イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

「それにつけても金の欲しさよ」

2007-10-10 20:31:26 | テレビ番組

五・七・五・七・七の終いの七七が「酒でも飲まなきゃやってられない」

これで何か思いつくのありませんか?

月河も考えました。

「カレールー自家製挑戦焦げちゃった 酒でも飲まなきゃやってられない」

「姑に“息子が最初の男よね?” 酒でも飲まなきゃやってられない」

「イチキュッパ 筋子昼前品切れだ 酒でも飲まなきゃやってられない」

「家中のシーツ洗って午後は雨 酒でも飲まなきゃやってられない」

「深夜食どん兵衛2杯で2キロ増 酒でも飲まなきゃやってられない」

「『金色の翼』のDVDは無し? 酒でも飲まなきゃやってられない」

「衣更え 去年の今頃何着てた? 酒でも飲まなきゃやってられない」

「万馬券 狙ってまたも3・4着 酒でも飲まなきゃやってられない」

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誰でもいつかは飛びたてる

2007-10-09 23:04:23 | テレビ番組

TVドラマのサウンドトラックにしばらくはまってみようと決めてから、ずっと「ならばこれは押さえとかないと」と必修に数えていた1枚=99年の日本テレビ系『ラビリンス』サントラ盤を先日入手しました。

12曲アストル・ピアソラのナンバー、バンドネオン演奏は日本人の小松亮太。こういう構成になっていることも、実はドラマ放送終了近くに知りました。

病院を舞台にした事件と謎解きに権力闘争・愛欲をからめたドラマ本編のほうは初回から3話~4話ぐらい見ていないので、どんな設定で何が眼目だったのか雲をつかむようなまま終わってしまったのですが、記憶に残っているのは暗い過去を秘めた敏腕医師役・渡部篤郎さんがダークでクールで捩じれていてえらくカッコよかったこと。あとはドラマ開始時点で謎の死を遂げている渡部さん姉役・森口瑶子さんの「パ…ピ…ヨ…ン」ぐらい。

それでもとりあえず最終話まで見てしまった。腹にイチモツな人だらけの布陣での謎引っ張りの中でも、それにかまけず人物像描出に手を抜かない脚本・寺田敏雄さんの緊密な仕事ぶりもありますが、何よりここぞと言う場面でこれぞという曲が流れる、音楽の魅力が大きかったと思います。

改めて聴いてみると、『沙粧妙子』に続きこれも記憶補正かな?もっとスピード感のある、あるいは煽情的な曲の釣瓶打ちだったような気がするのですが、意外に静かな、スリープモード推奨な構成になっています。

01 ミケランジェロ’7002 タンゲディアⅢ~03 ミロンガ・フォー・スリー と劇的につなぐ冒頭、後半の07 ブエノスアイレスの夏(オーケストラヴァージョン)の疾走感から、08 金星の女たちの歌(ヴォーカルヴァージョン)の静かな解放感に至る流れが素晴らしい。

ピアソラの曲たちをフィーチャーするためにかなり製作陣も権利面で予算を取ったからか、TVシリーズのサウンドトラックにしてはブックレット曲解説も懇切丁寧です。

小松亮太さんという演奏家はこの一作で名前を知りましたが、彼の個性というより、バンドネオンという楽器の“乾きながら粘っこい”みたいな音色にかなり耽溺性があるのだと思います。

聴いているうちに、どの曲がどんなシーンで使われ流れていたか、もう一度ドラマも観てみたくなりましたが、さすがにビッグネームの音楽著作権絡みか?映像ソフト化の予定は現在もないようです。序盤の人間関係設定部分を見逃しているのがなんとも惜しい。

そして、ケースの背帯の出演者クレジットをよく見ると、おや、現在『愛の迷宮』でまさにダークに捩じれている保阪尚希(当時は保坂尚輝)さんのお名前が。

あれれ?失礼ながらまったく記憶がない。クレジット順としては渡部さん・桜井幸子さん・高橋由美子さんに続く4番めなので、決して軽い役ではなかったはず。保阪さんは当時から医師や医学生の白衣が似合うキャラでもありました。

渡部さんと、後半に行くにつれいや増す怪しさをコントロールし切ったラスボス・内藤剛志さんの存在感が他を圧していたということかしら。

これ一件とっても、ドラマをちゃんと観てなかったことが惜しまれます。

このドラマが始まる直前まで日曜のフジテレビ系『スーパー競馬』のキャスターをつとめておられた斎藤陽子さんが、内藤さんの愛人ナース役でえらく色っぽかったことはしっかり記憶しているんですがね。

