イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

顔(がん)字がらめ

2009-12-30 17:23:20 | 夜ドラマ

劇中の役名を表示する字体の、昔の映画ポスターみたいなプチアンティックさに惹かれて、NHK『松本清張ドラマスペシャル 顔』292100~)を出会いがしら視聴しましたが、良かったですね。今年は松本清張さんの生誕100年ということでいくつか新作SPドラマの企画があった中では、出色の好篇だったと思います。

 清張さんのこの原作短編、記憶に誤りがなければ生誕90年に当たる10年前、1999年にもSP枠でドラマ化されており、そのときは主人公は女優志願の女性に設定が変えられ、戸田菜穂さんが演じていました。本放送の数年後再放送で見ましたが戸田さんも健闘だったものの、やはりこの作品は原作通り男が主人公のほうがずっと迫力がある。

“顔を広く知られれば破滅だが、しかし有名にはなりたい、裕福になりちやほやもされたい”というアンビヴァレンツは、女性より男性のほうが先鋭だと思うのです。女性なら、化粧や髪型で別人になれる余地に男性よりはるかに恵まれているし、そもそも女性はかなりの部分“人生そのものが演技、なりすまし”ですからね。

 “この世でたったひとり、僅かな時間だけ顔を見られた目撃者に、もう一度見られたらオールオーバー”のワンテーマでここまで人間の葛藤ドラマとして膨らませることができたのには、主人公・井野良吉役の谷原章介さんの、意外なと言ってはあまりに失礼な好演がある。

劇中、小劇団の端役だった井野に惚れ込んだ映画監督(塩野谷正幸さん)が「これからは顔がきれいなだけの役者の時代ではない、あなたの持つ雰囲気、独特なマスクに賭けてみたいと思う」と抜擢の弁を述べる場面、谷原さんこそ顔がきれいな……“だけ”と言うべからず、一度見たら強烈な印象を残す、クセのあるマスクとは対極の、涼しげな、お公家さん系端正なお顔立ちですから、逆に説得力があった。この監督は、マスク自体ではなく、井野のどこか冷血な、温かい感情を封印し他人との心の交流を拒否する空気感に惚れたに違いないのです。

貧しいながらも印刷屋を営む両親、4人きょうだいの明るい家庭に育った井野でしたが、召集され南方で生死の境をさまよいます。負傷しマラリアに冒され死期の近い戦友に「死なせてくれ」と請われて扼殺の手を下す極限状況も経験し、部隊でたったひとり復員を果たしたものの、帰郷した長崎の実家は原爆で焼け野原となり、家族の遺骨さえ拾うことがかないませんでした。

ヤミ物資の担ぎ屋となって糊口をしのぐ毎日、ある日検問に遭っている若い可憐な女性・ミヤ子(原田夏希さん)を助けて交際が始まり、ミヤ子は結婚を望むようになりますが、井野は進駐軍キャバレーで酒色を売る彼女に嫌悪感を抱き始めていました。

ミヤ子に「妊娠した、あなた以外こういう関係は持っていないのだからあなたの子に間違いない、これは運命、一緒になって、捨てないで」と迫られ、東京で人生をやり直したい井野はやむなく彼女を島根の温泉に誘い、人目のない山林に連れ出して手にかけます。しかし温泉に向かう列車内で、ミヤ子がキャバレーの常連客・石岡(高橋和也さん)と偶然出会って会話、そのとき顔を見られたことが上京後も井野の唯一の不安でした。ミヤ子の遺体発見後、石岡は警察に「ミヤ子と温泉に同行していた男を見た、犯人に違いない、もう一度見たら判る」と話しており、井野は8年間現地の興信所を通じ、石岡の現況を調べさせて警戒していました。

端役に1カット映っただけでも、「映画見たよ」と担ぎ屋時代の仲間が電話をよこした。まして大役でのアップの顔が全国に配給されたら、石岡も必ず見る。認めて警察に訴え出られたら、自分は終わりだ。追い詰められた井野は、石岡の機先を制しようと一計を案じます。しかし、ミヤ子の縁戚を名乗っての井野からの手紙を受け取った石岡は警察に届け出て、事態は井野の目論みとは違った方向へ…

…設定は昭和31年。現代なら犯罪容疑者としては似顔絵捜査というのがあるし、駅の防犯カメラなどで顔バレ放題。俳優ともなれば、ちょっと注目されただけで、雑誌や新聞のインタヴュー掲載を待たず、ネットで速攻画像が全国に流布しますから、井野も悩んだり不安がったりする間もなくお縄になったことでしょうが、この時代はまだ“自意識”に関して、もやもや弄んだり躊躇したりする余地があったのでしょうね。

石岡を呼び出した京都で、変装する前に飯屋でばったり刑事連れの石岡と遭遇してしまい、万事窮すと思いきや石岡は井野を認識できませんでした。「こんなに怯えていたのに、あいつはオレの顔を覚えていなかった」…飯屋を出て脱力笑いが止まらない井野。

