らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

大塩平八郎の足跡(5)大阪天満宮(1)

2014-04-10 | 地元紹介

大塩平八郎の足跡を巡って地下鉄南森町からスタートしましたが、同駅の南東方向に大阪天満宮が鎮座していますのでご紹介します。

「大阪天満宮」

大阪天満宮の創始(御鎮座)は、平安時代中期にさかのぼります
菅原道真は、延喜元年(901年1月25日)、政治の上で敵対視されていた藤原時平の策略により昌泰4年(901年)九州太宰府の太宰権帥(だざいごんのそち)に左遷されることになりました。
道真は、摂津中島の大将軍社に参詣した後、太宰府に向いましたが、2年後の延喜3年(903年)2月25日にわずか59歳でその生涯をとじています
天満宮はその50年後の天暦7年(953年)に大将軍の森に村上天皇の勅願により創建されたのだそうです。

・表門(大門)です。


「十二支」
表門の天井に掲げられている十二支方位盤です。 酉は鳳凰になっています。



「本殿」
現在の本殿は、天保14年(1843年)に再建されたものです
この大阪天満宮は、江戸時代の記録に残るだけで七度の火災に遭い、なかでも大阪市中を焼き尽くした享保9年(1724年)の妙知焼けや、大塩平八郎の乱による天保8年(1837年)の大火では、全焼したそうです。
そしてその後、大阪市中の氏子や崇敬者又献身的な奉仕者によって、現在のご本殿が再建されました。



「大将軍社」
大阪天満宮境内にある摂社です。
菅原道真が大宰府への途中、立ち寄り参拝したのが、この大将軍社です。
後に、村上天皇の勅命により、当地は菅原道真を主神とする天満宮となったため、大将軍社は摂社として祀られるようになりました。

ここに掲げられている説明には次のように書かれています。
 『当宮地主神として孝徳天皇の御代、豊崎皇后の四方に鎮護神として奉祀させられる。現地名南森町は往古大将軍の森と称せられた。』



「神武天皇聖跡難波之碕顕彰碑」
ここの掲げられている説明によれば次のように書かれています。
 『難波之碕は日本書紀に據れば神武天皇御東征の際到り給ひたる所なり。その砌(みぎり)奔潮甚だ急なりし為浪速の國の名を得後難波となれり』

なお、神武東征(じんむとうせい)とは、初代天皇である「神倭伊波禮毘古命(カムヤマトイワレビコ:神武天皇)」が日向(現・宮崎県)を発ち、大和(現・奈良県)を征服して橿原宮で即位するまでの日本神話の説話です。
日本書紀によれば神武天皇は、45歳(紀元前667年)の時、日向の高千穂を発ち、海路瀬戸内海を通り、浪速国(現・大阪府)に上陸して、そこから大和の国に入ろうとします。
しかしこの地を支配する長髄彦(ながすねひこ)に敗北し、現在の大阪平野を船で南下し、紀伊国(現・和歌山県)から熊野を経由して大和の国に入り、紀元前660年大和国を征服して橿原宮で即位したとされています。