なんと明治44年の祝賀スタンプのある写真絵葉書。明治の末年のことを記憶している山形市民はまず存在しないと思うが、山形の裁判所が和風の建物であったことを覚えている市民はかなり存在するはずである。
こう言う私もかすかな記憶がある。しかしその和風裁判所もこの写真と同一の建物ではない。明治44年の大火で消失している。そしてこの建物の前世代の庁舎も明治37年に失火で消失している。やはり木造は火災に弱いということである。
ともかく、このような大岡越前が現れてくるような重々しい外観ならば、多くの市民はあまり「お世話」になりたくはないと思わせるには充分であったに違いない。むろん、現代ビルになつた現代の裁判所にもやはりそう「お世話」になりたいとは思わないものではある。
スタンプの横文字を読んでみでけらっしゃいス~(読んでみてくださいね)。
こう言う私もかすかな記憶がある。しかしその和風裁判所もこの写真と同一の建物ではない。明治44年の大火で消失している。そしてこの建物の前世代の庁舎も明治37年に失火で消失している。やはり木造は火災に弱いということである。
ともかく、このような大岡越前が現れてくるような重々しい外観ならば、多くの市民はあまり「お世話」になりたくはないと思わせるには充分であったに違いない。むろん、現代ビルになつた現代の裁判所にもやはりそう「お世話」になりたいとは思わないものではある。
スタンプの横文字を読んでみでけらっしゃいス~(読んでみてくださいね)。