山形の過去、現在、未来

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五輪選手には「感動」、政治家には「非感動」

2012-08-08 00:45:33 | 時評
 ああ、マスコミには「感動」「感動!」の言葉が乱舞。
日本人とは思われない茶髪・金髪の選手たちが画面いっぱいに現れても「日本を代表する者としてふさわしくない」というようなクレームはまったくなしに、やはり「感動」「感動!」のオンパレードである。
 これまた「大政翼賛」ならぬ「大勢翼賛」の報道姿勢ではないか。
 むろん、オリンピック報道でのことであるが、オリンピック終了後はこの「感動」という言葉はまったく聴かれなくなるのか。
 とりわけ日本の政治報道においては「感動」の言葉が聞かれることはまったく無い。
 それならば、オリンピックのメダリスト経験の皆さん全員に「政治への転向」を願うしかないようだ。
 そうしたら、ひたむきな目標への邁進努力と闘志、ねばりにより日本の政治は劇的に良き方向に向かうことを期待できそうだが、・・・しかし、メダリストで政治家に転向した人士は皆無ではない。
 その後、日本の政治は良き方向に変わったのか? 日本がかかえる諸問題は改善の方向に向かったと言えるのか?

 ああ、政治家たち、官僚たち(地方公務員を含む)はオリンピックの過剰報道は大歓迎であろう。
 願わくは、オリンピックは毎年でも年間を通して開催してもらいたいところであろう。そうならば「感動」に酔いしれる国民は批判や非難の矛先を自分たちに向けることはない。
 
コメント
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