昨夜は連荘で菊山(早稲田大学院2年)が登場。
菊山の就職先は建築機械の会社。
日本一のシェアを誇り、世界でもアメリカのキャタピラー社に次いで世界二位のK製作所である。
ちなみに教授推薦ではなく自由公募。
早稲田はおおむね学生たちが文系学生同様に就職活動に走り回る。
よくある教授のコネなんぞで就職をサポートするということはあまり聞かない。
その点では、同志社や立命館のほうが遥かに愛がある。
しかし、就職ではなく学業と言う点では早稲田にも充分に愛がある。
なにしろ、あの菊山が大学を4年、院を2年で卒業できるのだ。
真ん中の部屋の壁は受験生の落書きであふれている。
その中でも一際目立つ菊山の落書き・・・奥のほうの天井に堂々と書いてある。
津高合格!
もう、絶対に遅刻はしない(145回)!
きく
津高受験の前日に書かれたものだ。
西郊中での遅刻の回数、それも中3の1年間で145回!
学年順位では2位だったが、内申は悲惨だった。
5教科は全て5、しかし他の4教科は全て2・・・計33・・・今でなら、津高はもとより、津西、津東ですら落ちる。
前期選抜なら津工業や商業ですら落ちるのだ。
菊山のお母さんの回想・・・
「先生、息子が眠り込んでるのを必死で起こして家から送り出すでしょ。もう、一日の全てのエネルギーを使い果たす一瞬ですわ。それで安堵しながら自転車をこいでく息子の後姿を見送っている。でも、ゆっくりとこいでるんですよ。今からでも焦ったら遅刻せえへんのにって、いらいらしながら見送ってるんですけどね。しばらくすると、近所の奥さんが私に言うんですよ、・・・さっき息子さんがあそこの公園で犬と遊んでいたよって」
そんなキクの腐った性格が早稲田に入ったからといって変わるはずもなく・・・1年くらいの留年、覚悟していた。
それでも5年計画として、塾の1年先輩となる祐輔(14期生・日本ユニシス)には、暇があればキクの下宿に様子を見に行くようにと頼んであった。
「キクにすればよく大学に来てるほうですよ」とは祐輔のコメント。
ところが4年で卒業、あげく院に進学できた。
その意味では早稲田には限りない愛がある。
「いや、俺も大学の成績に『保留』ってのがあるなんんて知りませんでしたよ」とキク。
「立命館はないで」と森下。
たぶん、立命館に進学してたら今頃はまだ大学の3回生あたりやろ。
松阪の双葉塾の福島先生が先日誕生日を迎えた。
確か大台である。
それを勝手に祝おうと、急遽マージャンをしに行くことに決定。
面子は俺と森下とキク。
おんぼろエステイマ、なぜか高速で松阪まで。
キクは塾で飲んでいた日本酒とお猪口持参でおんぼろエスティマに乗り込む。
そして後部座席でいい気分でやっている。
到着は午後11時40分。
午前0時、双葉塾の最後の中3生が帰っていくのを見送って闘牌開始。
午前6時に終了、半荘7回・・・申し訳ないが俺の大勝。
すかさずキクの家まで再び高速を走らせる。
午前8時半には家を出るという。
最後に親父さんと朝食をとる程度の時間はあるはず。
アストでパスポートを貰って、そのまま新幹線で東京へと忙しい。
新幹線でぐっすり眠ればいい。
さて、ウチの家はというと奥さんが大阪に戻っている。
お母さんの調子が今イチなのだ。
だから娘たちを起こすのは俺の役目となる。
キクの家から塾に戻り、森下をおろして家に帰る。
午前7時、大急ぎで娘たちを起こす。
キクのお母さんの苦労、ほんの少しだけだが分かった気分。
新しい一日が始まる。
買ったはずの地学のセンター過去問・・・これがなぜかなくなった。
仕方なく連荘で松阪へ。
中勢地区で最も学参が充実している宮脇書店だ。
地学の黒本に、大倫の3月末までの仕上げの意味の一冊『算数・力の5000題』、そして里恵(8期生・国語講師)に文庫本を2冊買い込む。
そして最後に、私立中学入試を終えた自分へのご褒美?太郎想史郎の『トギオ』を手にしてカウンターへ。
クリックのほう、何卒よろしくお願いします。