どうでしょう、タイトルも“迷宮”つながりだし、現行の保阪さんがもんのすごい怪演で再ブレイクしたりしたら、再放送してくれないものか。他局ネットだけど。5話(5日放送)での航太(咲輝さん)に、むしゃくしゃまぎれに言いがかりをつけていたぶる場面なんかかなり“来て”ました。

こちらは、いまのところヒロイン文香(宮本真希さん)の不倫の恋心がストーリーの主動機になってはいますが、最終的には保阪さん扮する光男がこの枠06年『新・風のロンド』の大介(神保悟志さん)のような“裏主役”になりそうな気がします。

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痛恨の吸引ミス

2007-10-08 20:23:19 | アニメ・コミック・ゲーム

昨日(9日)の『そこまで言って委員会』で、非常に遅ればせ(にもほどがある)ながら沢尻エリカさんの問題の試写会インタビュー「特にないです」「別に」場面を見ました。

かっわいいもんじゃないですかねえ。あの程度。

表情から、全身から“幼稚”“背伸び”オーラというか汁(しる)ダダ漏れ。

21歳かあ。女優開花前からグラビアなどスチールの世界では芸歴長いらしいし、あながち子供とも言えないけど、敷かれたレールや筋書きに乗らない、外すことイコールカッコいい、大人だ、オシャレだと信じ込んでいる時期が、伸び盛りの柔らかい年代のひとコマとして誰にもあるものです。

大人のマスコミがこぞって叩いて謝罪させるほどのこっちゃないと思うがねえ。親がいちばんいいけど、マネージャーでも社長でもいいや、一発びしっとかわいがってやりゃ済むじゃないか。女優だから顔は避……(以下略)。

この一件で1年間女優休業謹慎?なんて記事もどこかで見ましたが、ERIKA名義でのCDも売れてるらしいし、大人サイドの逸失利益を考えればマスコミ向けに「こんなに深刻に受け止めてるんだよ」の記号としてチラつかせただけでしょう。

しかし、この試写会映像に続く涙の謝罪報道など一連の流れに接していると“アイドル”“スター”の消費のしかたも変わったものだと思わざるを得ません。

ひと言で言うと、消費されるほうもするほうも、慎みというか、抑制、有り難味がなくなった。

月河の年代のアイドル消費盛りというと、70年代のちょうど“真ん中らへん”になります。新御三家、新3人娘、花の中3トリオ。フォーリーブスの弟分郷ひろみ、さらに弟分ジャニーズジュニア。黄金時代です。わはは、うらやましいだろう。えっへん。

当時から“カワイイ・清純系女性アイドルの実は性格悪い”話、“カッコいい系男性アイドルの実はバカ”話は絶えず根強く存在しました。

 当時はインターネットはもちろんカケラも無し、TVでも素を見せるトーク番組やバラエティにはアイドルは出演しませんでしたから、われわれ“客”は衣装着て直近の曲を歌って、お辞儀して引っ込むだけ、せいぜい『8時だョ!全員集合』のコントコーナーや『夜のヒットスタジオ』での雛段待ちでの表情からわずかに零れ落ちるアイドルの“素”を掬い上げ拾い集めて、「誰某は意地が悪いらしい」「○○と△△は仲が悪くて無視(←当時“シカト”という言葉はなかった)し合ってるらしい」「□□は楽屋で煙草吸いまくりらしい」などの妄想都市(?)伝説を肥大させていました。

3人娘の中では天地真理さん、中3トリオでは桜田淳子さん、あと麻丘めぐみさん、新御三家では西城秀樹さんが、この手の伝説“言及数”が他に比し頭抜けて多かった。

小柳ルミ子さんは宝塚音楽学校主席卒業という略歴の故か楽曲のせいか老けて見え、小中坊主の悪戯琴線に触れる要素が少なかった(巨乳本位時代のいまならだいぶ地合いが違ったかも)し、南沙織さんには沖縄生まれのハーフというバリヤーがありました。

なんとなく、地方の小中生が“自分でも手が届きそう”“いっそなれそう、いやむしろなりたい”とくすぐられる匂いがないと、“素”伝説って萌芽しないものです。森昌子さんなどは、そういう“羨ましがらせ”“なりたい”ファクターが希薄だった(庶民的ルックス、のど自慢っぽくオシャレじゃない曲調と節回し)せいで、この手の“伝説”はまったく発生しませんでした。

いちばんそっち方向に訴えそうな山口百恵さんも、不思議に伝説は少なかった。同じ年代でも、男性なら彼女の消費のしかたが大幅に異なったでしょう。女子としては、母子家庭出身というのもイジリ免除材料になったし、しかも早い時期に三浦友和さんという、当時から微妙な位置の若手俳優と擬似カップリングされたことで、見事に妄想を刺激しなくなった。素がワルだろうが性格歪んでようがどうでもよくなったのです。

