「すすき野」といえば、ラーメン店などの飲食店、それから遊興施設が集中している札幌の歓楽街があまりにも有名であるが、山形にも「すすき野」と名づけてよい街路空間があることはほとんど知られていない。
札幌の「すすき野」は明治初期に開拓使黒田清隆とともに札幌の開発に力を注いだ薄井龍之に因んで名づけられた地名である。薄井の「薄」という字は「すすき」と読むことができるからである。
その薄井龍之は札幌を後にしてから山形県の権参事として赴任し、県令の三島通庸とともに旧三の丸内にあった県庁舎(もとの山形藩庁)を現在地に新築移転するために八ケ郷堰の両岸の万日河原一帯を新県庁を中心とした一大官公庁街にするために大掛かりな土木工事を手がけている。
それゆえに現在の文翔館前のT字路も「すすき野」と名づけられても不思議がなかった。ただし、今でも市役所や裁判所職員、金融機関職員など石部金吉氏のようなお堅い人種の往来が多い。ただし、アフターファイブになると必ずしもそうではないのかもしれないのだが。
※ 写真は文翔館(旧県庁舎)のバルコニーから眺めた市役所前通り
札幌の「すすき野」は明治初期に開拓使黒田清隆とともに札幌の開発に力を注いだ薄井龍之に因んで名づけられた地名である。薄井の「薄」という字は「すすき」と読むことができるからである。
その薄井龍之は札幌を後にしてから山形県の権参事として赴任し、県令の三島通庸とともに旧三の丸内にあった県庁舎(もとの山形藩庁)を現在地に新築移転するために八ケ郷堰の両岸の万日河原一帯を新県庁を中心とした一大官公庁街にするために大掛かりな土木工事を手がけている。
それゆえに現在の文翔館前のT字路も「すすき野」と名づけられても不思議がなかった。ただし、今でも市役所や裁判所職員、金融機関職員など石部金吉氏のようなお堅い人種の往来が多い。ただし、アフターファイブになると必ずしもそうではないのかもしれないのだが。
※ 写真は文翔館(旧県庁舎)のバルコニーから眺めた市役所前通り