ここは直江兼続の最後の大イクサ、慶長出羽合戦の右翼軍が通った道であるが、不思議にも彼らが通った道筋に270年ほどの後の明治の文明開化により建造された石造りのアーチ橋が集中して残されている。
むろん、ここの中山集落にも文化遺産・歴史遺産として石のアーチ橋が残されている。嬉しいことにこの石橋は現役である。
また、幸いにも多数の車や大型車輌はここの集落の西側の国道を走っており、ここを通るクルマは国道の何分の一よりも更に少ないから、この石橋の痛みもさほど進んでいない。でも、たまにここをクルマで通る人もほとんどがこの石橋に気づかないまま通り過ぎるに違いない。
私がこの石橋の存在に気がついたのも、徒歩で通りかかったからであり、またこの辺りにこの種の石橋があることについての僅かながらの知識があったからでもある。
なお、この中山集落には往古を偲ばせる建造物や佇まいがまだ結構残されているように感じた。下の写真の土壁の土蔵もその一例であろう。
また、前日の写真、そして次回予定の写真も中山集落であるが、是非この街村は徒歩でお願いしたい。上杉と最上の“国境の村”の風情である。
むろん、ここの中山集落にも文化遺産・歴史遺産として石のアーチ橋が残されている。嬉しいことにこの石橋は現役である。
また、幸いにも多数の車や大型車輌はここの集落の西側の国道を走っており、ここを通るクルマは国道の何分の一よりも更に少ないから、この石橋の痛みもさほど進んでいない。でも、たまにここをクルマで通る人もほとんどがこの石橋に気づかないまま通り過ぎるに違いない。
私がこの石橋の存在に気がついたのも、徒歩で通りかかったからであり、またこの辺りにこの種の石橋があることについての僅かながらの知識があったからでもある。
なお、この中山集落には往古を偲ばせる建造物や佇まいがまだ結構残されているように感じた。下の写真の土壁の土蔵もその一例であろう。
また、前日の写真、そして次回予定の写真も中山集落であるが、是非この街村は徒歩でお願いしたい。上杉と最上の“国境の村”の風情である。