山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

炭焼藤太父子が通った道 ①

2009-08-24 21:17:21 | 郷土史

   シリーズ「炭焼藤太と金売吉次が通った道」の復活版
 蔵王山系(北側)の山懐で炭焼きを業としている炭焼藤太は炭の商いに里に降り、馬見ケ崎川扇状地をしばらく北東方向に進むと薬師堂がたたずむあたりに水鳥が戯れる池があり、彼はそこで休息のために立寄った。
 藤太は水鳥を捕まえようとして妻の豊丸姫から渡された金塊を石の変わりにして水鳥に投げつけたが、金塊は水鳥には当たらず、池の底に沈んでしまった。
 帰宅したところ、豊丸姫は金塊で何を買って来たのかと聴いたのに対して藤太は池の底に沈んだことを告げたので、豊丸姫は「金は都ではたいへん貴重なものなのに非常に勿体ないことをしてくれましたね。」といたく嘆いた。
 藤太は「なんだ、そんなものなら、家の周りや炭焼き小屋のあたりには沢山ごろごろしているよ」と言って、早速見せてくれた。
 こうして、藤太は炭ばかりでなく金の商いにも精を出すようになり、息子に受け継がれたが、その息子が源義経と親しかった金売吉次である。
 以後、彼らの村は「宝沢」と称されるようになる。
◆写真 ①現在の薬師堂 ②薬師堂の裏にある庭園の池 ③明治末期の大火で焼失以前の薬師堂 ④薬師堂の西方にあった鴻池の跡(薬師町通りの六日町側)この池で遊ぶ水鳥に藤太は金塊をぶつけようとして失敗したと伝えられている。⇒写真をクリックにより画面拡大
 
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