retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

東海道線辻堂駅(辻堂駅南口再開発)

2009-06-20 03:50:38 | Weblog
高田馬場駅で山手線に乗り換える。
新宿駅で、さらに、湘南新宿ラインへ。
便利になったものだな。
湘南方面が、この湘南新宿ラインのおかげで、すごく、近くなったような気がする。
このまま、乗っていれば、湘南海岸に行けてしまうのだから、すごいことだ。
湘南新宿ラインが、すごいのは、いいんだけど。
それにしても、今日の、この暑さは、なんだろうか。
まだ、桜も咲いていない、というのに。上着がいらないくらい。ぽかぽか陽気どころか、まさに、バカ陽気、だな。
こんな春先の季節に、湘南方面に行くわけだから、バカ陽気が、相応しいのかもしれないけど。
そんな中、列車は、大崎を過ぎると、山手線を離れ、横須賀線に乗り入れて、都心からは、どんどん、離れていく。
横浜を過ぎ、大船を過ぎたあたりから、もう、海が近いことを、感じさせる、風景。
藤沢あたりになると、実際は、海岸からは、まだ、離れているんだけど、なんとなく、地面が、砂っぽく見える。
藤沢駅を過ぎ、次の、辻堂駅で下車。
藤沢駅や平塚駅周辺ぐらいの街並みかと思ったら、ごく小さな、地方のひなびた駅前だった。
駅の南口に出て、駅前のささやかな広さの広場へ。その広場の南側に辻堂駅南口再開発の工事現場がある。
そして、それ以外は、何もない。
こういう、ところは、交通手段は、クルマ、なので、郊外型の大型ショッピングセンターを、もっぱら、利用すんだろうな。
だから、鉄道の駅を利用するのは、学生か、観光客ぐらいかな。観光客といっても、海岸からは、距離があるので、それほど、多いとも思えないし。
そんな、閑散とした駅前には、高層住宅が、建つ、というわけか。
それにしても、今日は暑い。
海に近い、ひなびた駅前にとっては、何もない春なんだろうけど、でも、気温だけは、夏みたいだ。
(2009年3月記)

西武池袋線池袋駅(南池袋一丁目開発計画)

2009-06-19 06:09:49 | Weblog
練馬駅へ。西武池袋線に乗り込む。
路線は、高架から徐々に、通常の、地上線へ。さらに、複々線のうちの、一方は、練馬駅から離れ、地下へ潜って、有楽町線、副都心線、になっていく。
終点の池袋駅は、たしかに、巨大ターミナルなのだが、沿線の駅や、風景を見ていると、練馬駅から先は、なんだか、うらぶれた、支線のような感じだ。
実際、池袋から先は、路線はないので、支線、といえば、支線なのだが。
さらに言えば、現在、乗客が流れがどうなっているのかは、わからないけど、練馬から伸びている、別路線、地下鉄に乗れば、都心へ入れてしまう。
そんな支線みたいな路線を、列車は、池袋に向かって、ゆっくりと、進んでいく。
ゆっくり、といっても、各駅停車ではないので、いちおう、駅は、通過していくのだけど。江古田駅、東長崎駅、椎名町駅、という風に。
まるで、城東の路線、京成線や東武伊勢崎線の沿線を思わせる雰囲気だな。
でも、一帯は、池袋にかけて、目白の山の手住宅街。けして、下町ではないのだ。
たぶん、山の手にあってはならない、鉄道路線だからこそ、下町的な雰囲気が、そこに、凝縮しているのかもしれない。
そう考えると、むしろ、似ている路線、といえば、世田谷の山の手を、のろのろ走る、テーマパーク路線、東急世田谷線なのかな。
ひょっとしたら、将来は、そうなるのかも。だとすると、やっぱり、支線だな。
そんな、どうでもいい空想に浸っているうちに、列車は、巨大ターミナル、池袋駅のホームに滑り込んでいく。
ホームの南端の南口改札から、外へ。
少し、東に進むと、すぐに、南北に伸びる、明治通りに出る。その明治通りを南へ南へと歩いて行く。
しばらく歩いていくと、通りの西側に、南池袋一丁目開発計画。
まだ、工事は始まっていず、そこには、荒れ野の中、寂しく、木が一本、立っているだけだが。
ふと、気付くと、あれだけ、激しく降っていた雨も、今は、すっかり、止んではいるけど、もうすでに、夕暮れは近い。
今日の街巡りは、夕暮れに沈み行く、ぽつんと聳える、木立が、最後か。
そういうもんだろうなあ。早く帰ろう。
また、明治通りを歩き、池袋駅を目指す。
(2009年3月記)