ドの付く地方だし、知り合いに業界関係者もいないシロウトのガキの集まりだし、何の根拠もないのですが、根拠が限りなく皆無に近いがゆえに、妙に熱気のこもった伝説醸成でした。

当時のアイドルは鉄の仮面をかぶっていて、かわいいならかわいい、清純なら清純、明朗なら明朗以外の表情ではいっさい露出せず“素”に関する情報を極力厳戒セーブしていたからこそ、こういう“少ない材料で妄想繚乱”という消費法が成立したのです。

ここのところの沢尻さんや彼女をめぐる報道を見ていると“役柄やイメージと異なる‘素’”を曝け出すことに何の圧力も抑制もないし、曝け出されたものを腑分けし、叩き、論評することに何の有り難味ももったいなさもない。

曝け出したというそのこと、叩かれたというそのことをさらに報道し商品化して、雪だるま式に商業価値算出して行こうというベクトルしか感じられない。

アイドル(=偶像)も安くなったものだなぁ、との感が深まります。

いまのアイドルの可愛さやカッコよさ、あるいはそれを外しはみ出していることは“カネのかたまり”でしかないのだ。

80年代に入った頃、松田聖子さんを指して“ぶりっ子”と称し暗に揶揄する概念が成立した辺りが、アイドル消費にかかわる地合いの分岐点だったように思いますが定かではありません。

同日、夜の入浴介助とお風呂掃除後は『ガキの使いやあらへんで』を行き当たり視聴。もう日付変更線踏み越えてるんですけど。日テレの日曜編成変わったの?

この日は“バキューム藤原の目指せ明日の大食いスター”。いいねいいね!文字通りの深夜帯どっぷりになって少し方向性過激にシフトか。

“掃除機の如く食べ物を吸い上げる男”“全部残らず吸い尽くせ!”と、小さなお友達が真似したらダメだよ窒息死するよというネタをまんま大胆にタイトリング。

生卵10ケ→たこ焼き12ケ→カレーライス1皿→水ようかん100ケと、どんどん平らげ方が怪しくなっていく構成も、最近の大食い番組の逆パロディみたいで切れ味いいぞ。

バキューム藤原、もちろん昨年のM1敗者復活でおなじみライセンスのボケです。罰ゲームは得意のドラえもんがらみでお願いしたい。

日テレ屋上からタケコプターで飛ぶなんてどうだろう(死ぬか)。

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しみ込む期待を裏切る~

2007-10-07 19:36:54 | テレビ番組

“お笑い芸人”とか“お笑い番組”等というときの“お笑い”には、なぜが付くのか。

いままで改めて考えたことはなく、「“笑わせる”と“笑われる”の違いだろう」ぐらいのところでなんとなく脳内自己完結していました。

先日の『ザ・イロモネア6』で、若手~中堅タイトルホルダー級や旬の人を見たあと、若手オンリー(45年越しの常連も多いとは言え)の『爆笑オンエアバトル』(52420~)を観ると、一抹もの哀しくなります。

「“イタさ”“貧乏臭さ”のない、カラッとすっきりスマートな笑いを」と期待して“お”笑い番組にチャンネルを合わせるのだけれど、そもそも“他人を笑わせておカネを貰う”“一人でも多くに笑ってもらうために苦心惨憺してネタを考える”“笑いの取れるリアクションを即座に繰り出すために神経を研ぎ澄ませる”等の営為自体、拭いようもなくイタくて貧乏臭い以外の何ものでもないではないか。

そういう営為を生業にせんと競う人たちを観て「これはカラッとしているから優れている、好きだ」「コイツはダメだ貧乏臭い」「このネタは笑いの質がスマートでカッコいい」「この連中はイタくて見るに耐えない」などと好悪選別し、優劣を付けたところで、それは“錯覚”であり“虚構”に過ぎません。

番組として、芸として提示されている“お笑い”は、すべて本質的に“イタく”“貧乏臭い”ものなのだから。

“お笑い”の“”は、芸能としてのお笑いの持つそんな“虚構性”“なんちゃって性”を、皮肉と微量の自虐をこめて記号化したものなのでしょう。

…そんなことを考えはじめると、そろそろ、番組の存在意義とは別に、月河個人が継続視聴を一服したほうがいいのかな?という気にもなってきてしまいますが、5日の放送回では、そんな一抹のモヤモヤ気分をドッカーン吹き飛ばしてくれるような掛け値無しの爆笑ネタには、残念ながら出会えませんでした。