もう怖れるがものはないと東京に戻り、抜擢された映画の撮影に専心しますが、あるシーンで「ここのセリフは、煙草を吸いながらのほうがよくはないか」と演技プランを出したのが運の尽き。大スクリーンで、煙草を指にはさみ紫煙越しのアップの井野を見た石岡は、一発で思い出しました。8年前の温泉行きの列車でも、井野は煙草を持ちくゆらしていたのです。

同じ顔でも、場所と時間が違うと一致しないことがあるが、同じものを持つ同じ手つきが加われば一致する。人間の記憶、認識能力のこうした凸凹の皮肉は清張さんの真骨頂ですね。やはり何度かドラマ化されている『聞かなかった場所』も、“顔だけなら見られてもバレなかったのに、走って逃げる後ろ姿でバレた”という皮肉篇でした。

“田舎で女と別れそこねて手にかけ、東京に逃げて別の人生を歩み出すも、事情を知る人間の出現で罪を重ねる名声志向の男”という枠組みは『夜光の階段』を思い出します。

大づかみに言えば『砂の器』『ゼロの焦点』などにも通底する、“暗い過去からの逃亡の足掻き”と“殺すまでしなくてもいいのに”の痛恨物語。

谷原さんのどこが上手いって、涼しげな清らかな顔の下の、血肉のかよった感情の封印っぷりが見事。優しそうなんだけれど、どこか気を許せず油断がならない。戦場や復員前後に眼前で地獄絵図を見、自分でも手を汚して加担して来た生き残り組の男たちの中には、こういう精神状態のまま、平和の戻った日本で抜け殻のように暮らしていた人たちがかなりいたのではないでしょうか。幸薄くけなげに夜の商売をするミヤ子を愛しく思う気持ちも皆無ではないのでしょうが、人間、地獄を見過ぎると心の一郭が永久凍土化し、あるいは壊死して元に戻らない。

貧しいながらも愛はある家族の中で育った井野の、そのままなら終生おもてに出なかったはずの冷血性が、自分が生きるため他を死なせねばならぬ従軍体験で、表土を払われ露出萌芽したということもあるかもしれません。

上京を果たしたもののミヤ子遺体発見・事件発覚を気にして毎日地方新聞を読んでいた井野が、偶然喫茶店で見かけた劇団女優・葉山瞳(原田夏希さん二役)を「ミヤ子そっくり!」と驚き、逃げるどころかふらふらとその劇団に入ってしまうというのもおもしろい。結局ミヤ子が「運命なんよ」と言っていたように、この容姿が井野のストライクゾーンなんですな。のちにスクリーンで煙草持ち井野を認めた石岡が、同じフレーム内で共演の瞳にはノーリアクションだったように、“そっくり”に見えたのは井野だけで、他の人には“似ているでしょうと言われればそうかも”程度の似かただったに違いありません。つまり、原田さんの二役起用は“井野目線”の絵づくりなわけです。

監督に色仕掛けで映画主役をかちとってきたと思しき瞳が、井野の抜擢で扱いを軽くされ、今度は井野に接近して女優延命を図ろうとする。高級レストランに瞳を誘えるようになって満更でもなさげな井野ですが、よくよく“軽く接近した女に本気になられて縋りつかれる”運命と見える。そんな矢先に石岡に過去を暴かれ逮捕。たぶん、かりに石岡に認識されず映画スター街道を驀進したとしても、今度は間違いなく瞳と厄介なことになって罪を重ねていたでしょう。8年逃げたわけですから遅きに失したけれども、捕まって逆に助かった。そこまでは気がついてない井野の脱力笑いで終わるラストもよかった。

よかったと言えば、二役の原田夏希さんもナイスキャスティングだったと思います。敗戦後の匂い濃い北九州の場末の女給、そして小劇団上がりの、垢抜けなさまる出しの映画女優。端麗ながら若干古めかしめの目鼻立ちがよく役に合っていたし、“けなげで一途なのはわかる、でも、男からしたら重いよね”と、見てて思わせる湿気っぽい挙措が実にうまい。“戦後もの”“昭和もの”には欠かせない女優さんに、今後なっていきそうです。

不満を言うとすれば、ミヤ子殺害事件担当刑事(大地康雄さん)の部下役、『夏の秘密』の瀬川亮さんの見せ場がほとんどなかったことぐらい。『超星神グランセイザー』の頃から、疾走姿がカッコいい瀬川さんなのに、今回は走らなくても捕まっちゃいましたからね。京都名物“芋棒”は旨そうだったけれど。

考えてみれば、俳優・女優が主役のお話で、唯一目ぼしい登場料理が“イモ”で“棒”ってのも結構な皮肉ですね。原作通りかしら。

コメント
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