西武池袋線練馬駅(練馬の大鳥神社)

2009-06-18 06:10:30 | Weblog
店が両脇に並ぶ、路地のような、細い道を、東へ歩いていく。
この下町が、再開発されて消えるか、テーマパーク、として残るのか。その答えは、その先にあるようだ。
少し進むと、飲食店が建ち並ぶ中、ぽっかりと、空間が広がっている場所に辿り着く。
そこには、大鳥神社が鎮座しているのだ。
そして、大鳥神社、といえば、酉の市。
たぶん、毎年、11月には、練馬の街も、大いに賑わっていることだろうな。
ところで、酉の市の中では、浅草が最も有名なのだが。
ということは、浅草と、何か、関係があるのかもしれない。
練馬の寺町、十一ヵ寺も、浅草から移転してきた、ということだし。
ひょっとして、関東大震災の後、十一ヵ寺だけではなく、住民も、城東からの移住してきたのかな。そのことによって、練馬の郊外の街が築かれたとすれば、酉の市の賑わいも、浅草から、移って来たとも考えられる。
もっとも、大鳥神社も酉の市も、あちこちにあるので、一概に、浅草と、関係がある、とはいえないけど。
とはいえ、一年も終わりに近付き、落ち着いた頃、城東の下町、浅草と同じように、練馬の街も、酉の市で、盛り上がる、というのは、確かなのだな。
このような、お祭りが、毎年、催されている、ということは、テーマパーク、として、地域の中に、根付いている、という風に考えてもいいのだろうな。
たぶん、酉の市がある限り、街は、変わらずに、残るに違いない。
ということで、大鳥神社も見たし。これで、もう、練馬の街に来るのも、最後だろう。
それほど、遠隔の地にあるわけでもないので、最後、というのは、ちょっと、大袈裟かもしれないけど。また、気が向いたとき、来ればいいかな。
でも、やっぱり、当分は、来ないだろうなあ。
さようなら。練馬の街。光が丘の街。
(2009年3月記)

西武池袋線練馬駅(練馬駅前飲み屋街)

2009-06-17 04:21:53 | Weblog
千川通りを東へ。練馬駅に戻る。
練馬駅周辺も、今のところ、高層ビルの建設の予定はないようだ。
ということは、当分、練馬に、足を運ぶこともない、ということになるな。
だから、ちょっと、練馬の街中を散策してみようか、と思い立つ。
ところで、昔、都営大江戸線が開通した頃だろうか、何度か、光が丘団地から、練馬駅まで、歩いたものだ。
一帯は、畑地の中に住宅地が点在するような、実に、のどかな、感じだったなあ。
練馬大根が、特産品だったのも、うなづける。
練馬春日町駅を過ぎたあたりだったかな、その練馬大根に関する、小さな、私設博物館だったか、資料館だったかが、あったのを覚えている。
私設、ということなので、今でも、あるのかどうか、わからないけど。
そのようなところから、豊島園の東側を、南へ南へと、歩いていくと、畑地から、住宅地へと変わっていき、そして、道の先に、西武池袋線の線路が見えたのだ。
あの頃は、まだ、練馬駅は、高架になっていなかったんじゃないかな。
そんな思い出に耽りながら、東へと歩いていく。
やがて、練馬駅が近付くと、千川通りの南側、目白通りまでの間に、お店が密集する、下町のような、場所がある。
たしか、今、歩いている、千川通り、以前は、千川上水が、流れていたらしいので、練馬駅が開業する前は、たぶん、まわりは、畑地だったのではないかと思うのだが。
とすると、練馬の下町は、それほど、大昔からあるわけでも、なさそうだな。
そんな下町地帯に、入ってみる。
なんとなく、中央線沿線、あるいは、城東の下町を思わせる感じ。
そういえば、豊島園の東側にある、十一ヵ寺、という、寺町は、関東大震災後に、浅草から、移転してきた、ということだ。そう考えると、この下町も、中央線沿線の下町と同じく、関東大震災後、城東から、移って来たのかもしれない。
たぶん、そんな気がするな。
ならば、この下町、再開発で消えてしまうのだろうか。それとも、中央線沿線みたいに、テーマパーク、として、残るのだろうか。
どっちなんだろう。
(2009年3月記)

