さて、ここはどこかと聞かれても山形人でも答えられる人はほとんど居ないであろう。それほど昔の街並みだからである。
ここに見える建物で現在残っている建物は皆無だからである。ただし、左手前の2つの建物は規模も形体も現在と大差はない。外壁の色だけは黒っぽく、現在の白基調とは異なる。
この手前の2棟はごく最近まで同一の店名であった。つまり、一番手前が絵葉書などの店であり、交差点の店は梅月堂(現在は梅月館)である。
そして交差点の向こう側の塔屋のある建物は警察署である。現在は低層部分がカラオケ店などが入居している商業部分で、上階部分はマンションとなっている。
そして更に向こうに見える重厚な建物が日本銀行の支店であるが、近代日本の建築会の大御所、中条精一郎の設計による貴重なものだったが、現在は現代建築で最も殺風景な「駐車ビル」となっている。
明治末年の市北大火のあとに復興された街並みのようであるから、恐らく大正後期から昭和初期の写真であろう。
山形市のど真ん中でありながら、この頃は自転車の姿は見えても一台の自動車も見当たらない。けたたましい騒音にさらされない、のどかな時代であった。
また、自動車が増える以前は「街角」が街角らしさを呈しており、「街の顔」の役割を果たしていた。
ここに見える建物で現在残っている建物は皆無だからである。ただし、左手前の2つの建物は規模も形体も現在と大差はない。外壁の色だけは黒っぽく、現在の白基調とは異なる。
この手前の2棟はごく最近まで同一の店名であった。つまり、一番手前が絵葉書などの店であり、交差点の店は梅月堂(現在は梅月館)である。
そして交差点の向こう側の塔屋のある建物は警察署である。現在は低層部分がカラオケ店などが入居している商業部分で、上階部分はマンションとなっている。
そして更に向こうに見える重厚な建物が日本銀行の支店であるが、近代日本の建築会の大御所、中条精一郎の設計による貴重なものだったが、現在は現代建築で最も殺風景な「駐車ビル」となっている。
明治末年の市北大火のあとに復興された街並みのようであるから、恐らく大正後期から昭和初期の写真であろう。
山形市のど真ん中でありながら、この頃は自転車の姿は見えても一台の自動車も見当たらない。けたたましい騒音にさらされない、のどかな時代であった。
また、自動車が増える以前は「街角」が街角らしさを呈しており、「街の顔」の役割を果たしていた。
それにしても、映画のセットになりそうな雰囲気の「街角」が山形にあったんですね。
ただしこのような景観はこの辺りにのみ集中していたから、ハイカラ好みの山形のオッサンやオバハン達で賑わっていたんでしょうな。