気のせいかな?福田康夫さんが総理になってからこっち、TVで国会中継もやってるんだけど、めっきり話題になりませんよね。
先日は民主党から代表質問に田中眞紀子さん登板で“角福戦争二代目ヴァージョン”なんてちょっと注目されかかったけど、福田さんが暖簾に腕押しさせ切ったし、だいいち平成も19年、いまさら角福戦争ってもねぇ。ちあきなおみさんを、餡ころ餅ぐらいの付けボクロつけたコロッケのものまね「♪いつものよぉ~に」でしか知らない世代に、「紅白の『夜に急ぐ人』はすごかったね」って話すようなものでしょう。
…喩えがわかりにくすぎるか。
でも最大の原因は大相撲時津風部屋と、あとはボクシング亀田一家でしょうね。
期せずして、両者、暴力ネタ。これだね。時代は暴力ですよ。どうする憲法九条。こじつけか。
亀田選手らの謝罪会見の模様はNHK総合の全国ニュースでも報じられていました。
唐突に松本清張さんの、劇場版映画にもなりTVドラマ化も何度もされている『砂の器』を思い出してしまった。
「カメダはいまも相変わらずでしょうね?」
正確には“亀嵩(かめだけ)”ですけど。
語尾の“ke”を明瞭に発音しない、発音しても聴き取りにくい地域がある、という言語学、音韻学上の情報から、容疑者と被害者との関係が徐々に絞られていくという推理展開でした。
森村誠一さんの『人間の証明』ってのもあったな。混血青年ジョニーが日本に来る前口走った「キスミー」が“霧積(きりづみ)”。
アメリカでも一部ヒスパニック系の下層階級では“R”の音を明瞭に発音しないことが多い。これで西条八十の詩集に出てくる地名とジョニーの出生にまつわる因縁が解きほぐされていきました。
別に、亀田ネタ引っ込めて政治の話題やれ、なんて思いませんけど、もう飽きたな。
いまのTVの、彼らの取り扱い方って「ウチはそんなに肩入れしてなかったかんね」「いまだってホラ、特に肩持ってないっしょ?公平でしょ?」っていう“後出しの了解取り付け”にしか見えないから、迫力ないんだよね。時間と電波の無駄。