西武池袋線練馬駅(プラウドタワー練馬)

2009-06-16 06:11:19 | Weblog
ふれあいの径を南に歩き、光が丘駅に戻る。
再び、都営大江戸線へ。
そういえば、今、乗っている、都営地下鉄。光が丘団地のために、作られたようなものなのだが。
だとすると、まさに、公共輸送機関、という感じがする。
団地のために、交通機関まで設置する、というは、すごい発想だ。多摩ニュータウンもそうだっけ。
だけど、そのような交通機関、地下鉄や、新交通システムなどは、最近、あまり、作られなくなったなあ。
やはり、今の時代が、山の手の時代、だからだろうか。
山の手の交通手段は、クルマなので、山の手にとって、公共輸送機関なんて、むしろ、邪魔なのだ。そもそも、公共、ということ自体、受け入れようが、ないわけだけど。
そんなことを、鬱々と考えているうちに、都営地下鉄は、練馬駅に着く。
練馬駅で下車。南口へ。すぐに、東西に伸びる千川通りがある。
その千川通りを西へ西へと歩いていく。
ところで、練馬駅、という駅名だが、多くの駅名と同様、練馬の地名とは、あまり、関係ない。
例えば、大昔の練馬城の跡は、北側の豊島園だし、川越街道の下練馬宿は、はるか北の方、東武練馬駅の南口になる。
また、有名な練馬大根の碑がある、愛染院は、練馬駅の北西方向、練馬春日駅近くだ。
たぶん、下練馬宿から、大山街道、という道が、南西に分岐して伸び、愛染院の前を通っていたので、その一帯が、練馬、と言われた、場所なのだろう。
だから、練馬駅、というのは、本来の練馬から、南東側、あるいは、南側に、かなり離れた場所にある、ということわけだ。
ということは、練馬駅を中心とした、街並みは、昭和の初め、郊外が形成された頃に、できたのかもしれないな。
そのような練馬駅前の街の外れには、南東から北西へと、横切っていく、幅広の目白通りとの交差点がある。
その交差点を過ぎ、少し、歩いていくと、千川通りの北側にプラウドタワー練馬がある(工事中はこちら)。
最近、竣工している。
駅近くの、高層住宅の一つなんだろうが、はたして、立体ゲーテッドシティなのだろうか。
そうあっては、欲しくないが。
(2009年3月記)

都営大江戸線光が丘駅(光が丘公園)

2009-06-15 04:59:17 | Weblog
ふれあいの径を、そのまま、北へ北へと、歩いていくと、眼前に、広大な、光が丘公園が、広がる。
まさに、究極の、公共空間だな。
他にも、ここと同じぐらい、広大な公園は、あるのだろうが、光が丘公園の場合は、団地、という集合住宅と、セットになっている。
だから、この公園は、生活に密着していて、しかも、敷居が低いのだ。
光が丘の団地と、広い公園を見ていると、本当に、高度成長期に、描かれた、未来図、SFの世界、そのままのような気もする。
このような場所は、大きな公園はないけど、やはり、多摩ニュータウンぐらいしか、思い浮かばないな。
たぶん、総中流、という社会秩序の残っていた、バブルの頃だから、そういうことが、できたのだ。
今のような、公共性よりも、差別化、を重視する考えからは、広大な、公共空間を作る、という発想は、到底、生まれてこない。
生まれてくるとすれば、ゲーテッドシティ、なんだろうな。
つまり、コロニーのような、閉ざされた、空間。あるいは、整備されて、きれいだが、静まり返った空間。そういう類だ。
最近、多い、駅近くの、高層住宅も、なんだか、立体ゲーテッドシティなんじゃないかと、思えてくる。
ということで、結局、光が丘の延長上に、未来は、なかったわけだ。
光が丘は、未来への礎になれず、レトロな遺産になったのだな。
どうして、こうなってしまったんだろう。
考えても、わからない。そもそも、わかったところで、どうしようもないし。
さて、もう、戻るとしよう。
いつの間にか、すっかり、雨は、止んでいる。
ふれあいの径も、また、賑わいを取り戻すだろう。
だが、空は、まだ、どんよりとした、黒い雲に覆われている。
今日は、もう、青空は、望めそうにないな。
(2009年3月記)

