山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

見たことあるような建物だが・・・

2010-01-30 23:58:58 | 建物
 今日はまともな記事を登載しようと考えていたが、午後から会合があり、遅く帰宅したため、有り合わせの写真をネタにクイズ形式の内容にした。
 たまたま手元の雑然とした所で画質が劣悪な建物の写真を見つけたが、建物そのものは山形市に現存するが、そのかなり以前の別の場所での姿として貴重なものなので、当ブログにて紹介するのが相応しい素材と考え、登載することにした。
 確かにこの建物の形態は今でもよく見かけるのだが、こんな市街地の真ん中らしき所にあるはずはないし、建物の塔屋の部分の形は現在のとはかなり違う。
 また、建物の色彩も現在の記憶にある色彩とはかなり違うようだ。
 さらに場所もこんな所にあったのか、と驚かれる市民や県外の愛好者の方も居られよう。
 さて、この正面のきわめてユニークな形の建物は何の建物で、どんな用途に使用されていたのだろうか。さらに、両脇の建物はそれぞれ何の建物なのであろうか。
 山形に長く住む市民ならおわかりになるのではないか。
 また正面の塔型建造物の現在地はどこに在るのだろうか。
 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊達政宗の母が住んだ平地の... | トップ | 「歴史」半減にて「歴史」で... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ロザリオの海 (図書館訪問者)
2010-02-01 12:45:30
 山形市立図書館の、図書館だより「べにばな」第242号の「山形を訪れた外国人⑧」続編③を読ませて頂きました。仙台は伊達政宗と親交のあったソテロでしたが、山形はディエゴ神父なのですね。山形の神父は昔から仙台からの派遣なのですか?現在の朝7時前に車のスピーカーから布教をしている外人さんは仙台から来ている様です。車が仙台ナンバーですから。昼頃にも布教している同じ車を見かけました。仙台一番町繁華街では、同じ内容の布教活動のスピーカーは、車からでなく、学生アルバイト(?)2人がスピーカーを背負って布教しています。いずれのしても、昔から山形は仙台の出先なんでしょうね。
 そういえば、昔(50年程前)、山形市八日町でのモルモン教のクリスマス・パーティに行ったことがありますが、同教の布教は今山形ではやっているのですか?
 べにばな第241号では、寛永3年(1626)ころに、船町&中町に信徒が多かったとの事、すると庄内地方から舟で入ったとすると、仙台から来たのでは無いのですか?それとも、船町辺りが、迫害から舟で逃げるのに都合が良かったからなのでしょうか?
 次号243号を楽しみにお待ちしております。執筆を感謝申し上げます・
丸森町 (ブログ主)
2010-02-02 09:57:23
車のスピーカーでの布教をやっているのは宮城県南部の丸森町に本部のある「聖書配布協力会」のことだと思われます。民家の軒下に「死後裁きにあう」などの看板を貼り付けたり、イベントなどの人だかりの所でスピーカーで“説教”するのが特色です。モルモン教の若い米人たちによる宣教の山形での歴史も既に50年以上になり、今も彼らの姿を見かけますが、あまり信者が増えているようには思えません。
船町・中野にキリシタンが多かったのは特に逃亡のためというよりは、やはり河岸の港町であり、山形城下への布教に便利だったからなのでしょう。

コメントを投稿

建物」カテゴリの最新記事