銀座通りから、北へ。街中、住宅地に入り、途中、東西に流れる、東川を渡り、さらに、北へと、歩いていく。
しばらく、進むと、薬王寺。
自分の地元は、所沢であるわけではないので、なんとも、言えないけど、おそらく、所沢を、代表する、寺院の一つ、だと思われる。
創建は、鎌倉時代の後、室町時代。
謂れについては、以下の通り。
さっき、訪れた、小手指は、小手指合戦の舞台だったわけだが、新田の軍勢が、鎌倉幕府を、破った戦い。ただ、その後、同じ場所で、今度は、新田軍が、足利軍に敗れている。そのときの、敗軍の将が、落ち延びて、いつしか、世の中、落ち着いたとき、寺院を、創建。それが、薬王寺、ということらしい。
史実か、伝説か、よくわからないが。
ただ、薬王寺の、西側には、南北に、伸びる、鎌倉街道が、通っていて、交通の要衝だったことは、事実だ。
そのことが、薬王寺の創建に、大きく、関わっていたことだろう。
果たして、その当時、集落も、そちらが、中心で、宿場町もあったらしい。
歴史は、下り、江戸時代。江戸の街が、中心なので、交通路も、江戸への道、すなわち、東西に伸びる道が、栄えてくる。
さっき、歩いてきた、銀座通りが、それなのだが。
その北側、東側のさらに北側、薬王寺のあるあたりを、有楽町というのだが、いかにも、繁華街、あるいは、歓楽街を思わせる、町名だな。
もっとも、それは、もっと、時代が、下ってのこと。
だが、今は、とても、静か。
遠く、高層住宅が、見えるばかり。
時代は、流れていく。
(2010年2月記)
しばらく、進むと、薬王寺。
自分の地元は、所沢であるわけではないので、なんとも、言えないけど、おそらく、所沢を、代表する、寺院の一つ、だと思われる。
創建は、鎌倉時代の後、室町時代。
謂れについては、以下の通り。
さっき、訪れた、小手指は、小手指合戦の舞台だったわけだが、新田の軍勢が、鎌倉幕府を、破った戦い。ただ、その後、同じ場所で、今度は、新田軍が、足利軍に敗れている。そのときの、敗軍の将が、落ち延びて、いつしか、世の中、落ち着いたとき、寺院を、創建。それが、薬王寺、ということらしい。
史実か、伝説か、よくわからないが。
ただ、薬王寺の、西側には、南北に、伸びる、鎌倉街道が、通っていて、交通の要衝だったことは、事実だ。
そのことが、薬王寺の創建に、大きく、関わっていたことだろう。
果たして、その当時、集落も、そちらが、中心で、宿場町もあったらしい。
歴史は、下り、江戸時代。江戸の街が、中心なので、交通路も、江戸への道、すなわち、東西に伸びる道が、栄えてくる。
さっき、歩いてきた、銀座通りが、それなのだが。
その北側、東側のさらに北側、薬王寺のあるあたりを、有楽町というのだが、いかにも、繁華街、あるいは、歓楽街を思わせる、町名だな。
もっとも、それは、もっと、時代が、下ってのこと。
だが、今は、とても、静か。
遠く、高層住宅が、見えるばかり。
時代は、流れていく。
(2010年2月記)