薬王寺から西へ。
いかにも、古そうな、醤油醸造所があり、その南側を、さらに、西へと、歩いていく。
この、醤油醸造所、なんでも、江戸時代創業の、老舗だそうな。
今は、まわりは、静かな住宅地だが、当時は、所沢の町の、中心だったことを、物語っているのだろう。
醤油醸造所を過ぎると、南北に伸びる通りに出るが、まだ、西へ。
少し歩くと、北側に、神明社。
今となっては、もう、山野に、ひっそりと、佇む、静かな社だが、この、すぐ、西側に、鎌倉街道が、あったのだ。だから、昔は、けっこう、賑やかだったに違いない。
創建は、わかっていないものの、近くに、鎌倉街道が、通っていることから、やはり、鎌倉時代あたりか。
さっき、訪れた、東側の、薬王寺も、同じ頃だし、他にも、あたりには、新光寺、実蔵院、などがある。
さらに言えば、一帯の町名は、宮本町、そして、その南側が、元町。かつての、地域の中心だったことを、窺わせる、町名だ。
もっとも、往時を偲ぶのは、そんな事どもぐらい。今は、静かな、住宅地が、広がるばかり。
南側に歩いて、再び、銀座通りへ。
東へ東へと、歩き、駅を目指す。もう、帰るわけだが。
そういえば、この通り沿いの、高層住宅、あれだけ、凄い勢いで、建ち続けていたわけだが、今後、新規に建つ計画はない。
とすると、所沢に、来ることも、ないだろう。
このあと、何百年も経てば、どうなるのかな。
鎌倉街道と同じように、歴史の中に、埋もれてしまうのかも。
そんなことを、考えながら、足早に、駅へと、歩いていく。
(2010年2月記)
いかにも、古そうな、醤油醸造所があり、その南側を、さらに、西へと、歩いていく。
この、醤油醸造所、なんでも、江戸時代創業の、老舗だそうな。
今は、まわりは、静かな住宅地だが、当時は、所沢の町の、中心だったことを、物語っているのだろう。
醤油醸造所を過ぎると、南北に伸びる通りに出るが、まだ、西へ。
少し歩くと、北側に、神明社。
今となっては、もう、山野に、ひっそりと、佇む、静かな社だが、この、すぐ、西側に、鎌倉街道が、あったのだ。だから、昔は、けっこう、賑やかだったに違いない。
創建は、わかっていないものの、近くに、鎌倉街道が、通っていることから、やはり、鎌倉時代あたりか。
さっき、訪れた、東側の、薬王寺も、同じ頃だし、他にも、あたりには、新光寺、実蔵院、などがある。
さらに言えば、一帯の町名は、宮本町、そして、その南側が、元町。かつての、地域の中心だったことを、窺わせる、町名だ。
もっとも、往時を偲ぶのは、そんな事どもぐらい。今は、静かな、住宅地が、広がるばかり。
南側に歩いて、再び、銀座通りへ。
東へ東へと、歩き、駅を目指す。もう、帰るわけだが。
そういえば、この通り沿いの、高層住宅、あれだけ、凄い勢いで、建ち続けていたわけだが、今後、新規に建つ計画はない。
とすると、所沢に、来ることも、ないだろう。
このあと、何百年も経てば、どうなるのかな。
鎌倉街道と同じように、歴史の中に、埋もれてしまうのかも。
そんなことを、考えながら、足早に、駅へと、歩いていく。
(2010年2月記)