山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

再び鶴岡へ+山形市内の近況(2)

2010-05-10 22:34:33 | 建物
 
 昨日宿泊した農家民宿「知憩軒」からほど近い金峯山の麓に昔懐かしい村役場の建物が庄内平野を見渡しているかのようにたたずんでいる。
 ここには4年ほど前にも知人とともに訪れ、空き家同然で地域の人たちにもほとんど使用されているようにも見えず、保存状態も決して良好にも思えないので、来年再び訪れた時には既に壊されているかもしれないなどと心配しながら山形へ戻った記憶がある。
 でも最近、保存活用の動きもあるとかの報道もあり、まだ“健在”であることが確認できたので是非再訪したいと思った次第である。
 この建物は昭和11年に建てられた旧黄金村(現在は鶴岡市)の役場で、昭和17年に近くの集落出身で鶴岡中学(現在の鶴岡南高)の夜間部に通学していた藤沢周平氏が書記補として勤務していたことで少しは知られている。
 鶴岡市との合併後には支所となり、やがて公民館となったが、近くにコミュニティセンターが新設されるに伴い次第に「空き家」化し、もし倒壊でもしたら隣の保育園の児童の安全が脅かされるからすぐにでも解体すへげきだという声が高い時期もあったようだ。
 でも藤沢文学や映画化された藤沢作品のファンにとってはたまらない魅力的な“史跡”であることは疑いなかろう。

 もし、20年前や30年前だったら、それこそ“時代錯誤”の事業として揶揄どころか激しい非難の対象となっていたであろう事業の完成により山形市の中心市街地の一角が多くの市民や観光客を呼び寄せる力となっている。
 即ち、しばらく以前に暗渠となって以来、市民の目にほとんど入らないでいた戦国時代末期に整備された城下町の用水路で、下流は山形城の堀に注いでいた御殿堰が市民の目に触れる形で復原され、同時に現代様式の店舗を解体して町屋風の複合商業ビルが新築されたことである。
 しかも中心商業街区ながら木造であるのが大胆な試みである。むろん、木造でも耐火の仕掛けがなされているらしい。商業ゾーンは何が何でもコンクリートかモルタル造りというのは神話になりつつあるようだ。
 写真をクリックすれば、御殿堰の前方に奥羽山脈の雁戸山が望まれるが、心憎い光景である。
 

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