都営大江戸線光が丘駅(光が丘ふれあいの径)

2009-06-14 07:24:52 | Weblog
空は、まだ、黒く厚い雲が、垂れ込めているけど、とりあえず、雨は上がった。
光が丘を最後に訪れる日が、雨だったら、どうしようかと、思っていたのだけど。
ここに来ることは、もうないので、あと少し、あちこち、歩き回ってみることにする。
ちょっと西へ進むと、北へ伸びる、幅広な、歩道がある。ふれあいの径、という名前らしい。
この歩道、東西に伸びるメインストリートの上を、陸橋で越えて、まっすぐ、北へ伸びていっているのだ。
このように、歩道と車道が上下に分離している、というのは、多摩ニュータウンにもあるけど、ペデストリアンデッキみたいで、いい感じだな。
メインストリートを渡りきると、その先は、歩道、というよりも、細長い、広場のようになっている。
西側には、スーパーや、その他にも、いろいろなお店があって、天気がいい日は、賑わっていることだろう。
もっとも、雨が降ったら降ったで、閑散としていても、それはそれでいいのかもしれない。天気の変化や、季節の流れを、感じることができるからだ。
こういう公共性の高い空間、昔で言えば、神社や寺院の境内、ということになるのかもしれないな。
たしか、多摩ニュータウンに行った時は、このような広場で開催されていた、ハロウィンのお祭りに出くわしたことがあるが。賑やかで、とても、楽しかった。
光が丘にも、催しはあるのだろうか。住んでいるわけではないから、わからないけど。
ただ、最近の再開発では、ふれあいの径、のような、公共空間は、あまり、重視されなくなったようだ。
公共性よりも、差別化、の方に、力点が置かれているように思える。
だからだろうか、高層住宅が建って、人口が増えているのに、まわりは、しんと静まり返っているのだ。
そう考えると、どうも、世の中は、バブルが崩壊した後、妙な方向に、進みだした、と思ってしまうんだけど。気のせいかな。
(2009年3月記)

都営大江戸線光が丘駅(光が丘パークタウンいちょう通り東3-7-1号棟)

2009-06-13 06:35:00 | Weblog
石神井公園駅に戻り、西武池袋線へ。
駅を出ると、ほどなくして、路線は、高架になる。
次の駅は、練馬高野台駅。高架上の、比較的、新しい駅だ。
だからだろうか、駅の周辺は、きれいに整備されている。
たぶん、石神井公園駅も、高架上の駅になるので、この練馬高野台駅みたいになるのだろうな。
列車は、さらに、東へ。練馬駅手前で、目白通りを高架で越えていく。
実は、西武池袋線が、高架になる前は、目白通りの方が、陸橋で、西武池袋線の上を越えていたのだが。
今は、その陸橋もなくなり、すっかり、上と下が、逆になっている。時代の流れ、ということだな。
練馬駅へ。都営大江戸線に乗り換える。
光が丘駅で下車。
南側に進み、団地の中に入る。
少し、西へ進むと、光が丘パークタウンいちょう通り東3-7-1号棟。
バブルの頃の竣工だ。
この高層棟を含めて、光が丘団地には、他に、4棟の高層住宅(パークタウン大通り中央3-9-3号棟パークタウンプロムナード十番街2-10-1号棟パークタウン大通り南7-8-1号棟パークタウン大通り中央3-9-1号棟)がある。さらに、ちょっと離れるが、西側に、1棟、高層ビル(J.CITYビル)が建っている。いずれも、同じく、バブルの頃に竣工している(J.CITYビルは、バブル崩壊の頃だが)。
まさに、光が丘自体が、バブルの頃の、壮大な、遺産、といわけだな。
そんな、光が丘、なのだが、光が丘パークタウンいちょう通り東3-7-1号棟で、光が丘の高層ビルは、すべて、訪れた、ということになる。
今後、新しく、高層ビルが建つ予定は、まず、ないので、光が丘に来ることは、たぶん、もう、ないだろう。
そう考えると、感慨深いものがあるな。
ふと、まわりを見やると、あれだけ、激しく降っていた、雨が、止んでいるではないか。急いで、傘をたたんだ。
(2009年3月記)

