大阪天満宮の境内には本殿の他にたくさんの小社が祀られていますがこれらを摂社、末社といいます。
今日と明日はそれらの一部をご紹介します。
「蛭子殿(蛭児遷殿)」
天満宮境内の北西隅に「蛭子遷殿(えびすせんでん)」があります。
1656年ごろ、天神祭の鉾流神事で鉾が流れ着いた所に戎御社があったため、境内に移したと伝えられています。
江戸時代までは1月のほか、5月、9月にも「えべっさん」が行なわれていたようですが、明治以降は1月のみになり、「天満えびす」と呼ばれてにぎわっていたそうです。
ここに掲げられている説明によれば次のように書かれています。
由緒 常は本社相殿に奉斎されている。一月十日には遷座ののち十日戎祭が斎行される
御祭神蛭児大神は戎・恵比須などとも書き福の神。漁民・商家の守護神として崇敬される。
なお、遷殿というのは本殿から神様がその時だけ遷ってこられるお社のことを指します。大阪天満宮の場合は本殿から蛭子殿に遷ってこられるということです。
・「蛭子殿(蛭児遷殿)」です。
「戎門」
大阪天満宮には六つの門があり、戎門はその内の一つです。
蛭子門は正門(大門)西側にあって、元々この門を入ってすぐ左手に戎社(蛭児社)が祀られていたことから「戎門」と呼ばれています。
現在は戎社は境内西北に移されていますが、門の名前だけが残っているということです。
「参集殿鬼瓦」
明治35年葺かれた参集殿の鬼瓦です。
菅原道真公左遷1075年(昭和52年)に際し、参集殿の屋根を銅板に葺き替えられた為、ここに安置されたようです。
ここに掲げられている説明によれば次のように書かれています。
『明治三十五年に葺かれた当宮参集殿の鬼瓦
菅原道真公御神退千七十五年(昭和52年)に際し
銅板にお屋根葺替えにより昭和62年3月ここに安置す』
「霊符社」
「霊符社」(れいふしゃ)は境内の北東に鎮座しており、この社には天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という神様がお祀りされています。
この神様は『古事記』によると天地開闢に関わる五柱の神のうちで最初に高天の原に出現したとされ、全ての生命を司るといわれています。
2月3日の節分には「鎮魂祭」という珍しい神事がとりこなわれるそうです。
「白米稲荷」
白米社の祭神は稲荷大神 です。
創祀伝来などは不詳ですが、文政7年刊の『神仏霊験記図会』には記されており、往時より庶民の崇敬は厚いとあるそうです。
・白米稲荷社の隣に鎮座する稲荷奥宮。
「星合の池」
大阪天満宮の星合の池にかかる星合橋です。説明版には「愛嬌橋ともいわれ、当時適齢者の見合いがおこなわれたからである」と記されています。
天暦3年(949年)に天満宮がご鎮座になった時、この池の水に霊光が映ったと伝承されています。
現在では星合の池と言う小さな池しかありませんが、嘗てはこの辺りにいくつもの池があり、明治時代まで残っていたようです。
織田信長は石山本願寺攻めの時、明星池と星合の池との間に本陣を布いたと言われています。
・星合池に架かる星合橋です。