“お笑い芸人”とか“お笑い番組”等というときの“お笑い”には、なぜ“お”が付くのか。
いままで改めて考えたことはなく、「“笑わせる”と“笑われる”の違いだろう」ぐらいのところでなんとなく脳内自己完結していました。
先日の『ザ・イロモネア6』で、若手~中堅タイトルホルダー級や旬の人を見たあと、若手オンリー(4~5年越しの常連も多いとは言え)の『爆笑オンエアバトル』(5日24:20~)を観ると、一抹もの哀しくなります。
「“イタさ”“貧乏臭さ”のない、カラッとすっきりスマートな笑いを」と期待して“お”笑い番組にチャンネルを合わせるのだけれど、そもそも“他人を笑わせておカネを貰う”“一人でも多くに笑ってもらうために苦心惨憺してネタを考える”“笑いの取れるリアクションを即座に繰り出すために神経を研ぎ澄ませる”等の営為自体、拭いようもなくイタくて貧乏臭い以外の何ものでもないではないか。
そういう営為を生業にせんと競う人たちを観て「これはカラッとしているから優れている、好きだ」「コイツはダメだ貧乏臭い」「このネタは笑いの質がスマートでカッコいい」「この連中はイタくて見るに耐えない」などと好悪選別し、優劣を付けたところで、それは“錯覚”であり“虚構”に過ぎません。
番組として、芸として提示されている“お笑い”は、すべて本質的に“イタく”“貧乏臭い”ものなのだから。
“お笑い”の“お”は、芸能としてのお笑いの持つそんな“虚構性”“なんちゃって性”を、皮肉と微量の自虐をこめて記号化したものなのでしょう。
…そんなことを考えはじめると、そろそろ、番組の存在意義とは別に、月河個人が継続視聴を一服したほうがいいのかな?という気にもなってきてしまいますが、5日の放送回では、そんな一抹のモヤモヤ気分をドッカーン吹き飛ばしてくれるような掛け値無しの爆笑ネタには、残念ながら出会えませんでした。
本日の最高が佐久間一行497kb。確かに計算ずくの訛りカミカミがいつもよりスムーズで快調だったけど、快調過ぎて「ついて来い~」があまりはまらなかった。「ハイハイお約束お約束」と言わんばかりなパコパコ拍手が結構な音量で会場から拾われたのも温度を下げたかも。
ネタ自体が“ダイジェスト”形式の単発つなぎなのでストーリー的な盛り上がりにも欠けた。“ジャングルジムの奥地”に「表現の自由。」とサラッと入れたところがいちばん笑えたな。
2位パンクブーブー481kb、3位タイムマシーン3号473kbは、手堅いけど今日に限っては、どちらもツッコミの冴えがいまひとつ。
前者のネタはタカアンドトシを、後者はチュートリアルを、それぞれ意識して踏襲しているつもりはないんだろうけど、やはり見ていて既視感があるのは損だと思うし、踏襲しているにせよしてないにせよ、結局は「こういうの演らせたら、アイツらのほうがうまいしおもしろいんだよな」となってしまう。
パンブーは「そんな小学生いんのかオマエ、いたらつれて来いよオマエ」「でもアイツ忙しいからさ」「いーよっどうせいないんでしょ」、あるいは「オマエ全然ダメだよ、友達できないよそれじゃ」「えー孤独なロンリーウルフになんの」「なんでちょっとカッコいい風に言うんだよ」など、ネタからネタへのつなぎ部分でもっとウケてもいいくすぐりが挟まっているんだけど、そこへ来るとなぜか両者声が前に出なくなる。
タイマはボケのエスカレーションに対し、ツッコミの体温設定にもうひとつ工夫がほしい。一緒に上がって行くのか、とことん低位置仰角を貫くのか。ここらへんでチュートリアル福田の“腰引け怯えツッコミ”のブレ無さが想起されて、「こういうの演らせたらアイツらのほうが…」に行ってしまうんだな。
4位のろし457kbは、いまさらヴィジュアル系パロディという、微妙な古さをどうとらえるか。あえて“いまさら感”を狙ったのだとすればそれはそれでいいけど、ずいぶん前、ナインティナインか誰かがやってませんでしたっけ?X‐JAPANのYOSHIKIをネタに、“YOSHIKIが部活に入ったら”“跳び箱を跳んだら”…
…まあ、もう年数も経ってることだし、パロディのパロディと見てもいいでしょう。それにしても、リカちゃんに入ってから、特に武双山似のツッコミが手持ち無沙汰まる出しになり、全体にトーンダウンした感じ。
ちょっと水をあけられてのギリ5位ランチランチは373kb。数字ほど上位とネタ質の差はないと思いますが、ズバリ、ツッコミの顔と目つき、特にツッコんだあとの表情に、しゃべくりや声の出かたに見合うだけの愛嬌がない。
あと、ここでも何度も書いてるけど、神田愛花アナのメガネ女教師コスプレにどんだけニーズがあるのか、『今回のオンエア』、まだやるのか。
不必要なだけではなく、「漫画チックなドライブの様子を、おもしろく演じて見せました」「話術の確かさで勝ち取った結果と言えそうです」「コント勢の意地を見せました」「身近な公園を舞台にしたあるあるネタを、手を変え品を変えて見せてくれました」など、教科書的紋切り型の語彙や言い回しを選んだように使って、“読解”“意味づけ”を、最近なんだか強要するんだ。
“おもしろく演じて見せた”とか“手を変え品を変え”なんて表現されたら、なんだか面白かったものも面白くなかったような、アレで笑うなんて自分、他愛ないのか?って気がしてくるではないか。
そんなにこのコーナーが邪魔なら「…あなたたちです!」までで録画打ち切ればいいんだろうけど、続く“次回挑戦の10組”は見たいしな。イヤらしいところに入れてあるなあ。