もう放置でいいじゃないかなぁ、亀田親子兄弟。
TV以外社会との接点のない高齢家族が、「この話いつまでやってるんだ」「誰が何をどうしてやれば一件落着になるんだ」と毎朝、毎昼、毎夕毎晩しつこく訊くので、「世間が忘れるまではやってるんじゃないですか?」と答えていたんですが、「こんなに毎日朝から晩までやっていたら、忘れたくても、誰も忘れられないだろう」「この親子のことを忘れられたら困る誰かが、政府の上層部にいるのか」と、ほとんど電波思考。
これも脳の加齢の一形態ですね。何でも“政府上層部”の話に持って行きたがる。
まぁ、高齢家族じゃなくても思いますよ。ルール違反した、判定負けした、処分下った、謝罪した、で一件コンプリートにしちゃえばいいのにね。処分明けて今度はクリーンに、持てる能力を発揮してリベンジ、となればプロスポーツの話題としては万々歳だろうに、「それじゃTV的に話がおもしろくないんだよ」と考えてる向きが、政府上層部ではなくても、マスコミの上層部にはいるらしい。
“オレ、社長の代理”みたいな感じで(←古!)矢おもてに出てきた興毅選手に「誰に向かって謝罪してるのか」「反則は故意だったと認めるのか」「指示したと認めるのか」って、まるで“キレ待ち”。
故意にやるから反則って言うんだろうによ。グローブで目ン玉グリグリとか、クリンチの挙句抱え上げてぶん投げるとか、「えッ、しちゃいけないってルールあったんですか、知りませんでした」なんてヤツいないよ。
しまいには“丸刈り謝罪の舞台裏”“あの謝罪から一夜明けての表情は”って、「ねっ、ホントは反省なんかしてないっぽいでしょ?コイツらもっとやらかしますから、これからも見てたほうがおもしろいですよ、チャンネルはそのままね」と言わんばかり。いっそ言いたい通りにテロップつけたらいいのに。
ついこの間まで、月河、彼らに興味がないのはプロボクシングというスポーツに関心もリスペクトもないからであり、同時に“親子兄弟物語”“成り上がりサクセス劇”が苦手だからだと自己分析していたのですが、今般の謝罪劇ではっきりわかった。
火のないところに煙を立てるどころか、煙を描いた書き割り貼っつけてでも、なんなら『煙』って、字で大書して葬儀会場みたいに矢印引っ張ってでも、火事だ大火だ大スペクタクルだってことにしたいTVの了見、根性が受け付けないんだ。
言い換えれば、ボクシングも、当の親子兄弟も、好きでも嫌いでもないニュートラルなんだ。
……しかし、なんぼなんでも見飽きたな。あのダーウィンの進化論の雛型みたいな顔は。