↑ 山形貯蓄銀行(昭和19年に両羽銀行--現・山形銀行に吸収)時代
↓ 昭和22年から昭和46年までに日本銀行山形事務所として使用された(現在、日銀事務所は山形銀行本店内) ※上下の写真はともに小白川町のS氏提供
旧山形県庁舎(現在の文翔館)の設計に中条精一郎が関係したことはよく知られている。(直接の設計は田原新之助) また、やはり山形市内の中心部にある某現役の医院も中条精一郎と言われており、いずれも華麗にして重厚な建造物である。
しかし、山形市内には他にも彼の設計した重要な建物が<あった>。つまり解体された。もっときつく言うなら<破壊>されたのである。
この建造物は昔は山形貯蓄銀行であったが、後に日本銀行の山形支店となっている。(9月25日の写真を参考。交差点の向こうの方に見える)
その後はもっと重要な建造物が通行人を見下ろしている。つまり現代社会にとって不可欠とされる施設にとってかわられている。それは市営駐車場であり、五層なので法隆寺の五重塔のように将来は重要文化財か国宝になるであろう。(→むろん絶対にありえない話)
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