本日の最高が佐久間一行497kb。確かに計算ずくの訛りカミカミがいつもよりスムーズで快調だったけど、快調過ぎて「ついて来い~」があまりはまらなかった。「ハイハイお約束お約束」と言わんばかりなパコパコ拍手が結構な音量で会場から拾われたのも温度を下げたかも。

ネタ自体が“ダイジェスト”形式の単発つなぎなのでストーリー的な盛り上がりにも欠けた。“ジャングルジムの奥地”に「表現の自由。」とサラッと入れたところがいちばん笑えたな。

2パンクブーブー481kb3タイムマシーン3473kbは、手堅いけど今日に限っては、どちらもツッコミの冴えがいまひとつ。

前者のネタはタカアンドトシを、後者はチュートリアルを、それぞれ意識して踏襲しているつもりはないんだろうけど、やはり見ていて既視感があるのは損だと思うし、踏襲しているにせよしてないにせよ、結局は「こういうの演らせたら、アイツらのほうがうまいしおもしろいんだよな」となってしまう。

パンブーは「そんな小学生いんのかオマエ、いたらつれて来いよオマエ」「でもアイツ忙しいからさ」「いーよっどうせいないんでしょ」、あるいは「オマエ全然ダメだよ、友達できないよそれじゃ」「えー孤独なロンリーウルフになんの」「なんでちょっとカッコいい風に言うんだよ」など、ネタからネタへのつなぎ部分でもっとウケてもいいくすぐりが挟まっているんだけど、そこへ来るとなぜか両者声が前に出なくなる。

タイマはボケのエスカレーションに対し、ツッコミの体温設定にもうひとつ工夫がほしい。一緒に上がって行くのか、とことん低位置仰角を貫くのか。ここらへんでチュートリアル福田の“腰引け怯えツッコミ”のブレ無さが想起されて、「こういうの演らせたらアイツらのほうが…」に行ってしまうんだな。

4のろし457kbは、いまさらヴィジュアル系パロディという、微妙な古さをどうとらえるか。あえて“いまさら感”を狙ったのだとすればそれはそれでいいけど、ずいぶん前、ナインティナインか誰かがやってませんでしたっけ?XJAPANYOSHIKIをネタに、“YOSHIKIが部活に入ったら”“跳び箱を跳んだら”…

…まあ、もう年数も経ってることだし、パロディのパロディと見てもいいでしょう。それにしても、リカちゃんに入ってから、特に武双山似のツッコミが手持ち無沙汰まる出しになり、全体にトーンダウンした感じ。

ちょっと水をあけられてのギリ5ランチランチ373kb。数字ほど上位とネタ質の差はないと思いますが、ズバリ、ツッコミの顔と目つき、特にツッコんだあとの表情に、しゃべくりや声の出かたに見合うだけの愛嬌がない。

あと、ここでも何度も書いてるけど、神田愛花アナのメガネ女教師コスプレにどんだけニーズがあるのか、『今回のオンエア』、まだやるのか。

不必要なだけではなく、「漫画チックなドライブの様子を、おもしろく演じて見せました」「話術の確かさで勝ち取った結果と言えそうです」「コント勢の意地を見せました」「身近な公園を舞台にしたあるあるネタを、手を変え品を変えて見せてくれました」など、教科書的紋切り型の語彙や言い回しを選んだように使って、“読解”“意味づけ”を、最近なんだか強要するんだ。

“おもしろく演じて見せた”とか“手を変え品を変え”なんて表現されたら、なんだか面白かったものも面白くなかったような、アレで笑うなんて自分、他愛ないのか?って気がしてくるではないか。

そんなにこのコーナーが邪魔なら「…あなたたちです!」までで録画打ち切ればいいんだろうけど、続く“次回挑戦の10組”は見たいしな。イヤらしいところに入れてあるなあ。

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泣いてなんかいられない

2007-10-05 21:30:43 | アニメ・コミック・ゲーム

先日からサウンドトラックというジャンルに軽くはまって、56年ぶりにCDショップに立ち寄るようになったのですが、改めて気がついたのは、アルバムサイズの5070min.超って、通聴するのに結構なエネルギーを要しますよね。

エネルギー以前に、それだけの時間を、日常捻出する自体かなり難しい。

ダウンロードで好みの曲12曲だけ、という音楽消費のし方が普及定着した理由が、いまになってなんとなくわかる気がします。よほど一人or一組のアーティストにとことん関心持ってないと、アルバムまるごと何度も何度も聴きまくるなんて、そうそうできるもんじゃないってこと。

