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retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

小田急線狛江駅(西和泉二丁目 染地通り)

2016-09-17 06:03:42 | Weblog
しばらくすると、北から、流れてきた、根川。
多摩川に、合流するところ。
西側の、多摩川北岸、崖からの湧水から、流れている。
多摩川沿いに、流れ、途中、南へ。多摩川に、合流。
根川の、「根」は、崖下、ということだろうか。上流にも、別に、根堀という、用水が、流れている。
根川を渡り、西へ、歩くと、染地通り。
麻布を、染めたので、染地、なのかな。
(2013年9月記)

小田急線狛江駅(西和泉二丁目 根川さくら通り)

2016-09-16 03:54:31 | Weblog
多摩川に さらす手作り さらさらに 何そ この子の ここだ 愛しき
多摩川に、麻布を「さらす」の「さら」が、「さらにさらに」という言葉を、導き出している、ということか。
そして、さらにさらに「愛しい」のだ。
麻布は、そのままでは、硬いので、砧で、叩き、多摩川にさらして、柔らかくしたらしい。
そうして、作られた麻布、一部は、税として、物納されたようだ。
「調布」ということである。
調布は、地名にもなっている。
などと、考えているうちに、北へ伸びる、根川さくら通り。
さらに、西へ、向かう。
(2013年9月記)

小田急線狛江駅(中和泉四丁目 玉川万葉歌碑)

2016-09-15 03:53:06 | Weblog
福祉会館通りから北へ。
住宅地に入っていく。
しばらくすると、通りの、東側には、玉川万葉歌碑。
まわりは、公園のようになっている。
もともとは、江戸時代、今の、小田急線の東側、多摩川沿いにあったのだが、洪水で流されてしまったらしい。
大正時代になって、この地に、作られた。
郊外化、ということで、このような、公園も、整備されたのだろう。
南へ。福祉会館通りに、戻る。
(2013年9月記)

小田急線狛江駅(元和泉二丁目 水神社)

2016-09-14 03:54:36 | Weblog
南は向かうと、再び、福祉会館通り。
福祉会館通りを、西へ。
しばらくすると、通りの南側に、水神社。
創建は、江戸時代の、直前。
もともとは、伊豆美神社のあった場所。
伊豆美神社が、洪水のため、今の場所に、移転して、しばらくしてから、水神社が、創建されたようだ。
また、六郷用水開削のためでもある。
用水が整備され、あたりが、開かれたのだろう。
(2013年9月記)

小田急線狛江駅(中和泉四丁目 仏寿寺)

2016-09-13 03:50:09 | Weblog
律令制になる前、この地に、あった、勢力。
多摩川も近く、品川道も、近い。
ただ、台地ではないので、もともとの、暮らしがあったとも思えない。
とすると、新しく、渡来した、入植者、なのだろうか。
単純に、そう、割り切れるかどうか、わからないけど。
当時、他の地域にも、そのような、入植者が、多くいたことは、確かだ。
兜塚古墳を後にして、西へ。
しばらくして、南へ曲がり、南へ向かうと、仏寿寺。
こちらは、最近、創建された寺院。
(2013年9月記)

小田急線狛江駅(中和泉三丁目 兜塚古墳)

2016-09-12 02:57:22 | Weblog
伊豆美神社を後にして、南へ。
途中、西へ曲がり、そのまま、西へ。
しばらくすると、兜塚古墳。
古墳、というと、もう、平安時代よりも前、ということになる。
だとすると、まだ、集権化されてはいないはず。
各地に、独立した、勢力が、存在していたに、違いない。
ということは、狛江にも、独立した、勢力が、あったわけだ。
どのような、勢力が、いたのだろう。
(2013年9月記)

小田急線狛江駅(中和泉三丁目 伊豆美神社)

2016-09-11 06:10:18 | Weblog
北へ北へと、歩いていくと、しばらくして、伊豆美神社。
創建は、わかっていないものの、それなりに、古いようだ。
北側を、品川道も、通っているし。
ただ、伊豆美神社、もともと、この地に、あるわけではない。
江戸時代の前、多摩川の洪水によって、移転してきている。
旧地は、ここから、南側、多摩川の北岸、今、水神社があるあたり、ということだ。
そうではあっても、品川道には、十分に、近いと、思える。
また、今の地には、御霊神社があり、また、そこには、またしても、古墳があったらしい。
とすると、創建は、やはり、鎌倉時代の前、平安時代あたりだろうか。
(2013年9月記)

小田急線狛江駅(中和泉三丁目 狛江住宅地)

2016-09-10 05:27:25 | Weblog
西河原自然公園、多摩川北岸の公園、ということか。
ただ、この場所は、北岸といっても、河川敷、川原ではない。
実際、公園ができる前は、梨畑、田圃、だったそうだ。
では、そのような場所、なぜ、公園にする必要があったのだろう。
砂利の採掘が、始まったから、ということらしい。
河川敷、川原での、砂利採掘は、すでに、禁止されていたが、かつて、河川敷であった場所は、禁止の対象ではない。
そのような場所の中に、地中、砂利が、堆積している場合があるのだ。
それが、いまの、西河原自然公園だったらしい。
だが、すでに、周囲は、住宅地。砂利採掘をされれば、広範な穴ができていまう。
ということで、西河原自然公園にしたのだそうだ。
時代は、高度成長を達成したあとの、安定期。
そういう時代だったのだろう。
福祉会館通りから、北へ。
狛江住宅地の中、北へ、向かう。
(2013年9月記)

小田急線狛江駅(元和泉二丁目 西河原自然公園)

2016-09-09 03:59:54 | Weblog
懐かしい家並み、
なるほど、懐かしい、というのは、高度成長期以前のことなのか。
郊外が、高度成長期以降、できたわけだから、そういうことになるのかも。
もっとも、それ以前、もちろん、長閑で、のんびりとしていたことだろうけど、
でも、快適で、便利な、街並み、というわけではなかったはず。
もし、かりに、今のような、快適で、便利な、生活があって、なおかつ、長閑で、のんびり、だったらなあ、ということかな。
古民家園を後にして、さらに、西へ。
しばらくすると、通りの、南側には、西河原自然公園。
(2013年9月記)

小田急線狛江駅(元和泉二丁目 古民家園)

2016-09-08 04:00:02 | Weblog
福祉会館通りを、西へ、歩いていくと、しばらくして、通りの、南側には、古民家園。
開園したのは、バブルが崩壊した後、失われた10年。
歴史的テーマパーク、ということか。
テーマは、高度成長気前、つまり、郊外住宅地になる前。
確かに、懐かしい感じがする。
もっとも、とくに、狛江でなくても、いいような、気もするが。
ちょっと、入ってみる。
(2013年9月記)