山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

ここでも戦没者慰霊のウォーキング

2009-08-04 22:45:15 | 郷土史
 中山の街村を歩いていたら、戦没兵士を弔う寺があった。
 戦没兵士と言っても、先の太平洋戦争で戦没した兵士たちのことではない。
 今を去る409年前に上杉景勝と直江兼続の命により山形城攻略のため出陣したものの、山形城手前の上山城すら攻略できないままに、上山兵たちのゲリラ的戦術に翻弄されたまま敗退したが、その際に多くの上杉軍の兵士たちが犠牲になった。
 上杉軍とは言っても、にわかに兵士や軍属として駆り出された地元中山の農民たちも少なくなかったようである。
 まさに先月の上山市最南部の中山地区のウォーキングは慶長出羽合戦の様子を想念しながらの鎮魂の徒歩行であったと言える。  → 次回に続く
◆写真 ①この寺は慶長出羽合戦での戦死者を弔うために上杉軍の右翼軍の総大将で中山城主の横田旨俊が建立した。  ②静かな旧道を出て交通量の多い国道沿いに出たら、新しいが和風の住宅が目に付いた。 ③国道沿いの小丘陵に神社が鎮座していた。 ④JR奥羽本線(山形線)の中山駅付近 単線だが、このレールの上を山形新幹線も走行する。この踏み切りを渡って歩を進めると追撃の上山軍と上杉軍が戦った河川敷の古戦場があり、更に山懐に入ってしばらく歩くと多くの戦死者を埋葬した首塚に至る

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