山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

完全に消された都心部の潤い空間

2009-03-24 22:16:09 | 郷土史
 上の写真こそ昨日の「つまらない景観」の前身の姿である。
 そもそもこの庭園は泰安寺という山形城主秋元氏の菩提寺の庭園であったが、その後秋元氏が山形を去ってからは荒廃したが、明治の後半になってから山形ホテルという和風ホテルの庭園として修復拡張されたもののようである。
 その後、敷地の西側に教育会館ビルが建てられて庭園は狭められ、和風ホテルの部分も教育会館の宿泊施設となり、更に戦後に和館はユースホステルとしてしばらく利用されたが、昭和40年代末頃には旧教育会館ビルと和館はともに解体のうえ全面的に改築され、庭園部分はほんのわずかに残されただけであった。
 それがわずか3年ほど前に更なる全面改築に伴い、庭園は完全に消滅した。
 その代わり白っぽいがちがちと硬い感じだけの駐車スペースだけが拡がり、風格充分であった旧山形ホテルの面影をわずかに残すのは駐車場入り口の左側に立つ巨大な石灯籠のみである。(その石灯籠は庭園内ではなく旧ホテルの玄関前にあつたもの。)

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