イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

泣いてなんかいられない

2007-10-05 21:30:43 | アニメ・コミック・ゲーム

先日からサウンドトラックというジャンルに軽くはまって、56年ぶりにCDショップに立ち寄るようになったのですが、改めて気がついたのは、アルバムサイズの5070min.超って、通聴するのに結構なエネルギーを要しますよね。

エネルギー以前に、それだけの時間を、日常捻出する自体かなり難しい。

ダウンロードで好みの曲12曲だけ、という音楽消費のし方が普及定着した理由が、いまになってなんとなくわかる気がします。よほど一人or一組のアーティストにとことん関心持ってないと、アルバムまるごと何度も何度も聴きまくるなんて、そうそうできるもんじゃないってこと。

最近は入浴後から就寝までの時間、このブログの記事をWORDに書き溜めながら聴き始めて、最後のほうはCDラジカセのスリープモード。

で、結局ケツ…もといラスト近辺の23曲がいつも切れるので、それは翌日回しにして、二晩がかりでアルバム一枚完聴。

二回目からはランダム再生で、噛めば噛むほどの味を楽しんでいます。

以前「“贅沢”の象徴No1と言えば子供の頃は“ステレオ”だった」とここに書きましたが、幼い月河のあの頃の脳内には、“ステレオのでかスピーカ推奨な、クラシックやスタンダードジャズなど重厚なナンバーのレコードを多枚数コレクションしている”という贅沢ファクターが、すでに含まれていました。

大人になった現在は、ステレオスピーカだのプレイヤーだのハードどうこうより“フルアルバムを家事や仕事の片手間でなく聴ける時間が持てる”ということに、いちばんの贅沢さを感じます。

さて、そんなノリで先日とある場所で購入して聴いている一枚が、『愛のソレア』サウンドトラック。

愛ソレと言えば、もちろん04年の昼ドラです。

ちょっとオシャレな表現主義っぽいジャケイラストにも惹かれて買ったのですが、ドラマ本編のほうは、荻野目慶子さん扮するヒロイン美保が女優を引退した頃に脱落して、あとは「お水なしで飲んでね!」の最終話しか記憶がない(崩)。

荻野目さんのハイテンション演技に引っ張られて、ドロドロというより瞬間風速の平均値が高いドラマだった気がするわりには、サントラは一聴、ちょっとスリープ向きかな…と思ったのはあくまで一聴の印象のみ。

昼間改めて聴きなおすと、売防法施行前の赤線時代の若い男女の純愛というモチーフにお似合いの、ほどのよい大時代感が心地よい。

監督なら山田洋次さん、原作なら山本一力さんや宮部みゆきさん、宇江佐真理さん辺りの、人情もの時代劇に充てても良さそうな、心温まる甘美なオーケストレーションに、昼メロならではの感傷味のブレンド具合もナイス&スムーズ。

2.愛の序章 から5.運命の人 に至る主題の流れ、後半で20.恋に生きる 23.真剣なまなざし への劇的構成が特に素晴らしい。

音楽担当寺嶋民哉さんは映画『半落ち』なども手がけておられますが、このサントラで軽くファンになりました。今度検索して他作品もチェックしてみるとしましょう。

放送クールの前半3分の2程度とは言え毎日ドラマOPで聴いていた主題歌『口づけ』(Fayray)が1曲めにヴォーカルフルで、28曲めにピアノヴァージョンで収録されているのも有難い。この曲は、この枠の連ドラ主題歌で近年の圧倒的No1佳曲だと思います。

ドラマとのシンクロ抜きにして、単体で無心に聴いているだけで静かな哀愁にひたることができる。

頭脳や精神が疲れ気味のとき、あからさまに“上がる”アップテンポチューンは逆に耳障りだし、逆に計算ずくのヒーリング・ミュージックだと“薬臭く”感じられることもありますが、この曲は適度な甘さと苦味を兼ねそなえ、非常に汎用性の高いナンバーです。

さてさて、『愛のソレア』の話題が出たついでじゃありませんが、10月からスタートしたこの枠『愛の迷宮』に保阪尚希さんが主演されると聞いて「息子役に、どうせなら半田健人さんをキャスティングすればリアルそっくり父子になったのに」と歯噛みした(←ちょっと大袈裟)のがつい数週間前の話。

03年に半田さんを『仮面ライダー5551話で初めて見たとき、「既存の俳優さんにこんなに似ていて、この子(←当時18歳)、“ライダー卒業”後、俳優としてやっていけるのだろうか」と余計な心配をしたほどそっくり…だったはず。

ところが、改めて財閥次男坊・光男を演じる保阪さんを、この1日から5話ほど見ていると、思っていた半分も半田さんに似てない(脱)。

半田さんも最近は二時間ドラマで松下由樹さんや蟹江敬三さんの小憎たらしい後輩役、あるいはBS昭和レトロ番組やタモリ倶楽部でのオタクっぷりぐらいしか見ていませんが、たぶん“思っていた半分も保阪さん似じゃなく”なっているのではないかな。

ご当人たちにとっては、外見がかぶらなくなったのは芸能人として好都合でしょう(かぶると思ってた視聴者自体、月河ぐらいなもんかもしれんが)。

役者さん個別単体での演技力や容姿に“旬”があるのと同様“この人とこの人をこんな設定で共演させたらおもしろかろう”というアイディア…と言うより妄想にすらも“旬”があるのだな。

コメント
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