西武池袋線石神井公園駅(石神井公園駅付近の高架複々線化工事)

2009-06-12 05:06:30 | Weblog
どうしようか。このまま、彷徨っていたら、行き暮れてしまう。
雨も降っていることだし。石神井池は、諦めて、次回、訪れたときにするかな。
ということで、石神井公園駅の方へ、戻ることにする。
そういえば、バブルの頃だったかな。石神井池のワニ騒動、なんてあった。
結局、その後、どうなったんだろう。よく、わからないが。
あの当時は、日本中、バブルで、浮き足立っていたからなあ。
たぶん、あのワニ騒動、というのも、そのような、世の中の動きの一つ、だったのかもしれない。
などと、昔を懐かしみながら、北へ北へと、歩いていくと、石神井公園駅の西側にある、踏切に辿り着いた。
その踏切からは、西武池袋線の高架複々線化工事の現場を見ることができる。
ただ、この複々線化、というのも、石神井公園駅までで、その先は、複線のままらしい。だから、特に、輸送力が強化されるわけでもないのだろう。
いずれにしても、大泉学園駅の手前までは、高架には、なるようだ。
とすると、線路によって、街が、南北に分断されている、という現状は、解消されるのかもしれない。
なるほど、だから、南口に、北口にあるような、高層住宅が建つのか、と、ふと、その時、気付いた。
つまり、鉄道路線、という、壁がなくなって、再開発が、南側にまで、押し寄せてきたように見えるのだ。
さらに、ひょっとすると、そのような南口駅前から、石神井池まで、快適な通りも、開通するかもしれないな。
そうなれば、今日のように、駅前から、石神井池まで、辿り着けない、なんてこともないだろう。
石神井池も、井之頭公園みたいな、人気のスポットになるだろうし。
でも、そんな人気スポットには、もう、ワニ騒動、なんて、起きないだろうな。
そんな騒動、起きなくてもいいんだけど。
なんだか、懐かしい昔が、また、遠ざかっていくようで、ちょっと、寂しくなる。
(2009年3月記)

西武池袋線石神井公園駅(石神井公園駅駅前広場)

2009-06-11 05:06:08 | Weblog
いつまでも、お店にいるわけには、いかないので、外に出ることにする。
外は、まだ、大雨。
大粒の雨が降る中、駅前広場へ行く。
この駅前広場の風景、たぶん、昔から、ほとんど、変わっていないのだろうな。
実は、以前、この場所に、クルマで来たことがある。
真夜中だったかな。近くに同僚の住んでいる家があって、クルマで行ったのだ。
行ったは、いいけど、土地勘もないし、家がどこだか、わからなくなってしまったので、駅前まで、迎えに来てもらった。
そして、同僚を乗せて、駅前広場のロータリーを、ぐるっと、回って、家に向かったのだが。
その時は、駅前広場は、そこそこに、広いな、と感じていたんだけど。今、見ると、なんと、小さく、狭いのだろうと、思ってしまう。
子供の頃、見た風景を、大人になって見ると、小さかったり、狭かったり、そんな風に見えることが、よくあるけど。
でも、実は、子供の頃の風景でなくても、こんな風に、小さく見える、なんてことは、よくあるようだ。
例えば、賑やかな商店街が、なくなって、更地になったりすると、その場所の、意外な狭さに、驚かされる、といったような。
もっとも、駅前広場が、なくなってしまったわけではないので、たぶん、雨が降っていて、閑散としていて、寂しい感じがするからなのかもしれないけど。
そんな、侘しい、駅前広場を、眺めていたら、ふと、せっかく、石神井公園駅まで、来たのだから、有名な、石神井池でも、見ようかな、という考えが浮かんでしまった。
たしか、石神井池は、石神井公園駅の南側にあったはずだ。
さっそく、駅前広場から、南へ南へと、歩いて行く。
だが、住宅地の中、行けども行けども、辿り着かない。
雨も降り続いていて、靴の中まで、ぐっしょり、濡れてしまった。
どうやら、完全に、道を、見失ってしまったようだな。
(2009年3月記)