

 
 


コメント (2)
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永久?グルメ すいとん=水団編

2008-08-27 01:13:46 | 想い出を掘り起こす
  
 
 みなさん 先般のサツマイモの茎に関する記事へのコメントありがとうございました。
 他の所でも思わぬ反響を呼んだりいたしました。

 確かに、芋の茎、今食べても決して不味くはないのです。
 ただし、ある方がお書きになっているように、戦中戦後には、ろくな調味料もなく、いわば調理とは言えないものを食していました。
 例えば、この芋の茎にしても、塩で湯がくぐらいが関の山でした。

 私が先般作ったものは、塩の他に、油、ごま油、砂糖、醤油、胡椒、味醂、酒、唐辛子などを用いていますが、そのどれもが、当時の一般家庭では入手困難であり、貴重なものでした。
 ですから、食材そのものもそうですが、併せて、その調理自体がとても困難だったのです。

 私が飲食店をやっている頃、8月の中頃には、「すいとん=水団」を特別メニューとして出していました。
 これが戦中戦後の代用食だよというと、若い人たちは一様に、「こんなおいしいものを食べていたの?」という顔をします。

 それもそのはず、当時のものは、まず、その粉にしても、小麦を挽く際に出る皮のカス(フスマ=現在は粉から分離し、家畜の飼料にする)も混じったままだったので、団子自体がパサパサ、ザラザラした食感でした。、
 そこへもってきて調味料は前述のようで、塩のみか、あるいはきわめて薄~い醤油、または味噌味でした。
 付け合わせも、大根のしっぽだろうが何だろうが、ただあり合わせのものを放り込むのみでした。

 それに対し、今風のものは、板場がちゃんと出汁を取ったものに醤油や酒、味醂で味を調え、そこに喉ごしのよい極上の粉を使った団子(それにも若干の下味)を入れ、付け合わせには、エビのむき身、かしわの他、季節の野菜やミョウガ、三つ葉などをあしらうのですから、うまいはずなのです。

 まあ、なにがしかのお金をいただくためにはいたしかたないのと、それにまた、往時のフスマの入った粉などはもう手に入らないのです。結果として、いちいち、本当はこんなにうまくなかったんですよと説明をしながら出すという始末でした。

 「こんなうまいものが食えるのなら戦争も悪くはないな」と思われても困りますものね。


   
   写真は記事とは関係ありません。
    サフランモドキ(rain lily)というのだそうです。
    でも何の名前でもそうですが「○○モドキ」というのは可哀想ですね。
    別に「本物」を真似たり、その「擬き」ではないのですから。

コメント
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