山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

悲劇の城跡(6) 九戸城(2)

2010-12-06 23:21:21 | 郷土史

 奥羽の地全体を揺るがし、激しい攻防戦のために夥しい流血で染められ、しかも既に戦前に国の史跡となった名高い古戦場でもあり城跡でもありながら、九戸城跡を実際に訪れてみるとまことに平板でただの公園広場のような感じでしかなかった。
 ここが凄惨な殺戮の場であったとは信じにくいほどののどかさである。
 この城が陥落後、一時だけ南部氏が三戸からここに居城を移したが、さらに盛岡に移ってからは廃城となり、土塀、櫓などもすべて解体され、石垣も崩壊していくのみであったし、東西と北の三方が深い河川で囲まれ、それらに挟まれた河岸段丘の上に構築された平山城であったためということもあり、山城のように平地から一際目立つ景観をなしているわけでもない。
 というと、普通は天守閣や豪快な石垣と人工の堀を連想するものだが、九戸城跡にはいずれも欠如している。だから、古城好きの歴史ファンにとってはさほどインパクトが感じられない城跡なのかもしれない。
 でも、ここは岩手県南部の平泉とともに時の中央権力に刃向かいながら滅ぼされた地としての共通点があるのだ。
 ◆写真説明 A:二戸駅前通り 新幹線も停車する駅だが、何とも物寂しい光景 B:馬渕川 右手前方に九戸城跡 C:九戸城跡の傍で見つけた土蔵 D:近代日本物理学の大御所、田中館愛橘の生家 E:九戸城二の丸入口付近 F:城跡広場での説明絵図 左の市街地のすぐ脇に天然の深堀の馬渕川があるのだが残念ながら描かれていない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲劇の城跡(5) 九戸城(1)

2010-12-04 23:08:22 | 郷土史

 ↑ おっきい画面で見っだい場合はクリックしてけらっしゃいス

 今日の記事のカテゴリーは「郷土史」とされていながら、ジャンルは「岩手県」となっているのはこれいかに? 
 写真撮影は岩手県最北部だから、今日あたりは新青森駅発または新青森駅に向かう本日全線開通の東北新幹線車両の轟音がこの城跡にも響きわたっていたはずである。
 だから山形とは少し離れているのにどうして「郷土史」なのか。
 この九戸城跡は山形の歴史と大いに関係があるからである。
 それは我が山形市民が愛してやまない駒姫の悲劇の発端となる日本史上の大事件の大舞台となった場所だからである。
 慶長19年(1591)、南部氏の一族の九戸政実が宗家の南部信直に反旗をひるがえし五千人の将兵とともにこの城に立て篭もったが、小田原の北条氏を屈服させて天下を統一したつもりでいた豊臣秀吉には奥州の小さな戦国大名家一族の内紛とはいえ、秀吉に臣従した南部信直に武力反抗した九戸政実を許すことはできなかった。
 それで、養子の羽柴秀次を総大将に任じて6万人とも10万人とも言われる大軍を鎮圧のために差し向けたわけである。
 九戸は果敢に抵抗したが、多勢に無勢によりついに九戸城は陥落した。
 その帰路に羽柴秀次(後に関白となる)が山形城に立ち寄り、まだわずか11歳ながら花のように美しい駒姫を差し出すよう父の山形城主最上義光に所望したという。義光は数年先にと約束した。これが彼女の悲劇の始まりであった。 ⇒ 続く

◆写真説明 A:九戸城跡二の丸外郭の断崖 B:二の丸広場から望む本丸跡 台地上に築かれた城だが、ここでは平坦に見える C:二の丸東部外郭の堀跡(水がない) D:地方裁判所支部敷地から望む本丸跡 E:北側に流れる白鳥川 九戸城の外堀の役割を担っていた F:九戸城を守った馬渕川 右側に秀吉が差し向けた大軍が集結し何度も渡河を試みたが九戸軍から鉄砲や弓矢で狙い撃ちにされた この九戸城跡は既に戦前に国の史跡に指定されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大石田周遊20分間 + 山形最後の紅葉

2010-12-02 23:55:45 | 旅行、小旅行

 延沢城跡撮影が主目的だった今回の尾花沢市内と大石田の街めぐりの紹介もいよいよ最終会を迎えることとなった。[11月7日時点]
 でも「悲劇の城跡」という名のシリーズは別の城跡の紹介に続くことになる。
 今日は大石田の駅周辺、つまりは大石田町の中心市街地の紹介になる。
 尾花沢市と大石田町は地続きになっており、JR奥羽本線をの跨線橋を越えればすぐ大石田の市街地だ。いくら小さな町でもわずかの20分で街めぐりをしたというのは理解しがたいことかもしれない。
 以前、グループでほぼ同じコースを歩いた時はたっぷりと2時間以上は要したような記憶がある。でも、写真と下の解説をご覧いただければ、今回の「20分」の意味も理解していただけるのではないか。
 ◆写真解説 A:世界一長大と言われる(と大石田人が言う)最上川河畔の土塀をあしらった壁画 B:古い洋風店舗も混じる商家の街並み C:最上川河畔堤防沿いの豪商屋敷の紅葉 D:最上川(北の方角) E:郷愁を誘う愛らしい街並み F:この日大変お世話になったレンタサイクル(大石田駅前)

 ↑ 京都の紅葉でさえそろそろ色褪せが懸念されているのに、我が山形市街地の公園内にひっそりと色づいていた紅葉があった。たぶん、これが山形市街地で最も色づきが遅い紅葉樹であろう。それでもやはりかなり退色していた。どごさある紅葉だべ?(12月1日現在)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする