あ…と思う訃報が2件続きました。
ひとつはハリウッド女優デボラ・カーさん(“カーさん”っつうと『肝っ玉母さん』みたいだが)。86歳。
“浮名を流した果てに薄命”が多いイメージのハリウッド名花の中では、目立った醜聞もなく天寿を全うされたほうではないでしょうか。
回数多く観ているのはもちろんユル・ブリナーとの『王様と私』(57年)ですが、平日午後のTV名画劇場で一度だけ観たジャック・クレイトン監督『回転』(61年)がなぜかいちばん記憶に残っています。
“女教師”、それも良家の坊ちゃん嬢ちゃん御用達家庭教師役がこれほど似合った人もいないでしょう。
『回転』の原作はもちろんヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』。
映画のほうは原作の、脳髄が末梢神経からじわじわ凍って行くような恐怖感は薄く、その意味では期待外れだったものの、カーさん扮する家庭教師のみずみずしく健気な母性的魅力が、壁や床を這って迫るがごとき影の白黒画面で強調されて、“コワ悲しい”別の魅力がありました。
月河の中では彼女と、ジュリー・アンドリュース、ドリス・デイが“3大女教師女優”です。
ほかに、ちゃんとフル観てる作品と言うと、フランソワーズ・サガン原作の『悲しみよこんにちは』(58年)ぐらいかな。こちらは若く奔放な元祖セシルカット娘ジーン・セバーグと、ちょい悪パパのデヴィッド・ニーブンを争うちょっと損な“大人の色気と分別担当”。
以上の3作品のイメージのおかげで、カーさん、文句なしの美人で他に結構ロマンティックな作品の情熱的な役も演じておられるらしいにもかかわらず、なぜか“オンナのフェロモン”はあまり感じられない女優さんでした。
94年にアカデミー名誉賞を受賞されたときは、NHK‐BSで拝見しましたが、21年9月生まれですからあの時点で72歳、それにしてはお足元がいっぱいいっぱいだった感じで、訃報記事を見て納得が行きました。長年パーキンソン病を患っておられたそうです。
アカデミー賞ノミネート実に6回も、受賞には一度も至らず。これは意外でした。アカデミーも、映画史に残る良作の数々で好演を続けた人を無冠のままにしては申し訳ないと思っての名誉賞授与だったのかもしれません。
芥川賞候補8回、ぜんぶ落選のまま選考委員になっちゃった島田雅彦さんに似てますね(似てない)。
訃報のもう1件は元・水泳五輪選手、インストラクターでタレントの木原光知子さん。59歳、なんとお若い。TVコメンテーターやCMでのご活躍が長いせいで、外見の引き締まった若々しさとは別に、「まだそんな年齢だったの?」と思ってしまいました。
調べると、48年生まれで、64年の東京オリンピックで日本代表選手だったときは16歳の高校生だったんですね。バルセロナの岩崎恭子さんの例もあるように、水泳って、選手としてのピークがものすごく早く来ることのあるスポーツらしい。
月河が「木原さんってすごい選手だったんだ」と認識したのはむしろ『金メダルへのターン!』に“元オリンピック選手・木原美知子(←当時)”本人としてご出演されたときのほうです。
70~71年に放送されたドラマですから、木原さん、当時22歳。スポ根少女漫画原作で、ヒロイン・鮎子(梅田智子さん)を中心に高校生メインのお話だったとは言え、画面において非常にオトナ感、ベテラン感、もっと言えば“大御所感”があったのを覚えています。
大学在学中に、早めに現役競技生活を引退されたのは、自分でピーク通過を意識されたからかもしれませんが、早熟のアスリートによくあるようにそこでボトッと燃え尽きずに、マスターズなどにも出場され、言わば“水陸両用”で活躍されたのが偉いと思います
クモ膜下出血。まだ若く、体力自慢で働き盛りの人が突然倒れるケースの多い病気と聞きます。人生楽ありゃクモ膜下。世界に伍する運動能力・身体能力と言えども、“病気にならない”という意味の健康には直結しない。
往年のプロスポーツ、オリンピックのスター選手なども、40~60代前半で、「つい先日あんなに元気だったのに」って感じで亡くなられるかたは少なくありません。
そう言えば『金メダルへのターン!』には当時、フジテレビ新人男子アナだった故・逸見政孝さんが、実況アナ役で出演されていたそうです。これは、さすがに記憶がないなあ。