最近は入浴後から就寝までの時間、このブログの記事をWORDに書き溜めながら聴き始めて、最後のほうはCDラジカセのスリープモード。

で、結局ケツ…もといラスト近辺の23曲がいつも切れるので、それは翌日回しにして、二晩がかりでアルバム一枚完聴。

二回目からはランダム再生で、噛めば噛むほどの味を楽しんでいます。

以前「“贅沢”の象徴No1と言えば子供の頃は“ステレオ”だった」とここに書きましたが、幼い月河のあの頃の脳内には、“ステレオのでかスピーカ推奨な、クラシックやスタンダードジャズなど重厚なナンバーのレコードを多枚数コレクションしている”という贅沢ファクターが、すでに含まれていました。

大人になった現在は、ステレオスピーカだのプレイヤーだのハードどうこうより“フルアルバムを家事や仕事の片手間でなく聴ける時間が持てる”ということに、いちばんの贅沢さを感じます。

さて、そんなノリで先日とある場所で購入して聴いている一枚が、『愛のソレア』サウンドトラック。

愛ソレと言えば、もちろん04年の昼ドラです。

ちょっとオシャレな表現主義っぽいジャケイラストにも惹かれて買ったのですが、ドラマ本編のほうは、荻野目慶子さん扮するヒロイン美保が女優を引退した頃に脱落して、あとは「お水なしで飲んでね!」の最終話しか記憶がない(崩)。

荻野目さんのハイテンション演技に引っ張られて、ドロドロというより瞬間風速の平均値が高いドラマだった気がするわりには、サントラは一聴、ちょっとスリープ向きかな…と思ったのはあくまで一聴の印象のみ。

昼間改めて聴きなおすと、売防法施行前の赤線時代の若い男女の純愛というモチーフにお似合いの、ほどのよい大時代感が心地よい。

監督なら山田洋次さん、原作なら山本一力さんや宮部みゆきさん、宇江佐真理さん辺りの、人情もの時代劇に充てても良さそうな、心温まる甘美なオーケストレーションに、昼メロならではの感傷味のブレンド具合もナイス&スムーズ。

2.愛の序章 から5.運命の人 に至る主題の流れ、後半で20.恋に生きる 23.真剣なまなざし への劇的構成が特に素晴らしい。

音楽担当寺嶋民哉さんは映画『半落ち』なども手がけておられますが、このサントラで軽くファンになりました。今度検索して他作品もチェックしてみるとしましょう。

放送クールの前半3分の2程度とは言え毎日ドラマOPで聴いていた主題歌『口づけ』(Fayray)が1曲めにヴォーカルフルで、28曲めにピアノヴァージョンで収録されているのも有難い。この曲は、この枠の連ドラ主題歌で近年の圧倒的No1佳曲だと思います。

ドラマとのシンクロ抜きにして、単体で無心に聴いているだけで静かな哀愁にひたることができる。

頭脳や精神が疲れ気味のとき、あからさまに“上がる”アップテンポチューンは逆に耳障りだし、逆に計算ずくのヒーリング・ミュージックだと“薬臭く”感じられることもありますが、この曲は適度な甘さと苦味を兼ねそなえ、非常に汎用性の高いナンバーです。

さてさて、『愛のソレア』の話題が出たついでじゃありませんが、10月からスタートしたこの枠『愛の迷宮』に保阪尚希さんが主演されると聞いて「息子役に、どうせなら半田健人さんをキャスティングすればリアルそっくり父子になったのに」と歯噛みした(←ちょっと大袈裟)のがつい数週間前の話。

03年に半田さんを『仮面ライダー5551話で初めて見たとき、「既存の俳優さんにこんなに似ていて、この子(←当時18歳)、“ライダー卒業”後、俳優としてやっていけるのだろうか」と余計な心配をしたほどそっくり…だったはず。

ところが、改めて財閥次男坊・光男を演じる保阪さんを、この1日から5話ほど見ていると、思っていた半分も半田さんに似てない(脱)。

半田さんも最近は二時間ドラマで松下由樹さんや蟹江敬三さんの小憎たらしい後輩役、あるいはBS昭和レトロ番組やタモリ倶楽部でのオタクっぷりぐらいしか見ていませんが、たぶん“思っていた半分も保阪さん似じゃなく”なっているのではないかな。

ご当人たちにとっては、外見がかぶらなくなったのは芸能人として好都合でしょう(かぶると思ってた視聴者自体、月河ぐらいなもんかもしれんが)。

役者さん個別単体での演技力や容姿に“旬”があるのと同様“この人とこの人をこんな設定で共演させたらおもしろかろう”というアイディア…と言うより妄想にすらも“旬”があるのだな。

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